■2024年7月 読書と信仰 16 見えるものと見えないもの

「じゃ、さよなら」と、王子さまはいいました。
「さよなら」と、キツネがいいました。
「さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでも
ないことだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよ
く見えないってことさ。かんじんなことは、目
に見えないんだよ」
「かんじんなことは、目には見えない」と、王
子さまは、忘れないようにくりかえしました。
「あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせ
つに思っているのはね、そのバラの花のために、
ひまつぶしをしたからだよ」
「ぼくが、ぼくのバラの花を、とても大切に思
っているのは……」と、王子さまは、忘れない
ようにいいました。
「人間っていうものは、この大切なことを忘れ
てるんだよ。だけど、あんたは、このことを忘
れちゃいけない。めんどうをみたあいてには、
いつまでも責任があるんだ。まもらなきゃなら
ないんだよ、バラの花との約束をね……」と、
キツネはいいました。
「ぼくは、あのバラの花との約束を守らなきゃ
いけない……」と、王子さまは、忘れないように
くりかえしました。(『星の王子さま』)

 もう30年以上前、鹿児島正教会へ赴任したとき、蔵書が家に入りきらず、たくさんの本を古本屋さんへ手放しました。
 そのなかに「サン=テグジェペリ著作集」がありました。手もとには「星の王子さま」1冊がのこりました。
 サン=テグジュペリは、目には見えないものを、といいながら、じつは目に見えるものと対話しています。
 王子さまは、目に見えるものとの対話をくりかえしながら、心で見、さらに責任、約束を知り、知り合った相手との間に友情を築いていきます。
 この「心で見なくちゃ」を誤解する人がいます。
 心で認識することは、相手とおなじく目で視認し、心で結びつくということです。無言は有言となり、無形は有形となります。
 心だけで、心のなかに……といい、じぶんと相手を正面から見ない、すなわち現実逃避するひとのなんと多いことでしょうか。
 サン=テグジュペリは、せまくて窮屈な、閉じ込められた空間へ逃げ込め、とはひと言もいっていないのではありませんか。
 この作品は、プレゼント、贈りものについて、しばしばふれています。
 プレゼント、贈りものは、友情すなわち契約の証でもあります。
 信仰とは、神へのプレゼント、贈りものをすることです。
 神さまがおあたえくださっている信、望、愛などへの返礼品、まごころでもあります。
 キツネは「ひまつぶし」ということばを使いましたが、信仰とは、神と人、人と人との「架け橋づくり」、ある意味、壮大なひまつぶしだと思います。
 だれかにかまったら責任と約束が生じる、サン=テグジュペリの物語は、夢とロマンをわたしたちにつないでゆきます。
ひまつぶし、沈黙と祈りが、永遠へとつながっていることを、知っていますか?

「人間はみんな、ちがった目で星を見てるんだ。
旅行する人の目から見ると、星は案内者なんだ。
ちっぽけな光ぐらいにしか思っていない人もい
る。学者の人たちのうちには、星をむずかしい
問題にしてる人もいる。ぼくのあった実業家な
んかは、金貨だと思ってた。だけど、あいての
星は、みんな、なんいもいわずにだまっている。
でも、きみのとっては、星が、ほかの人とはち
がったものになるんだ……」

(長司祭パウェル及川信)

+サン=テグジュペリ 作 内藤濯 訳『星の王子さま』岩波書店 1981年(第36刷)

このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
ご寛宥ください。

■2024年6月 読書と信仰 15 字典と辞典

知恵は輝かしく、朽ちることがない。
知恵を愛する人には進んで自分を現し、
探す人には自分を示す。
求める人には自分から姿を見せる。
知恵を求めて早起きする人は、苦労せずに
自宅の門前で待っている知恵に出会う。
知恵に思いをはせることは、最も賢いこと、
知恵を思って目を覚ましていれば、
心配もすぐに消える。
知恵は自分にふさわしい人を求めて巡り歩き、
道でその人たちにやさしく姿を現し、
深い思いやりの心で彼らと出会う。
教訓を真心から望むことが知恵の始まりであり、
教訓に心を配ることは知恵へ愛である。
この愛は知恵の命じる掟を守ることである。
(新共同訳旧約聖書『知恵の書』6:12-18)

 小学2年生のころ、赤痢という病気にかかりました。
 高熱がでて飲食を受けつけず、血便、血尿、吐くものにも血が混じり、涙も血の赤になったようでした。
 なかなか入院できず、やっと入院したら、お医者さんに「治りかけている」といわれ、激ヤセしてふらふらしながら退院したら、
「おまえのせいで、たいへんな目に遭った」
 と父にいわれました。
 家の内外が消毒され、入院まえにあったもの、わたしの衣服・寝具・カバン類はじめ、ランドセル、教科書や本などがすべて焼却処分されていました。
 父は、いろいろなものを新調せねばならない、かさんだ出費のことを冗談半分に言ったのでしょうが、わたしは生まれて初めて「死を覚悟」したので、とてもではないが笑えませんでした。
 愛用の国語の辞典とノートも燃やされていました。
 そのノートには、好きなことばや漢字、じぶんで創作した四文字熟語などを書いていました。小学1、2年生のすることですから、他愛のない「じぶんの字典」だったのでしょうが、貧乏って何もないことだと知りました。
 清貧な生活はみずから望んでするものなのでしょうが、貧乏、貧しいとは不可抗力であり、ほんとうに「ない」、空虚でした。父の買ったまっさらなノートに新しい鉛筆で何かを書こうという気力がなくなっていました。
 そんなある日、テレビもラジオもないので朝のニュースを知らないで、小学校へ登校したら、人だかりがして校門が閉鎖されていました。夜中に学校が火災にあっていました。3年生からは別の小学校へ、しばらくの間、通学することになりました。

 そういう昔話をしたのでしょうか、アキラ新妻晃神父さまが、わたしの輔祭の叙聖祝いに1冊の「漢和字典」をプレゼントしてくださいました。
 東京お茶の水、東京復活大聖堂(ニコライ堂)ちかくの喫茶店で、パイプや葉巻をくゆらしながらのアキラ神父さまの昔話を楽しくきいたものでした。
 40年もたつことが夢のようです。
 アキラ神父さまのさりげない心くばりを感じます。
 漢字や熟語、それらの意味・成り立ちなどが興味深く、大好きなので、この字典は読んでいておもしろく、ずいぶん、いやされました。
 もう一冊、母の形見のちいさな、古ぼけた「古語辞典」があります。
 母の思い出の品はこれひとつです。
 たまにこのふたつの字典と辞典を読むと、アキラ神父さまと母を思い出します。
 記憶とは不思議なものです。
 記憶の連鎖のなかに、こころそして信仰が脈々と息づいていると思います。

(長司祭パウェル及川信)

+藤堂明保 編『漢和大字典』学習研究社 1984年(第18刷)
 金田一京助 監修『明解 古語辞典』三省堂、1956年(第22版)

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■2024年5月 読書と信仰 14 キリストの物語

「これほど確かな神命があるでしょうか。救い主を捜
しだし、私たちの仲間もその子孫も、私たちと一緒に
神にぬかずき神をたたえるのです。たとえ離れ離れに
なって別の道を歩んでも、一つの教えが残ります。天
国は、剣の力でも、人間の知恵でもなく、信仰、愛、
善行によって入ることが許されるのだという教えが」

やがて月が昇ってきた。乳白色の光の中を音も立てず
に縫う三頭のラクダは、忌まわしい暗闇から飛びだし
た亡霊のよう。不意に行く手の小高い丘の上にほのか
光が輝いた。目を凝らして見るうちに光は輝きを増し、
目もくらむような火の玉となった。胸をうち震わせた
三人は声をそろえて叫んだ。
「星だ。あの星だ。神がおそばにいてくださるのだ」
(ルー・ウォレス『ベン・ハー』第一話第五章)

 映画「ベン・ハー」
 1959年ウィリアム・ワイラー監督、MGMによって製作・公開された、212分の大作。アカデミー賞11部門を受賞した記録的名作映画として知られています。
 わたしはテレビ放映された、ちいさな画面しか観ていませんが、その迫力に圧倒されました。
 海戦、馬車による競技などのシーンが有名なのですが、随所にキリストの生涯をなぞる場面が描写されていました。
 娯楽大作なのに キリストの生涯?
 なんとなく違和感というか、文学的満足感・充足感の不足を覚えていました。
 ところがある日、この映画に原作の小説のあることを知りました。
 旅先で訪れた本屋さんで、偶然、新潮文庫版を目にし、求め読みました。
「ああ なるほど」
 小説の副題が「キリストの物語」でした。
 映画は、文学作品を脚色し再構成します。画像、映像が主役であり、文学的陰影や表現とは異なります。物語(原作)の濃密さを描ききれないところがでてくるのもやむをえないときがあります。
 これは、映画と小説の性格、性質のちがいなのでしょう。
 残念ながら、いく度も引越しするなかで、文庫本が行方不明となり、あらためて単行本をもとめ読み直しました。
 友情と怨念、復讐と赦し、憎悪と愛憐などが、たくみに描かれている物語です。

 主人公ベン・ハーの名前、正式には、ユダ・ベン・ハーです。
 この名前、救い主イイススを裏切った、イスカリオテのユダを背景においてはいないでしょうか。
 イスカリオテのユダは、途中までイイススを信じていた、あるいは、信じているフリをしていたのですが、ユダ・ベン・ハーは、一貫してナザレの人を信じつづけようとします。
 どんなに苛酷な運命に翻弄されようとも、神と人とを裏切らない、裏切りとは無縁の人、ましてや復讐に生涯を費消する人としては描かれません。
 聖書は語っています(ロマ書12:19)。

愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに
まかせなさい。「復讐はわたしのすること、
わたしが報復する」と主は言われる。

 イスカリオテのユダが求めれば得られた、選べばこの生き方が全うできた、愛をもとめる人生を、ユダ・ベン・ハーが生きます。

 主人公ベン・ハーの探し求める母と妹が、「ライ病」(本文の表現)にかかってしまい、せっかく会えたのに、なかなか名のりでて再会できないことも、物語の伏線の一つです。
 いまでは治療薬があり、癒やせる病気が、当時不治の病気、「汚れたもの」として人間扱いされない現実がでてきます。
 差別の根源が明示されるとともに、信じて生きるものの強靱さも表明されます。
 希望の光と再生、復活が、一貫するテーマなのです。

まず心臓に新しい血が流れ始め、次第にその速度
は速く、血の流れは強くなり、それとともに崩れ
た体のすみずみまで病が癒される心地よい感覚が
広がった。体から病の痕跡が一つ一つ消えていく
と、力がじわじわとみなぎり、元の自分が戻って
くるのがわかった。回復したのは肉体だけではな
い。新しい命が生まれるような感覚は精神にも伝
わり恍惚感が広がった。まるで一陣のさわやかな
風のような力が体に吹き込んで、病が完全にぬぐ
い去られた。このときになんとも言えない快感だ
けでなく、決して忘れることのできない神聖な記
憶がしっかりと体に刻み込まれた。これはこれか
ら終生、ことあるごとに思い出し、感謝を捧げる
礎となった。(第八話第四章)

 信じるとき人は強くなり、疑いを重ねるとき、ひとは嫉妬深く、弱くなります。物語では、メッサラとイラスに象徴されます。
 真実を真正面にみすえ、祈りが奇蹟を生む。
 ほんとうに奇蹟を信じることが、新たな人生を切り拓くのだと思います。

(長司祭パウェル及川信)

+ルー(ルイス)・ウォーレス  辻本 庸子/武田 貴子 訳
 『ベン・ハー キリストの物語』 アメリカ古典大衆小説コレクション1 松柏社、2003年初版

このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
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■2024年4月 読書と信仰 13 主よ、いずこに

そうした恐ろしい瞬間の記憶は、今もなおこの老人
の眼に涙をさそうた。その二条の涙が白い髯にした
たり落ちるのが、松明の明りによく見えた。老人の
年老いて髪の毛もなくなった頭がふるえ、声も途切
れがちであった。ウィニキウスは心の中で言った。
〝あの男は真実を語っている、そして真実のために
涙を流しているのだ〟と。素朴な聴衆も、悲しみが
こみあげていた。

その瞬間、この人たちにとってはローマもなければ、
狂気じみた皇帝もなく、神殿も神々も異教徒もなか
った。あるのはキリストだけであった。そのキリス
トが大地を、海を、空を、世界を満たしていた。
(ヘンリク・シェンキェヴィッチ
『クオ・ヴァディス』第二十章)

 おそらく小学4年生くらいのとき、図書館で少年少女向きの『クオ・ヴァディス』を読みました。
 おぼろげな記憶なのですが、深く感動したのはたしかでした。
ペトロニウスとエウニケ、ウィニキウス、リギアとウルスス、キロン・キロニデス、ペテロとパウロそして皇帝ネロ。
 おそらく9歳頃にいたり初めて向かい合った群像劇でした。
 壮大なスケールと奥深い人間像と描写に心うたれ、少年少女向きのダイジェスト版ではない本物の小説を読みたいと願ったのでしょう。
 こんどは岩波文庫版を読み、「うむむ?」と思いました。本の読後感、印象がずいぶんとちがったからです。こんなはずではないと思い、つぎに読んだのが、旺文社文庫(上下二巻)です。
 ひとが生まれ変わったり、生き直したりするドラマを脳裏に思い浮かべ、のち中学・高校時代、演劇部にのめりこむきっかけとなった本のひとつでした。
 そこには恋というものへの、ほのかな憧れもあったのでしょう。
 シェンキェヴィッチはポーランドの作家です。この小説は1895年春~翌96年2月までに執筆・発表され、各国語に翻訳、広く流布し、1905年、ノーベル文学賞を受賞します。
ところでこの小説にイチャモンをつけ、攻撃した一人がロシアの作家レフ・トルストイでした。かりに自分がノーベル文学賞を受賞し賞金を手にしたら、〇〇へ寄付して欲しいと、あらかじめスウェーデンの選考委あての手紙を送ってしまうほど、トルストイは、自分こそがノーベル文学賞受賞にふさわしいと強烈に自負していました。
 けっきょくトルストイがノーベル文学賞を受賞することはありませんでした。
 人間性、人間観、作品にこめられた人への愛情の深さなどの質量が、シェンキェヴィッチとトルストイでは、おおきく異なっているように、わたしには思えます。

 キリスト教迫害の嵐の吹きあれるローマを去ろうとしたペテロに、救い主イイススがあらわれ、ペテロが問いかけます。
「クオ・ヴァディス・ドミネ?……」
「主よ、いずこへ行きたもう」
 この質問。
 アダムとエバ(イブ)が神との約束を破ってしまい、エデンの園に隠れひそんでいたとき、神はふたりに呼びかけました。
「あなたはどこにいるのか」
 この語りかけの映し、反問がペテロの救い主への問いかけです。
「主よ、いずこへ」
「ローマへ」
 すなわち、
「救いを求める、すべての民のところに」
 神は、いつ いかなるときも、救いを希求する神の民を忘れず、ともにおられる。愛の神が厳然として、あなた そして わたしと共にいる。
「いずこへ」
 ペテロの呼びかけは、わたしたちへの問でもあります。
 神がエデンの園で放った愛情あふれる呼びかけなのです。
「あなたはどこへ行こうとしているのか」
 アダムとエバは返答をしませんでした。
 わたしたちは、はっきりとこの呼びかけに答えているでしょうか。

 シェンキェヴィッチの書いた「愛による幸福」の一文は、ありふれた通俗的文章と揶揄されることがあるがゆえに、普遍的な永遠の生命をもつのだと思います。
 わかりやすく素直なことばには、すたれない生命力があります。

彼らは、自分たちが愛することのできる神を
見出すことによって、当時の世界がこれまで
誰にも与えることのできなかったもの――
愛による幸福を見出した。(第七十章)

(長司祭パウェル及川信)

+ヘンリク・シェンキェヴィッチ  吉上 昭三 訳
 『クオ・ヴァディス』(上・下)、旺文社文庫、1980年初版

このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
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■2024年3月 読書と信仰 12 汚(けが)れなき悪戯(いたずら)

それに、キリストは、ぶどう酒がとくべつ好き
でした。ある日も、にっこりして、マルセリー
ノに、こう言われたのでした。
「きょうから、おまえの名は、『パンとぶどう酒
のマルセリーノ』だ。」
マルセリーノは、この名が気に入りました。そこ
で、キリストは、話して聞かせました。
「わたしを十字架にかけた人たちと、いっしょに
いるために、いつも祭壇で、パンとぶどう酒の形
でいることを、わたしは、人間にやくそくしたの
だよ。だから、神父さんたちが、ミサのときに食
べるパンとぶどう酒は、わたしのからだと血なの
だよ。」
これを聞いて、マルセリーノの名のほかに、
『パンとぶどう酒のマルセリーノ』とよばれるの
を、とくいに思いました。
(ホセマリア・サンチェスシルバ
「パンとぶどう酒のマルセリーノ」『汚れなき悪戯』)

原作名『パンとぶどう酒のマルセリーノ』は、1952年スペインで出版されました。1955年モノクロ(白黒)映画が制作され、しばらくして日本の映画館でも、テレビ放送でも放映されました。
「マルセリーノの唄」をきき、なつかしむ世代は、いま60歳をこえていることでしょう。
リメイクされた映画(1991年)もわたしは、観ています。
わたしの本好き、映画好きを知ったカトリックの神父さまから、リメイク映画の試写会に招待されたのです。名古屋時代のことでした。
古き佳きカトリックのすがたの息づく、すてきな作品です。
修道院の門前でひろわれ、そこで成長した純真な男の子が主人公です。
マルセリーノと名づけられた子は、屋根うら部屋の大きな十字架を見つけました。
「その人の顔や、いばらの冠をかぶせられた傷から、ひたいに流れおちる血のしずくや、丸太にくぎづけにされた手足と、わき腹の大きな傷あと」
をみて、涙があふれ、マルセリーノは、なにかしてあげたいと思いました。
そしてパンとぶどう酒などを、はこんでは食べさせ、さいごに、奇跡が起こり、マルセリーノは母のもとへ旅立ちます。

もちろん、神学的に とか、教理では とか、この物語が 正しいか 正しくないか、というひともいるでしょう。
でも何でもかんでも、合理的に解釈し、方程式のようにナゾを解き明かす、学者か評論家のような信仰者のあり方に、わたしは疑問を感じています。
純粋に すなおに 信じたい者、信じる者 であって、わたしたちは、学者や評論家ではありません。
マルセリーノのようにキリストに出会い、信じる子がいる。
そういう信じかたを、信じたい、それが よい と思いませんか。

マルセリーノは、聞かれるたびに、
「ううん。」
「ううん。」
と、くりかえしました。
目はだんだん、大きくひらき、キリスト
のあまり近くでみつめすぎたので、もう、キ
リストが、見えなくなってしまいました。
「それでは、なにがほしいの」
キリストはたずねました。
マルセリーノは、それを聞いて、ゆめうつつ
のようでしたが、目は、しっかりと、キリス
トのほうにむけて、言いました。
「ぼく、お母さんに会いたい。それだけ。そ
れから、あなたのお母さんにも会いたい。」
キリストは、マルセリーノをぐっとひきよせ
て、ごつごつしたひざの上に、じかにだきあ
げました。そして、マルセリーノのまぶたを
そうっとなでて、やさしく言いました。
「では、おやすみ、マルセリーノ。」

(長司祭パウェル及川信)

+ホセマリア・サンチェスシルバ  江崎 桂子 訳
『汚れなき悪戯』、小学館、1980年
カバー絵 ねむの木学園壁画「イ、タ、ズ、ラ」宮城まり子
映画は、廉価版のDVDが入手できるかもしれません。

このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
ご寛宥ください。

■2024年2月 読書と信仰 11 足の鎖と有刺鉄線

わたしは駆けよった…
聖なるおもいが 胸にあふれた
今にしてわたしは この宿命の鉱山で その
はめられた枷を見 おそろしいひびきを聞いて
はじめて夫の苦しみが
こころの底から わかるのだった
彼は多くをしのび しのびおおせた…
おもわずもわたしは その足もとにひれ伏して
夫を抱くよりも先に まず
その鎖に 唇をおしあてた! …
(ネクラーソフ「デカブリストの妻 抄」『愛かぎりなく』)

 
 おそらく高校生のとき、この本にめぐりあいました。
 デカブリストとは?
 1825年12月、ロシアの首都サンクトペテルブルグの元老院広場で、新たに即位したニコライ一世に忠誠を誓う、軍隊の宣誓式がおこなわれました。
 そのときわかい貴族、青年将校が中心となって、おこした叛乱行為を武力をもって鎮圧する事件が発生しました。
 12月(デカーブリ)におこったので、事件関係者は「デカブリスト」12月事件のひと、そう呼称されるようになりました。
 翌26年7月、数千人が重軽それぞれの刑に処され、100人あまりがシベリア流刑に処されました。
 このとき10人ほどの若い婦人が、流された夫を追い、いっさいを棄て、シベリアの地へ向かいました。
 まだ恋愛したことのないわたしにとって、愛するひとを追い、シベリアの原野を流刑地までたどりつくことは、空前の出来事でした。

「その鎖に 唇をおしあてた」
 この詩の一節をよみ、岩崎ちひろの絵をみたとき、涙がとまらなくなりました。
 岩崎ちひろの絵を、目にする機会のあるたび、思いだすのは、この作品、本のことです。
 東京では、岩崎ちひろの原画展そして練馬区のちひろ美術館、そして昨年夏に、安曇野ちひろ美術館へもいきました。
 数年まえ、京都の駅ビル(伊勢丹デパート)で開催された、岩崎ちひろ展へもいきました。
 これらの絵画展でこころ打たれるのは、有刺鉄線の原画でした。
 太く、冷徹で、非情さに満ち、ひとの情愛、あたたかな感情を突き離し、はばもうとする有刺鉄線。
 原画だからこその、呼吸(いき)する筆づかい、脈動があります。 
 冷血の有刺鉄線を、いのちあるものが、あたたかな血をかよわせているひとが、いろいろなひとの思いをこめて画く、この画家の烈情。
 画家の哀しみと正直(せいちょく)な意(おもい)がありました。

 ひとりの女性の接吻した鎖が、有刺鉄線と、なぜかいつも、だぶっています。
 権力、法、軍事、ときにはひとの尊厳をふみにじるものを、キリスト教信仰が抗する律法主義、厳罰主義というのならば、わたしたちには、それらをのりこえる、良心と自由、こころと信仰があります。

 身ひとつの女性の生き方が迫ってきます。
 有を無に。
 無にしなければ手に入らないもの、そこへ行かなければ確認できないものがあります。
 あそこで待っているひとがいる。
 そこへ行かねばならない。
 わたしたちは、ひと、十字架、聖像などに接吻しますが、その信と愛の接吻は、足の鎖と有刺鉄線をのりこえ、またいでいくと思います。
 死の接吻ではなく、愛の接吻なのです。

静けさの天使を神はおつかわしになって
坑道の中はひとしきり
話し声も はたらく音もやみ
まるで 動きがとまったよう
あかの他人も わたしたちの仲間も――
眼には涙をうかべ こころたかぶり
色あおざめ
きびしい顔して まわりに立っていた
動かぬ足からは
枷の音もひびかず ふりあげられた槌も
宙に凍りついて…
すべては静か――歌声もなく話し声もなく…
悲しみも めぐり会いのしあわせも
ひとしく分け合ったようだった!

(長司祭パウェル及川信)

+ニコライ ネクラーソフ  谷耕平 訳  岩崎ちひろ 画
『愛かぎりなく』デカブリストの妻 抄、童心社、1968年初版

このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
ご寛宥ください。

■2024年1月 読書と信仰 10 銀河鉄道の恋人たち

人は必ず愛する者に別れて生きてゆかなけりゃな
らんようになるもんだ。そのおごそかな離別の時
間に生きてゆく者と死へ移っていった者とが、共
にあの銀河を旅行するんだ。銀河鉄道にのって。
あの詩人が、宗教的ともいう四次元幻想世界に託
したところの……(沈黙する)
(大橋喜一「銀河鉄道の恋人たち」『大橋喜一戯曲集』)

 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をモチーフに書かれた作品が、舞台となってよみがえり、戯曲集となって生まれました。
 レコード店員のとし江がジョバンニ、印刷工の五郎がカムパネルラです。
 おそらく皆さんの手には入らないこの戯曲集は、わたしの手もとにあります。
でもその本は、ほつれてバラバラです。
 大橋喜一作「ゼロの記録」の上演台本を作成するため、本をばらしてガリ切りし、謄写版で印刷したからです。
 その作業のあわただしさがわかるのは、あるページにだれかが、まちがって踏みつけた黒い靴跡があるからです。
当時、新しい戯曲集を購入しようかとも思いましたが、その踏み跡がみょうに生なましく……五郎がじぶんのことを「原爆孤児」を知られぬよう生きてきた、切ない告白に重なって、とうとう棄てられなくなってしまいました。

とし江  ……五郎さん。
五郎   え……
とし江  (間)……あんた、孤児じゃけん、
     結婚もせん……人間も愛さんと、考えたの?
五郎   ……
とし江  ……信用でけん人間より、宇宙の、
     永遠の星を愛しよう……ほんまに、
     そう思うたん。
   間
五郎   (大きく呼吸する)ぼくは、愛いうもんを
     知らんかった。……やせがまんじゃ、
     やせがまんしとった。……そのことを、
     あんたに会うて、とし江ちゃん!
     (深く息をする)ぼくはわかったんじゃ、
     人間のしあわせというものを――

 この劇作を読んで、わたしは原民喜の散文詩「夜明け」を思いだしていました。

おまへはベツトの上に坐りなほつて、すなほになろう、
まことにかへろうと一心に夜あけの姿に祈りさけぶのか。
窓の外がだんだん明るんで、ものゝ姿が少しづつはつき
りしてくることだけでも、おまへの祈りはかなへられて
ゐるのではないか。しづかな、やさしいあまりにも美し
い時の呼吸づかひをじつと身うちに感じながら。

 放射能汚染によるさまざまな症状を、ひとは原爆病、原爆症とこともなげに、他人事としていい表します。
でも一人の少女が、青年の生きる痛みを、全身全霊でうけとめました。
 滅びゆくからだを、健全であろうと生きるこころと精神をささえきれない青年を、ともに生きることで祈りとした、ひとりの人間。
 たましいの叫びに一心にけん命に応え、いっしょに祈ったのが少女でした。
 作者は、自殺をはかった少女が命をつなぎとめ、蘇生する場面で芝居を閉じています。いくたび読んでも、胸の奥が哭いてしまいます。

(長司祭パウェル及川信)

+『大橋喜一戯曲集』テアトロ、1976年
 定本『原民喜全集1』青土社、1978年
 このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
 ご寛宥ください。

■2023年12月 読書と信仰 9 シカの置き物

一週間たって、死んだ青年の婚約者が原爆病院を
おとずれた。彼女は、青年を看護した医師や看護
婦たちにお礼をいいにきたのだといった。彼女は
楽器店につとめる娘らしく、よくレコード棚やバ
イオリンの陳列ケースにおいてある、陶製の一対
のシカをお土産にした。二十歳の娘は平静でおだ
やかな挨拶をのこして去っていったが、翌朝、睡
眠薬による自殺体として、発見されたのであった。
僕は、大きい角をそなえた強そうなシカと、愛ら
しい牝のシカの、一対の置き物を見せられて、暗
然として言葉もなかった。
(大江健三郎「広島へのさまざまな旅」『ヒロシマノート』)

 『ヒロシマノート』を読んだのは、釧路湖陵高校2年生のときであったと思います。
 この本とほぼ同時進行で読んだ戯曲が「銀河鉄道の恋人たち」でした。
 劇作家 大橋喜一が、ヒロシマノートのこのエピソードに震撼され、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をモチーフに書いた作品だときいていました。
 『ヒロシマノート』
 ……言葉がなくなりました。
何度も引越しを体験したわたしの書棚には、いまだ、たとえば、峠三吉全詩集『にんげんをかえせ』風土社、津田定雄『長編叙事詩 ヒロシマにかける虹』春陽社、『原民喜全集』青土社、土門拳『生きているヒロシマ』築地書館、『広島・長崎 原子爆弾の記録』子どもたちに世界に!/被爆の記録を贈る会、などがならんでいます。
 忘れてはいけない、置き去りにしてはいけない現実があるのだと、そのとき、痛感しました。
当時、釧路の数多くの高校生が『ヒロシマノート』を読み、生と死、戦争と人間、原爆と人間の復活などのテーマと格闘しました。
 わたしもそのひとりでした。
 世間知らずの、青い感情であることを知っているつもりでしたが、この痛惜の念と激情が、大橋喜一作「ゼロの記録」という上演時間2時間半の大作を、一九七七年春、釧路高校演劇合同公演(釧路市公民館)で舞台にかける原点になりました。
 もちろんキリスト教信仰は、自殺を認めていません。
 でもわたしは、このエピソードに秘められたこころ、好きで好きで、愛して愛してたまらない、どこまでもいっしょに生きていこうとする青い感情が、ともすれば未熟とされるかもしれない愛情が、かけがえのない無垢で気高いものに感じられてならないのです。
 ひとは、いついかなるときでも、きっと信じられる、そう思いました。
 

自己犠牲などという意味合いはいささかもない、
決定的な愛の激しさにおいて。そして、この激越
な愛とは、そのまま逆に、われわれ生きのこって
いるものたちとわれわれの政治に対する凄まじい
憎悪に置きかえられることもありえた感情である。
しかし、告発せず沈黙して死んだこの二十歳の娘
は、われわれに、もっとも寛大な情状酌量をした。
われわれには、くみとられるべき情状などありは
しないが、二十歳の娘は、おそらくおとなしい威
厳をそなえた性格だったので、われわれに憎悪の
告発をおこなわなかったのだ。

(長司祭パウェル及川信)

+大江健三郎『ヒロシマノート』岩波新書、1965年(初版)
 このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
 ご寛宥ください。

■2023年11月 読書と信仰 8 銀河鉄道の夜

「あなたの神さまってどんな神さまですか。」
青年は笑ひながら云いました。
「ぼくほんたうはよく知りません。けれどもそんな
んでなしにほんたうのたった一人の神さまです。」
「ほんたうの神さまはもちろんたった一人です。」
「あゝ、そんなんでなしにたったひとりのほんたう
のほんたうの神さまです。」
「だからさうぢゃありませんか。わたくしはあなた
方がいまにそのほんたうの神さまの前にわたくした
ちとお会ひになることを祈ります。」
(宮沢賢治「ジョバンニの切符」『銀河鉄道の夜』)

 光原社という社名、宮沢賢治が名づけ親です。
 『注文の多い料理店』を光原社から出版した及川四郎は、親戚になります。
 父ペトル及川淳師にきいた話では、岩手県の実家の縁側に、『注文の多い料理店』と詩集『春と修羅』が、無雑作に山となっていたそうです。
 小学校の校長先生であった祖父がみかねて、光原社の倉庫にねむっていた本を少し、買いとったのではないか、そう言ってました。
 おフロあがりのときなど寝るまえに、祖父は子どもたちに、賢治の童話や詩の読み聞かせをしていたそうです。
 祖父は幼いころ、郷里では神童とよばれ、たいへんな読書家であったという昔話をよくしていたのは、祖母でした。
 よほど夫を愛していたのでしょう。
「本好きの血をひいたのは、信、おまえだね」
 祖母がそういっていました。
 わたしは父にいいました。
「ああ、お父さん、その初版本がほしいのに。なんでもらわなかったの」
 そういうと、ひと言、
「興味、なかったからな」
 あっさりいわれてしまいました。父らしいと思いました。
 話をきいて、教科書で読んだ「オツベルと象」、あるいは詩「永訣の朝」などを思いだし、おなじ岩手県出身の物語作家、詩人、宮沢賢治がきゅうに身近に感じられました。
 釧路市立図書館に十字屋書店と筑摩書房の全集があり、一冊一冊、一篇一篇けん命に読んだ記憶があります。
 凝り性のわたしはさらに、筑摩書房版の新修 宮沢賢治全集をもとめてそろえ、とにかく読みました。
 賢治のいう「たったひとりのほんたうの神さま」とは、だれなのでしょう。
 それを追い求めた賢治は、その神さまのもとに、無事たどり着けたのでしょうか。
 ひとの人生の意味、ほんとうの幸せ、食べること、お金の価値、働くとはどういうことか……そして生と死、生きることの真実を追いもとめた賢治。
 わたしには想像もつかない、神秘的で深遠な旅を賢治がしている、そう体感しました。
「銀河鉄道の夜」という遡及性と、未来への伸張力と創造性、そして感動を呼び覚ます物語は、翌月に紹介する作品に、結びついていくのです。

あゝそのときでした。見えない天の川のずうっと
川下に青や橙やもうあらゆる光でちりばめられた
十字架がまるで一本の木といふ風に川の中から立
ってかゞやきその上に青じろい雲がまるい環にな
って後光のやうにかかってゐるのでした。汽車の
なかがまるでざわざわしました。みんなあの北の
十字のやうにまっすぐに立ってお祈りをはじめま
した。

そして見てゐるとみんなはつゝつましく列を組ん
であの十字架の前の天の川のなぎさにひざまづい
てゐました。そしてその見えない天の川の水をわ
たってひとりの神々しい白いきものの人が手をの
ばしてこっちへ来るのを二人は見ました。

(長司祭パウェル及川信)

+宮沢賢治「銀河鉄道の夜」
 新修 宮沢賢治全集 第12巻、筑摩書房、1980年(初版)
 このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
 ご寛宥ください。

■2023年10月 読書と信仰 7 白い海と白鯨

まるで雲をつかむような、しかしまた非常に恐ろしい
こういう懸念は、折からのおだやかな天候のため、か
えって無気味さをくわえた。水面一帯に、俺たちの復
讐の航海を嫌悪するのあまり、骨壺のような軸の進む
ところ、まったく生気を放下したかと思われるほど、
ものうげにものさびしくしずまりかえっている海を、
いく日もいく日も航海しているうちに、あるものは、
青々としたおだやかな海の底に、なにか悪魔的な魅力
がひそんでいる、というふうに考えるようになった。
(メルヴィル「悪鬼の汐噴き」『白鯨』)

 北海道釧路市立日進小学校の図書室に、二、三人の名前しかない貸出しカードのはさまった本がありました。
 「白鯨」
 読んで衝撃をうけました。
 不思議な魅力に満ちた、うずまきのような文体と表現。
 正直、迫力にひっぱられて読んだということで、では本の内容を説明せよと言われると、困ってしまう、そんな読書でした。
 それから一年、中学に入り、早朝、新聞配達をはじめました。
 うけもった地域は、けっこう広く、市街地から千代ノ浦海岸をへて春採湖岸周辺へまわる道ぞいでした。
真冬、零下二十度を下まわる厳寒の朝、何年かぶりの流氷がきました。
 それはオホーツク海を埋めつくすようなものすごい氷原ではなく、ところどころに鉛色の海の見える氷の群れでした。
 波ひとつ、カモメの鳴き声もない、まっ白な海。
 朝陽が透明な光をはなち、凍った大気が全身をつつみました。
 荘厳、静寂の海。
 神の創造された天地の境がそこにあり、おそらくほんの一瞬の出来事でしたが、車の騒音さえありませんでした。
 生まれたての海が、初めて氷の群れをうけとめたような、なにか、不滅のエネルギーとかくされた秘事、神秘がありました。
 わたしは、うごけませんでした。
 神のおわせられる、天と地の台座がそこにあると感じました。
あの白い海を想起すると、なぜか「白鯨」を思いだします。
 子どもの頃、この町には、クジラ埠頭があり、和商市場にクジラ肉のかたまりのあったことも思いだします。
からだで、全身でぶつかり、その魅力にのまれる読書。
 理屈や論理性を放擲する、ある意味、魔力のような力づくの物語。
 そんな体験をする一冊がこの本だったのでした。

大商船のペンキ塗りの船体からそびえる旗竿みたいに
つい近頃突き刺さった高い槍の破損した柄が、白鯨の
背中に突き立っていた。そして空を舞いながら、あち
こちと鯨の上を天蓋のように掠めおおう軽い趾をした
鳥の雲霞のごとき大群のうちの一羽が、時としてこの
柄にとまり、長い尾の羽毛を槍旗のようになびかせ、
揺れていることもあった。

その輝く両脇に、鯨はなにか魅惑的なものをおとして
ゆく。猟人のなかにはこのおだやかさに言いがたい魅
惑を感じて大胆にもこれを襲撃したものがあったが、
それも不思議ではない。だがそういう連中は、この静
けさが嵐のまとう外衣にすぎぬことを、命ととりかえ
に思い知らされたのだ。それにしても、なんという静
けさ、なんという魅惑的な静けさで、おお、鯨よ! 
汝ははじめて汝を見るものの眼に、海の上をすべって
行くことか。(「追撃 第一日」)

(長司祭パウェル及川信)

+ハーマン・メルヴィル 富田彬 訳
 『白鯨』(上下)角川文庫、2023年(改版12版)
 わたしが小学生高学年の頃読んだ本は、1956年初版だったと思います。
 昔のことゆえ、定かではありません。
 このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
 ご寛宥ください。