■2023年12月 子供たちのための 旧約聖書の おはなし 03

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子供たちのための 旧約聖書の おはなし 03
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「子供たちのための 聖書の おはなし」より、ヴォズドビジェンスキー・プラトン・ニコラエヴィチ司祭(1892-1938 )
Из «Библии в рассказах для детей», священник Воздвиженский Платон Николаевич (1892-1938)

ロシア語版リンク/ ссылка на русский источник:
https://azbyka.ru/deti/bibliya-v-rasskazah-dlya-detej-vozdvizhenskij-p-n

翻訳・編集:エフゲニイとイリナ丸尾
Перевод, редактирование: Евгений и Ирина Маруо

■2023年12月 子供たちのための 旧約聖書の おはなし 02

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「子供たちのための 聖書の おはなし」より、ヴォズドビジェンスキー・プラトン・ニコラエヴィチ司祭(1892-1938 )
Из «Библии в рассказах для детей», священник Воздвиженский Платон Николаевич (1892-1938)

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https://azbyka.ru/deti/bibliya-v-rasskazah-dlya-detej-vozdvizhenskij-p-n

翻訳・編集:エフゲニイとイリナ丸尾
Перевод, редактирование: Евгений и Ирина Маруо

■2023年12月 子供たちのための 旧約聖書の おはなし 01

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子供たちのための 旧約聖書の おはなし 01
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「子供たちのための 聖書の おはなし」より、ヴォズドビジェンスキー・プラトン・ニコラエヴィチ司祭(1892-1938 )
Из «Библии в рассказах для детей», священник Воздвиженский Платон Николаевич (1892-1938)

ロシア語版リンク/ ссылка на русский источник:
https://azbyka.ru/deti/bibliya-v-rasskazah-dlya-detej-vozdvizhenskij-p-n

翻訳・編集:エフゲニイとイリナ丸尾
Перевод, редактирование: Евгений и Ирина Маруо

■2023年12月 読書と信仰 9 シカの置き物

一週間たって、死んだ青年の婚約者が原爆病院を
おとずれた。彼女は、青年を看護した医師や看護
婦たちにお礼をいいにきたのだといった。彼女は
楽器店につとめる娘らしく、よくレコード棚やバ
イオリンの陳列ケースにおいてある、陶製の一対
のシカをお土産にした。二十歳の娘は平静でおだ
やかな挨拶をのこして去っていったが、翌朝、睡
眠薬による自殺体として、発見されたのであった。
僕は、大きい角をそなえた強そうなシカと、愛ら
しい牝のシカの、一対の置き物を見せられて、暗
然として言葉もなかった。
(大江健三郎「広島へのさまざまな旅」『ヒロシマノート』)

 『ヒロシマノート』を読んだのは、釧路湖陵高校2年生のときであったと思います。
 この本とほぼ同時進行で読んだ戯曲が「銀河鉄道の恋人たち」でした。
 劇作家 大橋喜一が、ヒロシマノートのこのエピソードに震撼され、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をモチーフに書いた作品だときいていました。
 『ヒロシマノート』
 ……言葉がなくなりました。
何度も引越しを体験したわたしの書棚には、いまだ、たとえば、峠三吉全詩集『にんげんをかえせ』風土社、津田定雄『長編叙事詩 ヒロシマにかける虹』春陽社、『原民喜全集』青土社、土門拳『生きているヒロシマ』築地書館、『広島・長崎 原子爆弾の記録』子どもたちに世界に!/被爆の記録を贈る会、などがならんでいます。
 忘れてはいけない、置き去りにしてはいけない現実があるのだと、そのとき、痛感しました。
当時、釧路の数多くの高校生が『ヒロシマノート』を読み、生と死、戦争と人間、原爆と人間の復活などのテーマと格闘しました。
 わたしもそのひとりでした。
 世間知らずの、青い感情であることを知っているつもりでしたが、この痛惜の念と激情が、大橋喜一作「ゼロの記録」という上演時間2時間半の大作を、一九七七年春、釧路高校演劇合同公演(釧路市公民館)で舞台にかける原点になりました。
 もちろんキリスト教信仰は、自殺を認めていません。
 でもわたしは、このエピソードに秘められたこころ、好きで好きで、愛して愛してたまらない、どこまでもいっしょに生きていこうとする青い感情が、ともすれば未熟とされるかもしれない愛情が、かけがえのない無垢で気高いものに感じられてならないのです。
 ひとは、いついかなるときでも、きっと信じられる、そう思いました。
 

自己犠牲などという意味合いはいささかもない、
決定的な愛の激しさにおいて。そして、この激越
な愛とは、そのまま逆に、われわれ生きのこって
いるものたちとわれわれの政治に対する凄まじい
憎悪に置きかえられることもありえた感情である。
しかし、告発せず沈黙して死んだこの二十歳の娘
は、われわれに、もっとも寛大な情状酌量をした。
われわれには、くみとられるべき情状などありは
しないが、二十歳の娘は、おそらくおとなしい威
厳をそなえた性格だったので、われわれに憎悪の
告発をおこなわなかったのだ。

(長司祭パウェル及川信)

+大江健三郎『ヒロシマノート』岩波新書、1965年(初版)
 このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
 ご寛宥ください。

■2023年11月 読書と信仰 8 銀河鉄道の夜

「あなたの神さまってどんな神さまですか。」
青年は笑ひながら云いました。
「ぼくほんたうはよく知りません。けれどもそんな
んでなしにほんたうのたった一人の神さまです。」
「ほんたうの神さまはもちろんたった一人です。」
「あゝ、そんなんでなしにたったひとりのほんたう
のほんたうの神さまです。」
「だからさうぢゃありませんか。わたくしはあなた
方がいまにそのほんたうの神さまの前にわたくした
ちとお会ひになることを祈ります。」
(宮沢賢治「ジョバンニの切符」『銀河鉄道の夜』)

 光原社という社名、宮沢賢治が名づけ親です。
 『注文の多い料理店』を光原社から出版した及川四郎は、親戚になります。
 父ペトル及川淳師にきいた話では、岩手県の実家の縁側に、『注文の多い料理店』と詩集『春と修羅』が、無雑作に山となっていたそうです。
 小学校の校長先生であった祖父がみかねて、光原社の倉庫にねむっていた本を少し、買いとったのではないか、そう言ってました。
 おフロあがりのときなど寝るまえに、祖父は子どもたちに、賢治の童話や詩の読み聞かせをしていたそうです。
 祖父は幼いころ、郷里では神童とよばれ、たいへんな読書家であったという昔話をよくしていたのは、祖母でした。
 よほど夫を愛していたのでしょう。
「本好きの血をひいたのは、信、おまえだね」
 祖母がそういっていました。
 わたしは父にいいました。
「ああ、お父さん、その初版本がほしいのに。なんでもらわなかったの」
 そういうと、ひと言、
「興味、なかったからな」
 あっさりいわれてしまいました。父らしいと思いました。
 話をきいて、教科書で読んだ「オツベルと象」、あるいは詩「永訣の朝」などを思いだし、おなじ岩手県出身の物語作家、詩人、宮沢賢治がきゅうに身近に感じられました。
 釧路市立図書館に十字屋書店と筑摩書房の全集があり、一冊一冊、一篇一篇けん命に読んだ記憶があります。
 凝り性のわたしはさらに、筑摩書房版の新修 宮沢賢治全集をもとめてそろえ、とにかく読みました。
 賢治のいう「たったひとりのほんたうの神さま」とは、だれなのでしょう。
 それを追い求めた賢治は、その神さまのもとに、無事たどり着けたのでしょうか。
 ひとの人生の意味、ほんとうの幸せ、食べること、お金の価値、働くとはどういうことか……そして生と死、生きることの真実を追いもとめた賢治。
 わたしには想像もつかない、神秘的で深遠な旅を賢治がしている、そう体感しました。
「銀河鉄道の夜」という遡及性と、未来への伸張力と創造性、そして感動を呼び覚ます物語は、翌月に紹介する作品に、結びついていくのです。

あゝそのときでした。見えない天の川のずうっと
川下に青や橙やもうあらゆる光でちりばめられた
十字架がまるで一本の木といふ風に川の中から立
ってかゞやきその上に青じろい雲がまるい環にな
って後光のやうにかかってゐるのでした。汽車の
なかがまるでざわざわしました。みんなあの北の
十字のやうにまっすぐに立ってお祈りをはじめま
した。

そして見てゐるとみんなはつゝつましく列を組ん
であの十字架の前の天の川のなぎさにひざまづい
てゐました。そしてその見えない天の川の水をわ
たってひとりの神々しい白いきものの人が手をの
ばしてこっちへ来るのを二人は見ました。

(長司祭パウェル及川信)

+宮沢賢治「銀河鉄道の夜」
 新修 宮沢賢治全集 第12巻、筑摩書房、1980年(初版)
 このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
 ご寛宥ください。

■2023年10月 読書と信仰 7 白い海と白鯨

まるで雲をつかむような、しかしまた非常に恐ろしい
こういう懸念は、折からのおだやかな天候のため、か
えって無気味さをくわえた。水面一帯に、俺たちの復
讐の航海を嫌悪するのあまり、骨壺のような軸の進む
ところ、まったく生気を放下したかと思われるほど、
ものうげにものさびしくしずまりかえっている海を、
いく日もいく日も航海しているうちに、あるものは、
青々としたおだやかな海の底に、なにか悪魔的な魅力
がひそんでいる、というふうに考えるようになった。
(メルヴィル「悪鬼の汐噴き」『白鯨』)

 北海道釧路市立日進小学校の図書室に、二、三人の名前しかない貸出しカードのはさまった本がありました。
 「白鯨」
 読んで衝撃をうけました。
 不思議な魅力に満ちた、うずまきのような文体と表現。
 正直、迫力にひっぱられて読んだということで、では本の内容を説明せよと言われると、困ってしまう、そんな読書でした。
 それから一年、中学に入り、早朝、新聞配達をはじめました。
 うけもった地域は、けっこう広く、市街地から千代ノ浦海岸をへて春採湖岸周辺へまわる道ぞいでした。
真冬、零下二十度を下まわる厳寒の朝、何年かぶりの流氷がきました。
 それはオホーツク海を埋めつくすようなものすごい氷原ではなく、ところどころに鉛色の海の見える氷の群れでした。
 波ひとつ、カモメの鳴き声もない、まっ白な海。
 朝陽が透明な光をはなち、凍った大気が全身をつつみました。
 荘厳、静寂の海。
 神の創造された天地の境がそこにあり、おそらくほんの一瞬の出来事でしたが、車の騒音さえありませんでした。
 生まれたての海が、初めて氷の群れをうけとめたような、なにか、不滅のエネルギーとかくされた秘事、神秘がありました。
 わたしは、うごけませんでした。
 神のおわせられる、天と地の台座がそこにあると感じました。
あの白い海を想起すると、なぜか「白鯨」を思いだします。
 子どもの頃、この町には、クジラ埠頭があり、和商市場にクジラ肉のかたまりのあったことも思いだします。
からだで、全身でぶつかり、その魅力にのまれる読書。
 理屈や論理性を放擲する、ある意味、魔力のような力づくの物語。
 そんな体験をする一冊がこの本だったのでした。

大商船のペンキ塗りの船体からそびえる旗竿みたいに
つい近頃突き刺さった高い槍の破損した柄が、白鯨の
背中に突き立っていた。そして空を舞いながら、あち
こちと鯨の上を天蓋のように掠めおおう軽い趾をした
鳥の雲霞のごとき大群のうちの一羽が、時としてこの
柄にとまり、長い尾の羽毛を槍旗のようになびかせ、
揺れていることもあった。

その輝く両脇に、鯨はなにか魅惑的なものをおとして
ゆく。猟人のなかにはこのおだやかさに言いがたい魅
惑を感じて大胆にもこれを襲撃したものがあったが、
それも不思議ではない。だがそういう連中は、この静
けさが嵐のまとう外衣にすぎぬことを、命ととりかえ
に思い知らされたのだ。それにしても、なんという静
けさ、なんという魅惑的な静けさで、おお、鯨よ! 
汝ははじめて汝を見るものの眼に、海の上をすべって
行くことか。(「追撃 第一日」)

(長司祭パウェル及川信)

+ハーマン・メルヴィル 富田彬 訳
 『白鯨』(上下)角川文庫、2023年(改版12版)
 わたしが小学生高学年の頃読んだ本は、1956年初版だったと思います。
 昔のことゆえ、定かではありません。
 このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
 ご寛宥ください。

■2023年9月 読書と信仰 6 愛するひとの面影

明け行くバイエルンの朝の絶望的な灰色の真只中に、
地平線に芝居の書割りのように立っている遠い農家
の窓のあかりが一つぽっとついたのであった……
〝et lux in tenebris luset〟(光は闇を照らしき)
…… かくして私は何時間も凍った地面を掘り続け
た。そしてまた看視兵がさしかかって私を罵って行
った。そして私は愛する者との会話を再びはじめた。
益々強く私は彼女がそこにいるのを感じるのであっ
た。まるで彼女を抱けるかのように思い、彼女を捉
えるためには手を伸ばしさえすればよいかのようで
ある。まったく強くその感情は私を襲うのであった。
彼女はそこにいる! そこに! ……
(フランクル「非情の世界に抗して」
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』)

 北海道釧路市で育った少年時代、東中学校で演劇部と放送局(THK)、湖陵高校で演劇部に入っていました。
 高校のとき、いくつもの得がたい体験をしました。「海鳴りがきこえない」という創作劇で地区予選を勝ち抜き、北海道大会(全道大会、本選)まで進み、室蘭へ行ったことも忘れがたい思い出なのですが、そのひとつ、市内いくつかの高校演劇部の生徒が参集する合同公演で、大橋喜一「0(ゼロ)の記録」という上演時間2時間半の大作の上演に参加できたこと。
 もうひとつ、秋の高文連の大会で、ベルトルト・ブレヒト「第三帝国の恐怖と貧困」の「スパイ」の上演に参加できたことです。
 この作品集の戯曲「スパイ」という短編劇には、いわゆるブラックコメディの悲喜劇の要素が盛りこまれており、わたしは不思議な行動をとる少年役を演じました。
 そのおりに読んだのが、V・E・フランクル「夜と霧」でした。
 生、いのちを支配し、管理するおぞましい環境、束縛と限界、恐怖のなか、ひとは、人間性をかろうじてたもち、生きつづけようとしている。
 この壮絶、非情は、少年であったわたしを打ちのめしました。
 そして愛する妻の像を思い描きながら、生きのびようとする姿に胸を熱くし、涙しました。
 生きようとし、生き残ったものの語る「ことば」がここにありました。
 信仰の本質とはなにか、正直いまだに手さぐりです。
 しかし信じて生きることの大切さは、すこしずつわかってきました。
 この本を読んだ感動と動揺が、いまだ鼓動・波動となってからだをめぐっていると思うことがあります。

私は今や、詩と思想そして――信仰とが表現すべき
究極の極みであるものの意味を把握したのであった。
愛による、そして愛の中の被造物の救い――これで
ある。たとえもはやこの地上に何も残っていなくて
も、人間は――瞬間でもあれ――愛する人間の像に
心深く身を捧げることによって浄福になり得るのだ
ということが私に判ったのである。

この瞬間、私は
「我を汝の心の上に印の如く置け――
そは愛は死の如く強ければなり」(雅歌八章の六)
という真理を知ったのであった。

(長司祭 パウェル 及川 信)

※V・E・フランクル 霜山徳爾 訳
 『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』みすず書房、1977年
 このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
 ご寛宥ください。

■2023年8月 読書と信仰 5 「正教史」がキリスト教史

私達は限りあるこの世の生命を大切にし、罪を制し、
罪深い快楽にふける心を絶ち、不幸・災難の場合には
慰めとし、霊と体とを潔く守り、神のため、永遠のた
めに毎日を祈りの中で生活すべきであります。これが
私達を救いに導くものであると信じます。
どうか価値ある人生を送るよう心がけましょう。
(牛丸康夫「われ望む 死者の復活」
『曙光 長司祭牛丸康夫遺稿集』)

 輔祭となっての初任地、名古屋正教会で3年近くにわたり指導司祭となり、わたしを教導してくださったのが、プロクル牛丸康夫師です。
 月一度、来名され、土曜の晩祷後、夕食を共にし、それから教会近くの銭湯へ。夜のふけるまで語り合ったものでした。
 牛丸師は、牛乳・水・チーズ・トマトという、これまた奇妙な取り合わせの夜の糧でした。
 軽妙な切り口から落ちまでの洒脱(しゃだつ)な流れがおもしろく、いつも師が来るのが楽しみでした。
 あるとき、
「息子とは、こういう会話ができない」
 ポツリ、こぼされていました。
 1986年10月2日永眠、50歳。
 わずか5日前、名古屋でフェオドシイ永島府主教座下のご巡回を終えたばかり、それこそ、あっというまに逝ってしまわれました。
 冒頭に引いた一文は、名古屋正教会、会報「天の笛」巻頭の説教、絶筆になります。
 牛丸師にとっては、正教史がキリスト教史、でした。
 神の子、救世主イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の十字架、墓、第三日の復活にはじまる聖使徒、さらに聖師父(教父)の時代、それから世界への福音宣教の歴史は、正教史、すなわちキリスト教史でした。
 それは壮大なドラマ、神と信仰者との交流史、神の救贖史です。
 キリストの時代から現代まで、聖地から日本まで、を通史として克明に書き上げ、福音宣教の基(もとい)とする、これをご自分の使命と自覚しておられました。
 間違いだらけの申し訳ない遺稿集『曙光』、これを世に出し、『明治文化とニコライ』『日本正教史』などへと連なる叙述を一望にするとき、たんなる日本正教会史、ロシア正教会史ではなく、神の救いの福音「正教史=キリスト教史」である師の遠望の的確さ、遺命をかみしめることができます。
 『日本正教史』教文館、を監修しながら、この思いに、あらためて打たれました。力量不足を承知のうえ、不肖の弟子としてわたしなりに全力を尽くし、恩師の遺志に応えたつもりです。

 師のお話をもっともっと、耳をかたむけてきき、心腹に刻印すれば良かった、時間が足りなかった、いろいろな思いがめぐります。
忘れられないことばがあります。
「一生のあいだに、なにか一つ、だれにも負けないと自覚のできる秀でたことを身につけなさい。死にもの狂いでがんばらねば、得られないものがある」

「どうか価値ある人生を送るよう心がけましょう」
 牛丸師のことばは、わたしのうちに、いまも共鳴し、未来へとみちびく、聖なる鐘の音、希望と勇気になっています。

(長司祭 パウェル 及川 信)

※『曙光 長司祭牛丸康夫遺稿集』自費出版、1995年
 この遺稿集は、大阪正教会や京都正教会で求めることができます。
 このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
 ご寛宥ください。

■2023年7月 読書と信仰 4 「契約の櫃」(アーク)と岩窟聖堂 エチオピアのキリスト教 思索の旅

なぜエチオピアの教会では、ほかのキリスト教会では
例を見ない奉納歌舞を続けてきたのか。そもそも、
この歌舞はいつから始まったのか。

もしエチオピアに語り伝えられてきたアーク伝説を信
じれば、推測は不可能ではない。「神の箱」(アーク)
を前にして楽を奏で、踊ったという紀元前一千年前の
ユダヤ人の慣習がアークとともにエチオピアにもたら
され、そのまま生き続けてきたと考えてもおかしくは
ない。
(川又一英「夜を徹した祈り―古都ラリベラの降誕祭」
『エチオピアのキリスト教 思索の旅』)

 川又先生と知り合ったのは、わたしの神学生時代、ずいぶん古い話です。
 このころ『われら生涯の決意 大主教ニコライと山下りん』(新潮社、1981年)の取材をされており、プロクル牛丸康夫師(正教神学院講師、大阪正教会)がご紹介くださいました。
 『聖山アトス ビザンチンの誘惑』(新潮選書 1989年)を出版されてしばらくして聖名(洗礼名)シメオンで洗礼を受けられたというお話が伝わってきました。
 たびたび神田、お茶の水界隈で、静かな居酒屋の腰を落ちつけ、川又先生の取材旅行の話などをうかがいました。
 言葉をえらび、とつとつと語られ、ときおりほほ笑まれる横顔を思いだします。
 2004年10月の訃報に、痛惜の念の消えることがありません。
 『エチオピアのキリスト教 思索の旅』は遺作といってよいでしょう。
 聖地、東欧諸国、ギリシャ、ロシア、聖山アトスなどを巡り、歴史と文化、そこに暮らす人びとを精緻な筆で描写した、広角・複眼の視座を持った作家の、さいごの仕事場の一つが、シバの女王の故郷ともいわれるエチオピアでした。
 行方不明とされる失われた「聖櫃(アーク)」は、エチオピアに現存しているのでしょうか。聖櫃を伴うティムカットの祝祭、神現(洗礼)祭で、成聖された濁水に殺到し、無心に汲み、飲む人を眼にし、こう語ります。

「物事を不信と冷笑で眺めることに慣れてしまった現代人にとって、このエチオピア人のひたむきさは衝撃ともいってよかった。あとになって考えてみれば、私自身もそうしたエチオピア人が羨ましかったのかもしれない。そんなことは不可能であることを知りつつも、できれば私も、羊水のなかの眠りから醒めた赤子に立ち返って、疑いを知らずに信じるという無垢な心を取り戻したかった」

 川又先生は、未来へ進もうとする神を引きとめた、エマオの旅人の原体験を共有したのでしょうか。
 キリスト、救世主とともに作家は、まだ永遠の巡礼の旅をつづけている、わたしはそう信じています。

(長司祭 パウェル 及川 信)

※川又一英『エチオピアのキリスト教 思索の旅』山川出版社、2005年

このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。ご寛宥ください。

■2023年6月 読書と信仰 3 アーメンとラーメン

ああめん そうめん
ひやそうめん
夕日にそめた
ひやそうめん
(詩 阪田寛夫「ああめん そうめん」より)

子どものころ、替えうたをつくって うたっていました。

ああめん そうめん 
シオラーメン
夕日にそまった
ミソラーメン

 シオラーメンもミソラーメンも北海道発祥のラーメンだという、自慢話? をきいた覚えがありました。
 北海道釧路市に住んでいたわたしの、小学校低学年のころではなかったか、そう思うのですが、原詩をうまく替えうたにしたのは、わたしだったのか、友だちであったのか……。
 月のうち、2~3回の主日、日曜日午前中は、聖堂で堂役(どうえき)の手伝いをしていました。父が司祭(神父)で、上武佐や斜里正教会へ巡回祈祷へ行くので、釧路正教会での主日祈祷はそういう回数でした。
 めんどうくさくて、いやな時もありましたが、たいてい楽しんで堂役奉仕していたという思い出があります。
 いろいろなことを楽しむというのは、大事なことだと思います。
 もちろん思い悩み、苦しんで信仰の道にはいるひともいることでしょう。
 でもごく自然に、ふつうに呼吸するように、神さまへ祈り、神と人を信じ、できるかぎり疑わず、ひとを怨まずに生活するというのが、原点ではないでしょうか。
 「サッちゃん」「ねこふんじゃった」「ともだち讃歌」など、子どものうたで親しんだ阪田寛夫さんがクリスチャン詩人であることを知ったのも、少年時代でした。
 もしかしたら、わたしのそういう信仰とのかかわり、接近の仕方は、信仰者の王道に反する、基本姿勢がなってないという批判があるかもしれません。
 でも固くるしくて、息のつまるような信仰心が、わたしにはもてません。
 リラックスして笑いがあり、のんびり、聖堂でこころゆくまで、大好きな祈祷をささげていきたいのです。
 阪田さんの「はこぶね」という詩があります。

あんまり亀がおそいので
ノアのじいさん
ハッチをしめた
 
キリン
ハゲタカ
マングース
 
ことんとめだまをとじていた
 
雨がざんざかふりだして
せかいはまっくら泥の海
ノアじいさんの舟のあと
こがめがいっぴき ついていく

 こがめは、わたしなのだと思います。

(長司祭 パウェル 及川 信)

※阪田寛夫
 「阪田寛夫詩集」ハルキ文庫、2004年
 「阪田寛夫全詩集」理論社、2011年

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