■2023年2月 人間の体シリーズ 足 6 はだしのイイスス

授洗者イオアン(ヨハネ)はこう宣べ伝えた。
「わたしよりも優れた方が、あとから来られる。
わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く
値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼
を授けるが、その方は、聖神(聖霊)で洗礼を
お授けになる」(マルコ福音書1:7-8)

 京都生神女福音大聖堂のイコノスタス(聖障)、天門(王門)右側の救世主イイススの聖像(イコン)は、はだし(すあし)です。
 京都聖堂のイコノスタスのイイススは、ほとんど、はだしです。
 洗礼(神現)祭はもちろん、顕栄(変容)、復活、昇天のイコンでも、イイススは、はだしです。
 なぜ イイススは、はだしなのでしょうか。
 降誕のとき、はだかで生まれ、はだしでエルサレム神殿へもうで、はだしで洗礼を受け、そして顕栄(変容)され、はだしで受難の道をあゆみ、はだしで十字架にかけられ永眠し、はだしで葬られ、はだしで復活なさいました。
 この事実を目のまえにするとき、深甚なる感に打たれます。
 イイススは、はだし、すなわち生身(なまみ)の人として、生きぬいたのだ、と。
 イイススの人生の足跡は、どれほどの血の跡がにじんでいるのでしょうか。
 はだしのイイススは、どれだけ傷ついたのでしょうか。
 イイススはこよなく人を愛し、わたしたちの生を負い、はだしでわたしたちを再生へ、復生へ、復活へと導いておられるのではないでしょうか。
 はだしのイコンには、救い主の生き方とわたしたちの生き方が重なり合います。
 イイススと共に生きるとき、わたしたちは、はだしであることを自覚します。 どんな荒れ地、じゃりだらけの道、いばらの道、苦難の道であっても、怖れません。
 イイススがわたしたちといっしょに、はだしで歩いているからです。
 はだしのイイススは、わたしたちの希望と勇気です。 

(長司祭 パウェル 及川 信)

■2023年1月 人間の体シリーズ 足 5 つま先だち 背のびをしたあと

イイススはエリコに入り、町を通っておられた。そこに
ザクヘイ(ザアカイ)という人がいた。この人は徴税人の
頭(かしら)で、金持ちであった。イイススがどんな人か
見ようとしたが、背が低かったので、群衆にさえぎられて
見ることができなかった。それで、イイススを見るために
走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通りす
ぎようといておられたからである。イイススはその場所に
来ると上を見あげて言われた。「ザクヘイ、急いで降りてき
なさい。今日、ぜひあなたの家に泊まりたい」
(新約聖書「ルカ福音書」19:1~参照)

「先輩、惜しかったね。あと5センチ背が高かったら、もっと女の子にもてたのにね」、高校時代、そう部活動の後輩の女子から言われたことがあります。
 残念ながら人は、大人になってから、じぶんの背や足を思い通りの長さに伸ばすことができません。
 ザクヘイがいくら、つま先だって背を伸ばし、群衆の垣根をこえて覗こうとしても、イイススの姿が見えません。
 そのとき、ふと思いだします。あの通りには、人が登れる太さの大きないちじく桑の木があった。いっさんに走り、木に手と足をかけ、登ります。
 ザクヘイは40歳くらいであったのでしょうか。
 中年、熟年世代の涙ぐましい努力です。
 そしてイイススが一夜の宿に指名したのが、ザクヘイの家でした。
 ザクヘイの頼りにした木は、みずからの不足を補い、イイススとの出会いをもたらしました。
 手足や衣服に、擦り傷やほころびをつくってでも登らねばならない、かけがえのない機会を生みだす木でした。
 「わらしべ長者」「ジャックと豆の木」、昔話にあるような、一見なにも生みださないようなものが、神の恵みと信仰者の努力によって、変容することがあります。
 ザクヘイが希いをかなえるために機転を利かせ、けん命に路地うらを走り、木によじ登ったことが、神との邂逅(かいこう)に結びつきました。
 群衆の向こう側でつま先だち、見えないからとあっさり、あきらめてしまっていては、神との出会いはなかったでしょう。
 つま先だち、背を伸ばした、そのあとが重要です。
 つぎの一歩へ踏みだす勇気が大事であることを、ザクヘイが教えてくれます。

(長司祭 パウェル 及川 信)

■2022年12月 人間の体シリーズ 足 4 愛のしるし 足を洗う

このひとを見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あ
なたは足を洗う水をくれなかったが、この人は涙でわたしの
足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接
吻もしなかったが、この人はわたしが入ってから、わたしの
足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油をぬっ
てくれなかったが、この人は足に香油をぬってくれた。この
人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示してくれた愛の
大きさでわかる。赦されることの少ないものは、愛すること
も少ない。
(新約聖書「ルカ福音書」7:36~参照)

 旅塵(りょじん)にまみれたイイススの足にすがりつき、抱き、接吻し、涙と香油で足をぬぐった、ひとりの女性がいました。
 タオルではなく、じぶんの髪の毛をもって足をぬぐいます。
 悲しくて、つらくて、目をあげてイイススを仰ぐことができません。
 イイススは、神は、その女性をうけいれます。
 福音書は、罪深い女と表現しています。
 人の世の律法(法律)では、罪深いひとであったのでしょう。
 まわりの人にさげすまれ、うとまれていました。
 でも慕われた神からすると、愛さずにはいられない、かけがえのない人でした。
 罪の赦しと何でしょうか。
 神がわたしたちを裏切らないので、わたしたちは試練をうけとめることができます。
 神が信じてくださるので、わたしたちは希望をもてます。
 神が愛してくださっているので、わたしたちは平安になれます。
 ようやく顔をあげた女性の瞳をみて、イイススは言いました。
「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」
生き直す、再生。
 復生(ふくせい)を信じましょう。    

(長司祭 パウェル 及川 信)

■2022年11月 人間の体シリーズ 足 3 つまずく 躓く

わたしの信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、
大きな石臼(いしうす)を首にかけられて、海に投げ込まて
しまうほうがはるかによい。もし片方の手があなたをつまず
かせるのなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったま
ま、地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても
命にあずかるほうがよい。
(新約聖書「マルコ福音書」9:42~参照)

 イイススは語ります。
「つまずきは避けられない。だが、それをもたらす者は不幸である」(ルカ17:1)
 祈りの基本は、じぶん以外のほかの人のために祈ることです。
 たとえば、ゲフシマニア(ゲッセマネ)の祈りで、主イイススは、
「アッバ、父よ、あなたはなんでもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心(みこころ)にかなうことが行われますように」(マルコ14:36)
 と祈ります。
 神の子として献身し、犠牲となり、すべての人を救うための祈り。
 このイイススの祈りは、わたしたちが祈るとき、つねに念頭におかねばならない心を教えてくれます。
 この祈りをさまたげ、奉仕と献身をあざ笑い、ひとの信仰を誤らせるように仕向ける「つまずきの石」を置く者は、みずからのつまずきに気づいていません。
 イスカリオテのユダのように、つまずきの石を、じぶんで抱えている人、それらを捨て去る勇気を発掘できない人は不幸です。
 最大のつまずきの石は、不信、「疑い」です。
 疑えば疑うほど、ひとは、ひがみっぽくなり、恨んだり憎んだり呪ったり、嚇怒(かくど)するようになります。
 疑えば疑うほど、ひとは心がもろく、弱くなっていきます。

 祈れば祈るほど、人は強くなります。
 その強さは、暴風にあおられても折れたり、倒れたりしない、しなやかで強靱な、不屈の勇気、希望を宿します。
それでは、じぶんが救われないではないか、犠牲ばかりなのか……。
 ちがいます。
 ほかのひとが救われ、神にあたえられた命を全うするとき、わたしたちも共に生きます。
 祈りは、他者も じぶんも 生かします。
 疑わずに 人を、神を 信じ、愛することが、つまずきの石を乗りこえさせます。
 祈りのひとは、つまずいても起き上がり、立ち直る、よみがえりの生き方をえようと、渾身のちからをふるいつつ けん命に生きることでしょう。     

(長司祭 パウェル 及川 信)

※聖像(イコン) 「イイススへの悪魔(サタン)の誘惑」

■2022年10月 小さな小さな子供たちの詩

小さな小さな子供たちの詩
СТИХИ ДЛЯ САМЫХ МАЛЕНЬКИХ


絵:ワルワラ・ボンディナ(1974-2013)
Рисунок: Варвара Бондина (1974-2013)

 

***
羽ばたくお客さん

ちょうちょが家に舞(ま)い降りた
何とかそれを捕(つか)まえた
傷(きず)をつけないように
翅(はね)をいためないように…
玄関(げんかん)につれていき、そこで
花たちのところに飛ばせた!

КРЫЛАТАЯ ГОСТЬЯ

Бабочка влетела в дом,
Я поймал её с трудом –
Чтобы ей не навредить,
Крылышки не повредить…
Вынес на крыльцо и там
Отпустил её к цветам!

***
友だち

ワーニャくんの友だちは病気になった
喉(のど)はヒリヒリし始まった…
ワーニャくんはお見舞(みま)いに行き、
慰(なぐさ)め、ごちそうしてあげて、
そして、いちばん大事なこと、
彼のために祈りはじめた!

ДРУГ

Заболел у Вани друг:
Началась ангина вдруг…
Ваня друга посетил,
Пожалел и угостил,
И, что нам важней всего, -
Стал молиться за него!

***
やさしい花束(はなたば)

おばあちゃんは窓を見ている
外に行きたがっているけど、
家の中でも玄関(げんかん)にも
足が辛(つら)くて行けない…
だから弟といっしょに内緒(ないしょ)で
花束(はなたば)を持っていった
おばあちゃんはほほえんだ
「まるでみんなで散歩に出かけたみたい」

ДОБРЫЙ БУКЕТ

Смотрит бабушка в окно,
Ей на улицу бы, но –
Даже дома до порога
Тяжела ногам дорога…
Мы с братишкою без слов
Принесли букет цветов.
Бабушка заулыбалась:
«Словно с вами прогулялась!»

***
正確(せいかく)に数える

朝から数字(すうじ)の勉強(べんきょう)
「一、二、三、四、五…」
ママが言う。「六!」
ママが言うなら、納得(なっとく)!

ТОЧНЫЙ СЧЕТ

Я с утра учусь считать:
«Раз, два, три, четыре, пять…»
Мама говорит мне: «Шесть!»
Значит, так оно и есть!

***
仲良(なかよ)しのお祈り

私たちは毎日、家族みんなで
(怠(なま)けるときもあるけど)
仲良(なかよ)くいっしょにお祈りに立っている
これはとてもとても大切なこと

ДРУЖНАЯ МОЛИТВА

На молитву каждый день,
(Хоть порой бывает лень…)
Всей семьей встаем мы дружно -
Это очень-очень нужно!

***
神の世界

なんと豊かな思いやりと知恵(ちえ)をもって
神は身の回りのすべてを整(ととの)えたのでしょう
毎日、夜のつぎに朝がきて、
道を帰ると、またおうちだよ!

それから、また暗くなる
地球(ちきゅう)の一人一人
力のかぎり働いた後に
夜には休めるように!

БОЖИЙ МИР
Как заботливо и мудро
Бог устроил всё кругом:
Каждый день за ночью – утро,
За дорогой – снова дом!

А потом опять темнеет,
Чтобы жители Земли,
Потрудясь, кто как сумеет,
Ночью отдохнуть смогли!

***
ほんとうの友情(ゆうじょう)

友だちが友だちを傷(きず)つけたけど
二人はずっといっしょにいる
だって、友だちだから頑張(がんば)って、
友だちをゆるしたから!

НАСТОЯЩАЯ ДРУЖБА

Друг обидел друга, но -
Они вместе все равно,
Потому что – что есть сил,
Друг обидчика простил!

***
最高(さいこう)のボール

砂場(すなば)で遊んでて
バケツを失(な)くしちゃった…
友だちが「泣かないで、
ほら、ぼくの最高(さいこう)のボールあげるから」

ЛУЧШИЙ МЯЧ

Я в песочнице играл
И ведерко потерял…
Говорит мне друг: «Не плачь,
Вот тебе – мой лучший мяч!»

***
小さなお手伝い

おばあちゃんを
手伝っていた
おばあちゃんといっしょに
もっとゆっくり歩いていた!

МАЛЕНЬКАЯ ПОМОЩЬ

Бабушке я
Помогал:
С ней –
Помедленней шагал!

***
尊敬(そんけい)

お母さんはいつもどおり忙(いそが)しかった
娘はお手伝いできた
お母さんが驚(おどろ)くほど
「私の娘は大きくなった!」

УВАЖЕНИЕ

Мама, как всегда, трудилась…
Дочка ей смогла помочь –
Так, что мама удивилась:
«У меня – большая дочь!»

***
「わたし」と「わたしたち」

よくわたしは「わたし!」と言っていた
でも、ある日、友だちはわたしに
真冬(まふゆ)の花みたいに
「わたしたち」のことばを贈(おく)ってくれた

«Я» и «МЫ»

Говорил я часто: «Я!»
Но однажды мне друзья,
Как цветок в разгар зимы,
Подарили слово: «Мы!»

***
むじゃきな散歩(さんぽ)

お母さんと町の公園で
池で魚にエサをやって、
路地(ろじ)を歩き、
ベンチで一休み
そして、一本道を
散歩してから、家に帰った。
…またカブトムシをみた。
みたけれど、じゃましなかった!

БЕЗОБИДНАЯ ПРОГУЛКА

С мамой в городском саду
Мы кормили рыб в пруду,
Погуляли по аллейке,
Отдохнули на скамейке,
И дорогою прямой,
Погуляв, пошли домой.

… А еще жука мы видели,
Видели и – не обидели!

***
全部(ぜんぶ)きまり通り!

「お母さん! お母さん! シラカバに
葉っぱが一枚も残っていない…」
「悲しまないで、涙を拭(ふ)こうね!
これには理由(りゆう)があるからね!

世界(せかい)にはきまりがあって
神がくれたもの! これもそう
木は夏に疲れるから、
冬は一休み!

ВСЁ В ПОРЯДКЕ!

«Мама! Мама! У березки
Не осталось ни листа…»
«Не печалься, вытрем слёзки!
Это, дочка, неспроста!

Есть порядок в мире этом -
Богом данный! Так и тут:
Устают деревья летом,
А зимою – отдохнут!»

***
もっとも良い道

良い道は
玄関(げんかん)から神への一本道
そして、毎日毎日
家族みんなでその道を歩いている時!

ЛУЧШАЯ ДОРОГА

Хорошо, когда дорога –
Прямо к Богу от порога,
И когда мы день за днём
Всей семьёй по ней идем!

***
いろいろな言葉(ことば)

良い言葉(ことば)がこんなにたくさん!
けど、言っておくけど、
そうじゃない言葉もあるよ
わたしとは友達じゃない
なぜって
良くないない言葉(ことば)だから!

РАЗНЫЕ СЛОВА

Как много слов хороших!
Но скажу:
Что есть слова другие,
С которыми я не дружу,
Так как они -
Плохие!

***
早めの準備(じゅんび)

毎年、友達と
ハイキングに行く準備(じゅんび)をしている
川や野原(のはら)を通って、
山や海を渡って!
けれど、大きくなるまで、
どこにも行けないよ!…

РАННИЕ СБОРЫ

Мы с друзьями каждый год
Собираемся в поход:
Через реки и поля,
Через горы и моря!
Но, пока не подрастем –
Никуда мы не пойдем!..

***
聞き分けのいいブランコ

「ママ!ブランコに乗っていい?」
「いいよ、ただ気を付けて!」
ブランコに急いだけど
とにかく気を付けよう!

ПОСЛУШНЫЕ КАЧЕЛИ

«Мама! На качели можно?»
«Можно, только – осторожно!»
Я скорей кататься, но –
Осторожно всё равно!

***
娘の思いやり

夜になってママはくたくた…
遊ぶのをやめて
すぐにママのところに駆(か)けつけて
手伝うよ、できることは何でも

ДОЧКИНА ЗАБОТА

Мама к вечеру устала…
Я играться перестала
И быстрее к ней бегу:
Помогу – всем, чем смогу!

***
真っ先(まっさき)に…

パパが贈(おく)りものを持ってきてくれた
切手と切手帳(きってちょう)!
パパにありがとう!
切手を見るのはそれから…

ПЕРВЫМ ДЕЛОМ…

Папа мне привез в подарок
Марки и альбом для марок!
Папу я благодарю!
Марки – после посмотрю…

***
大人(おとな)になったら

パパとママが今
わたしたちのために何でもしてくれるけど
大きくなったら、パパとママの世話(せわ)を
してあげるよ!

ВЗРОСЛАЯ ПОМОЩЬ

Папа с мамою сейчас
Делают всё-всё для нас!
Вырастем, и мы о них
Позаботимся самих!

***
神との一日!

朝起きると
すぐに神に祈(いの)るよ!
そして、一日中(いちにちじゅう)、どんな道でも
神といっしょに一歩一歩

ДЕНЬ С БОГОМ!

Утром, только я проснусь,
Сразу Богу помолюсь!
И весь день, по всем дорогам
Прошагаю – вместе с Богом!

***
誰かのコイン

地面にコイン
いっしょうけんめい走った!
でも、パパはそれを見て
すぐ止めた…

パパはちっとも怒らなかったけど、
きびしく言った。「いいかい、
自分で努力しなかった物は
けっして拾ってはいけない!」

ЧУЖАЯ МОНЕТА

На земле лежит монета,
Я скорей к ней побежал!
Только папа, видя это,
Меня сразу придержал…

Он ничуть не рассердился,
Но сказал мне строго: «Знай,
То, над чем ты не трудился, -
Никогда не поднимай!»

***
うたがわしい友情(ゆうじょう)

一番の友だちと
おもちゃでケンカするなら
その友情(ゆうじょう)は、残念ながら
うたがわしい!

СОМНИТЕЛЬНАЯ ДРУЖБА

Если лучшие подружки
Ссорятся из-за игрушки,
То их дружба, к сожаленью,
Подвергается - сомненью!

***
優(やさ)しい力

お兄さんはとても強い
けど、自慢(じまん)しない
誰も傷(きず)つけない
逆(ぎゃく)に、皆を守るだけ!

ДОБРАЯ СИЛА

Брат мой очень сильный, но
Не гордится всё равно,
Никого не обижает,
Но зато – всех защищает!

***
うれしい光

喜びを分かち合って
いつも優(やさ)しく振(ふ)るまえば、
うれしい顔だけを
いつも目にするよ!

РАДОСТНЫЙ СВЕТ

Если радостью делиться,
И добро нести всегда, -
Только радостные лица
Будем видеть мы всегда!

***
良い知らせ

リンゴの木が病気になったので
冬まで看病(かんびょう)していた
春になると、その芽(め)から
新しくて、元気な!葉(は)っぱが出た

ХОРОШАЯ НОВОСТЬ

Заболела яблонька, и мы -
Деревце лечили до зимы!..
А весною выпустили почки
Новые – здоровые! – листочки!

***
神は私たちと一緒にいる

私たちは家族みんなで
今祈っている
ということは、
神は目に見えないけど、私たちと一緒にいる

С НАМИ – БОГ!

Мы всей семьёю
Молимся сейчас,
И значит –
Бог незримо среди нас!

***
神の贈(おく)り物

ママが私に教えた一言(ひとこと)
「自然(しぜん)は美しい、どんな季節(きせつ)でも。
でも一つ覚えておかないと。自然を
神が私たちに、喜(よろこ)びのために与えてくれたことを!」

БОЖИЙ ДАР

Мама мне сказала, что природа
Хороша в любое время года:
Нужно только помнить, что она
Богом нам - для радости дана!

***
大切な質問

「パパ! 神は誰を救うの?」
「主に向かう人たちさ!
それなら、どうしていつも
みんな主に向かわないの?!」

ВАЖНЫЙ ВОПРОС

«Папа! Бог кого спасёт?»
«Тех, кто к Господу идёт!»
Почему же мы тогда
Не идем к Нему – всегда?!»

***
熱い助け

窓の外で吹雪(ふぶき)がうなっている
でも、家(うち)は頑丈(がんじょう)!
そして、野原にいる者のために、
しかたなく路上(ろじょう)にいる者のために
このとても大変な時に
今祈ろう!

ГОРЯЧАЯ ПОМОЩЬ

Воет вьюга за окном,
Но у нас – надёжный дом!
А за тех, кто в чистом поле
И в дороге поневоле –
В этот очень трудный час
Мы помолимся сейчас!

***
仲直(なかなお)り

もし友だちが急に怒り出したら、
こう言ってね。「約束するよ!
ぜんぶ許すし
ぜんぶ忘れるって!」

ПРИМИРЕНИЕ

Если друг обидит вдруг,
Ты скажи ему: «Мой друг!
Я тебя - совсем прощаю
И забыть всё обещаю!»

***
明るい道

麦粒(むぎつぶ)は土にまかれた…
麦粒(むぎつぶ)は怒ったけど、
しばらくすると、太陽に向かって伸びて、
それから穂(ほ)が実った!

СВЕТЛЫЙ ПУТЬ

В землю бросили зерно…
Возмущалось оно, но –
Вскоре к солнышку пробилось,
А потом – заколосилось!

***
ママの秘密(ひみつ)

ママは何でも何でもできる!
ただいつも疲れている…
けど、娘(むすめ)が手伝ってくれるとき、
ママはぜったい疲れないわ!

МАМИН СЕКРЕТ

Мама всё на свете может!
Только устаёт всегда…
Но когда ей дочь поможет -
Не устанет никогда!

***
すてきな仕事

パパは釘(くぎ)をトントン
ぼくはパパに釘を渡していた
パパが釘を曲(ま)げてしまうと、
ぼくはパパの指をふうふうしてあげた…
それから、ぼくたちは楽しく遊んだ、
「ああ、とてもすてきに働いた!」

СЛАВНАЯ РАБОТА

Папа гвозди забивал,
Я ему их подавал
И когда он гвоздь согнул,
То ему на палец дул…
А потом мы веселились:
«Ах, как славно потрудились!»

***
天に昇(のぼ)るはしご

祈りは天へのはしご
一段、また一段…
天に昇るはしご
私には毎日ひつよう!

私は階段(かいだん)を昇っている
一段ずつ、神へと向かっている!

ЛЕСТНИЦА-НЕБЕСНИЦА

Молитва – к Небу лестница:
Ступень, еще ступень…
Лестница-Небесница
Нужна мне каждый день!

Я иду в дорогу
По ступенькам – к Богу!

***
最高(さいこう)の助け

おばあちゃんは病気
私たちは今みんなで祈っている
パパとママは涙(なみだ)して
私たちは悲しい目で
弟さえ眠(ねむ)らず
膝(ひざ)をかがめている!

ЛУЧШАЯ ПОМОЩЬ

Бабушка больна у нас,
Все мы молимся сейчас:
Папа с мамой - со слезами,
Мы - с печальными глазами…
Даже младший брат не спит –
На коленочках стоит!

***
お祈り

パパは言った
「お祈りは神との会話!」
そして、その時から神に向かいながら
私は祈っている!

МОЛИТВА

Папа сказал:
«Молитва – с Богом разговор!»
И – обращаясь к Богу,
Я молюсь с тех пор!

***
言葉(ことば)の野原(のはら)

役立(やくだ)つ言葉も
雑草(ざっそう)のような言葉もある。
話す言葉に注意(ちゅうい)すると
いい子いい子!

ПОЛЕ СЛОВ

Есть полезные слова,
Есть – как сорная трава…
Хорошо, когда следим
Мы за тем – что говорим!

***
やさしさ

やさしくて、思いやりのある
言葉は
助けることも
癒(いや)すこともできるよ!

ДОБРОТА

Доброе и ласковое
Слово –
И помочь,
И исцелить готово!

***
大人(おとな)の会話

「ママ、罪って何?」
「それはみんなを
炎(ほのお)のように焦(こ)がすもの
神から遠ざける…」
「それならどうしたらいいの?
だって、主がいないと大変!」
ママは娘を慰(なぐさ)め
ほほえんで付け加える
「さいわい、私たちにはまだ
痛悔(つうかい)がある!」

ВЗРОСЛЫЙ РАЗГОВОР

«Мама, что такое грех?»
«Это, дочка, то, что всех –
Словно пламя опаляет
И от Бога отдаляет…»
«Что же делать нам тогда?
Ведь без Господа – беда!»
Мама дочку утешает
И с улыбкой добавляет:
«К счастью, есть пока для нас –
Покаяние сейчас!»

***
いちばん大切な本

わたしたちは妹も弟もいっしょに
一番大切な本と仲が良い
それは子供たちの聖書(せいしょ)
主はそれを子供たちに与えた

ГЛАВНАЯ КНИГА

Мы с сестрёнкой и братишкой
Дружим с главной детской книжкой:
С детской Библией, она
Детям – Господом дана!

***
天の友

私には自分の天使(てんし)がいる
天使はいつでもどこでも一緒(いっしょ)にいる
助けて、教え、
不幸(ふこう)から守って、
毎日救いに
私を導(みちび)いている
天使は私の天の友、
明るくて、すばらしいもの

НЕБЕСНЫЙ ДРУГ

У меня есть Ангел мой –
Он всегда, везде со мной:
Помогает, обучает,
От напастей защищает,
И ведёт день изо дня
Ко спасению меня!
Он – мой друг Небесный,
Светлый и чудесный!

***
信仰(しんこう)

「どんなに難(むずか)しくても、
神と一緒になら、何でもできる!」と
自分が苦(くる)しかったとき
お兄ちゃんが言った!

ВЕРА

«Как бы ни было нам сложно,
С Богом – в жизни всё возможно!» -
Брат сказал, когда ему
Было трудно самому!

***
まじめな遊び

弟と積(つ)み木で遊んでいた
いちばん良い言葉を探していた…
パパが手伝ってくれて
「かみ」のことばを(く)み立てた

СЕРЬЁЗНАЯ ИГРА

Мы с братом в кубики играли,
Лучшее слово подбирали…
И в этом папа нам помог:
Взял и составил слово: «Бог»!

 

修道士ワルナワ・サニン
修道士ワルナワ・サニン
修道士ワルナワの作品・翻訳は、どなたでもご自由に引用できます。
ただし、引用の際には、必ず著者の名前をご記載下さい。

Монах Варнава Санин. Цитировать произведения или перевод работ монаха Варнавы Санина может каждый при указании имени автора.

■2022年10月 人間の体シリーズ 足 2 裸足(はだし)になりなさい

モーセ(モイセイ)は、あるとき、神の山ホレブに来た。
そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使
いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は燃えているのに、
柴は燃え尽きない。モーセは言った。
「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どう
してあの柴は燃え尽きないのだろう」
主は、モーセが道をそれて見に来るのをご覧になった。
神は柴の間から声をかけられ、
「モーセよ、モーセよ」と言われた。
彼が「はい」と答えると、神が言われた。
「ここに近づいてはならない、足から履き物をぬぎな
さい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから」
(旧約聖書「出エジプト記3章参照)

 不思議な描写です。
 モーセは、燃え尽きない炎に誘われたのでしょうか。
 それとも、炎のなかの御使い、神の使い、天使のすがたを感じたのでしょうか。
 こんなに烈しく燃えているのに、いつまでたっても焼滅しない神秘の現象にこころ奪われ、行かねばならない山道をはずれ、初めての道を歩みはじめます。
 道をそれることに、不安や恐怖はなかったのでしょうか。
 人生は二者択一、選択の連続でありますが、モーセの勇気が、見知らぬ道をえらばせました。
 燃える柴の中から、名前を呼ばれたモーセは、はい、と答えます。
 楽園から追放されたアダムとエバ(イブ)は、返答しませんでしたが、モーセは、答えています。
 すると神は、燃える火の粉の飛び散る中にあって、裸足になれと命じます。
 ある聖なる師父は、こう諭されています。
「わたしたちは、じぶんの真の姿を知ることをさけてはならない」
 じぶんの真のすがたを直視すること、すなわち裸足で新たな道、生き方を選択することは、もしかしたら炎の道、痛みをともなう茨の道を生きることなのかもしれません。
 無謀と、神を信じる勇気ある冒険は、紙一重なのかもしれません。
 努力したからといって、望む結果が得られるとは限りません。
 けれども新たな道、生き方に挑戦し、努力をつづけるものだけが、栄冠をえられることも現実です。
 聖師父はこう語ります。
「いったん手をつけた仕事に必要なだけの辛抱を身につけなさい。労苦をいとわず、神を信じてあゆみ、この道にあって進歩し、徳にいたりなさい」
神は、おびえ、不安に満ちるモーセにこう語っています。
「わたしはある、という方が、わたしをあなたたちに遣わされた」
 信じ、勇気をふりしぼり、希望をもって「神の道」にそれたものが、ときには神のもとにたどり着くのでしょう。     

(長司祭 パウェル 及川 信)

■2022年9月 人間の体シリーズ 足 1 平和を告げるひと

見よ、よい知らせを伝え
平和を告げる者の足は山の上へ行く。
(旧約聖書「ナホム書」2:1)

 よき知らせを、福音といいます。
 嘉音とも表現します。
 ひとによってよき知らせには、ちがいがあるのでしょうが、正教会(オーソドックス・チャーチ)は、神との出会い、洗礼をうけ、神の道を歩みはじめること、挫折から再起へ、心機一転すべく目覚めることが重要だと教えます。
 正教会の言葉は、古くて含蓄のある聖言がいくつもあります。
  降福(こうふく)
  神恩(しんおん)
  恩寵(おんちょう)
 最初に引いた聖句「平和を告げる者の足は山の上へ行く」、この山とは、どこをさし、どんな山を登るのでしょうか。
 たとえば、モーセが十誡(十戒)の石板を恩賜されたシナイ山。
 主イイススが変容されたタボル山(あるいはヘルモン山)。
 神の国を象徴するシオン山。
 イイススが十字架を負うて歩まれた行く先、ゴルゴダの丘。
 広義においてシオン山の一部にふくまれるというゴルゴダの丘は、神の創造されたエデンの園の近くにあったそうです。アダムとエバを葬ったお墓のあったところともいわれています。
 シオン山はかつて、アダムとエバ(イブ)が食べてしまった果実を産する善悪を知る木ばかりでなく、生命(いのち)の木がはえている楽園であったといいます。
 平和を告げる者である救い主イイススは、ゴルゴダへのぼり、十字架にかけられ、死をもって死を滅ぼし、復活の生命を実現しました。
イイススの受難の十字架は、再生、復生の木、すなわち生命の木を預象(よしょう)しています。
 主の復活の聖像(イコン)には、死の上に立つ者、十字架を踏みしめ、アダムとエバを永遠の生命へと引き揚げる救世主の姿が描かれます。
 救い主イイススは神の山に登頂し、神と人とを和解させ、平和を実現し、ひとに真の生き方をもたらしました。
 イイススは宣べています。
「和平を行う者は福(さいわい)なり、かれら神の子と名づけられんとすればなり」(マトフェイ、マタイ福音書5:9)
それゆえ聖使徒パウェルはわたしたちにこう語りかけるのです(エフェス6:15)。
「平和の福音を告げる準備を履物(はきもの)としなさい」

(長司祭 パウェル 及川 信)

■2022年8月 ハリストスは「天をあおぎて祝福し、餅(パン)を擘(さ)きて、これを門徒(もんと)にあたえ、門徒民にあたえたり」(マトフェイ14:19)

ハリストスは「天をあおぎて祝福し、餅(パン)を擘(さ)きて、これを門徒(もんと)にあたえ、門徒民にあたえたり」(マトフェイ14:19)
Христос«воззрел на небо, благословил и, преломив,дал хлебы ученикам, а ученики народу»(Мф. 14:19)

目次
• マトフェイ14:19. ハリストスは「…天をあおぎて祝福し、餅(パン)を擘(さ)きて、これを門徒にあたえ、門徒民にあたえたり」聖金口イオアン
Мф. 14:19. Христос «воззрел на небо, благословил и, преломив, дал хлебы ученикам, а ученики народу» (Св. Иоанн Златоуст).
• 二つの道(たとえ話:修道士ワルナワ・サニン)
Две дороги (притча, монах Варнава Санин)
• マトフェイ14:23-24. 「民を去らしめて後、彼は独処(どくしょ)において祈禱(きとう)せんために山に登り…」聖金口イオアン
Мф. 14:23-24. «И, отпустив народ, Он взошел на гору помолиться наедине» (Св. Иоанн Златоуст).
• 手作りのイコン(詩:修道士ワルナワ・サニン)
Икона самодельная (стихотворение, монах Варнава Санин)
• マトフェイ17:10. 「門徒彼に問いて曰(い)えり、しからば学士らがイリヤ先に来るべしというは何ぞや」金口イオアン
Мф.17:10. «И спросили Его ученики Его: как же книжники говорят, что Илии надлежит придти прежде?» (Св. Иоанн Златоуст)
• ロウソク(たとえ話:修道士ワルナワ・サニン)
Свеча (притча, монах Варнава Санин)
• マトフェイ18:21. 「主よ、我が兄弟我に罪を得ば、幾次(いくたび)これにゆるすべきか、七次(ななたび)までか」金口イオアン
Мф.18:21. «Господи! сколько раз прощать брату моему, согрешающему против меня? до семи ли раз?» (Св. Иоанн Златоуст)
• 至聖なる生神女マリヤの就寝祭(しゅうしんさい)(詩:修道士ワルナワ・サニン)
Успение Пресвятой Богородицы (стихотворение, монах Варнава Санин)
 

ハリストスは「天をあおぎて祝福し、餅(パン)を擘(さ)きて、これを門徒(もんと)にあたえ、門徒民にあたえたり」(マトフェイ14:19)

ここからわたしたちは別の何かも学びます。すなわち、必要な要求を満足させることにおける門徒たちの節度(せつど)と、彼らが食事についてどれほど少ししか慮(おもんぱか)らなかったかわたしたちは悟ります。彼らは十二人でした。しかし、持っていたのは五つのパンと二匹の魚だけです。これほど少なくしか、彼らは肉体に属することを慮らず、神°(しん)に属することだけに従事(じゅうじ)していました! しかも、この少ないパンも取っておかず、彼らが頼まれるや否や、それらもあたえました。ここから、わたしたちは自分で少ししか持っていないとしても、それも貧乏な人にあたえなければならないことを学ぶ義務があります。…主がこのような場所を選び、パンと魚の他に何も与えず、皆に一つの共通の食事をあたえ、誰にも他の人以上に割り当てなかったのは、謙遜(けんそん)、自制(じせい)、愛を、わたしたち皆が互いにひとしく扱い、すべてを共通のものと見なすことを学ばせるためです。「餅(パン)を擘きて、これを門徒にあたえ、門徒民にあたえたり」。五つのパンを擘(さ)き、配りました。しかも、この五つのパンは門徒たちの手において尽きることがありませんでした。(聖金口イオアン)

Христос «взяв пять хлебов и две рыбы …, воззрел на небо, благословил и, преломив, дал хлебы ученикам, а ученики народу» (Мф. 14:19).
Отсюда научаемся и другому, именно: познаем умеренность учеников в удовлетворении необходимых потребностей, и то, как мало заботились они о пище. Их было двенадцать человек; а они имели при себе только пять хлебов и две рыбы. Столь мало радели они о плотском, а занимались только духовным! Да и этих немногих хлебов не стали удерживать, а и их отдали, как скоро попросили у них. Отсюда должны мы научиться, что хотя имеем у себя и малость, и то обязаны отдавать нуждающимся… Господь для того избрал такое место, дал не более, как хлебы и рыбу, предложил всем одну общую пищу и никому не уделил больше другого, чтобы научить смиренномудрию, воздержанию, любви, – тому, чтобы мы все равно были расположены друг к другу и все считали общим. «И, преломив, дал хлебы ученикам, а ученики народу». Пять хлебов преломил и роздал, и эти пять хлебов в руках учеников не истощались. (Св. Иоанн Златоуст)

二つの道
交差点(こうさてん)で二つの道が出会った。せまい道とひろい道。
―「全くあなたは自分をなおざりにしている。砂利だらけ、でこぼこ、いばらは伸びほうだい」とひろい道はせまい道を責めはじめた。―「あなたのせまい道の旅人は疲労(ひろう)か空腹(くうふく)で死んでしまうよ! でも、わたしはちがう。うつくしくて、なだらか! わたしのひろい道ぞいには、カフェ、レストラン、あらゆる娯楽(ごらく)をそなえた建物。たのしい暮らし!……」
―「どうして急に口をつぐんだの? あなたの言葉からすると、あなたは楽しく暮らしている!」とせまい道はおどろいた。
―「たしかに楽しいけど・・・」とひろい道はため息して答えた。「でも、わたしの終わりにはどん底。底なし、まっ暗、くらやみ。あなたに説明できないほどの。多くの人はそれを知りさえしない。知っている人も、はねつけるだけ。たぶん真実を知らないから。しかし、わたしは十分そのどん底を見たことがあるので、いちばん恐ろしいのはそこにいつか落ちること。だって、それがもう永遠になるかもしれないから! えっと、あなたはどう?
―「むずかしい!」とせまい道はため息した。「そして、わたしの上を歩いている者もかんたんじゃない。しかし、わたしの道の終わりは山がある。そして、その山を登りきった人々は説明できないほど明るくて、喜びあふれ、しあわせ!そして、わたしも何よりそこにいたい。だって、それがもう永遠になるから!
二つの道はこのように話し、別々の方向に向かった。
この話しをぜんぶ聞いた人はその交差点にのこった。
そして、ふしぎなことに、まだそこに立って、どの方向に向かうかまだ考えている!
(修道士ワルナワ・サニン)

ДВЕ ДОРОГИ
Встретились на развилке две дороги. Узкая и широкая.
— Совсем ты себя запустила: вся в острых камнях, колдобинах, колючим тернием заросла! – принялась упрекать широкая узкую. – Твои путники того и гляди помрут от усталости или голода! То ли дело я: красивая, гладкая! Вдоль меня кафе, рестораны, дома со всеми удобствами. Живи – веселись!..
— Что это ты вдруг замолчала? Ведь, судя по твоим словам, живется тебе хорошо! – удивилась узкая дорога.
— Хорошо-то оно хорошо… – вздохнула в ответ широкая. – Да только в конце меня – пропасть. Бездонная, черная, мрачная. Такая, что и описать тебе не могу. Многие люди даже и не подозревают о ней. А те, что знают, только отмахиваются. Видно, всей правды не ведают. А я вот так на эту пропасть насмотрелась, что больше всего на свете боюсь однажды сползти в нее. Ведь это, боюсь, уже будет тогда навсегда! Ну, а ты как живешь?
— Трудно! – вздохнула узкая дорога. – И тем, кто по мне идет, нелегко. Но зато в конце моего пути – гора. И взошедшие на нее такие светлые, радостные, счастливые, что я и описать тебе не могу! И знаешь, я больше всего тоже хочу там оказаться. Ведь это надеюсь – будет уже навечно!
Поговорили дороги и разошлись в разные стороны.
А на развилке той человек остался, который все это слышал.
И вот что странно: до сих пор там стоит, еще думает, на какую ему свернуть дорогу!
Монах Варнава Санин

「民を去らしめて後、彼は独処(どくしょ)において祈禱(きとう)せんために山に登り、すでに暮れて、独りかしこに在りき。時に舟(ふね)海の中に在りて、浪(なみ)にゆられたり、風の逆(さか)いしゆえなり」(マトフェイ14:23-24)。
主は何のために山に登りますか。神に祈らなければならない時に、荒野(あらの)や孤独(こどく)がどれほど便利であるかわたしたちに教えるためです。それ故、ハリストスはしばしば荒野に行き、度々そこで祈りの中に夜を過ごしています。わたしたちを静かな祈りに向かわせるような時と場所を選ぶ事をわたしたちに教えています。荒野は沈黙(ちんもく)の母であり、平穏(へいおん)であり、あらゆる心配からわたしたちを匿(かく)まう湾です。さて、ハリストスは祈りのために山に登りました。門徒たちは再び波と戦い、以前と同じように嵐に遭(あ)います。しかし、その時、嵐の間ハリストスは彼らとともに船にいましたが、今は彼らたちだけです。主は少しずつ、徐々に彼らをより大きなことに導き、すべてに勇敢(ゆうかん)に耐えるように慣らします。(聖金口イオアン)

«И, отпустив народ, Он взошел на гору помолиться наедине; и вечером оставался там один. А лодка была уже на средине моря, и ее било волнами, потому что ветер был противный» (Матф. 14:23–24).
Для чего Господь восходит на гору? Чтобы научить нас, насколько удобны пустыня и уединение, когда нужно молиться Богу. Для того Он часто уходит в пустыни, и неоднократно проводит там ночи в молитве, уча нас избирать такое время и место, которые бы нас располагали к спокойной молитве. Пустыня есть матерь безмолвия, покой и пристань, укрывающая нас от всякой тревоги. Итак, Христос для молитвы взошел на гору; а ученики опять борются с волнами и претерпевают бурю, как и прежде. Но тогда во время бури Христос был с ними на корабле, а теперь они одни. Господь постепенно и мало-помалу ведет их к большему, и приучает переносить все мужественно. (Св. Иоанн Златоуст)

手作りのイコン
去年のカレンダーは喜びをいっぱい
わたしに贈っている
だって「変容祭」
という祭日がそこで描かれている!

カレンダーと厚紙、のりをとった。
厚紙の四角に
その絵を上に貼り付けた。
どうなった?イコンになった!

拝むのはわたしだけど、
でも大好きなイコンよ!
(修道士ワルナワ・サニン)

ИКОНА САМОДЕЛЬНАЯ
Много радости мне дарит
Прошлогодний календарик —
Ведь на нем изображенье
Праздника <Преображенье>!
Взял его, бумагу, клей я
И картинкой вверх приклеил
На квадратик из картона.
Получилось что? Икона!
Пусть лишь мною чтимая,
Но зато — любимая!
(Монах Варнава Санин)

「門徒彼に問いて曰(い)えり、しからば学士(がくし)らがイリヤ先に来るべしというは何ぞや」(マトフェイ17:10)。
さて、門徒たちが聖書からその事を知ったわけではなく、学士たちが彼らに啓いたのです。それについてのうわさは、ハリストスについてのうわさと同じように、一般の民のあいだに伝わりました。だからこそ、サマリヤの女も「メッシヤ…は来らん、彼来る時、ことごとく我らに告げん」(イオアン4:25)と言ったのです。学士たちもイオアンに「なんじはイリヤなるか。…預言者なるか」(イオアン1:21)と訊いていました。…聖書はハリストスの、当時と将来という二つの降臨(こうりん)について語っています。パウェルも、両方の降臨に注意を向けながら、言いました。「神の恩寵(おんちょう)、衆人に救いを施す者は現れて、我らに、不敬虔(ふけいけん)と世俗(せぞく)の慾(よく)とを離れて、自ら制し、義と敬虔とをもって今の世に生(いのち)を度(わた)り」。これが一方の降臨です。さらに、もう一方の降臨についてどう話しているか聞いてください。これらの言を言ってから、「望むところの福、および大なる神、我らの救主イイスス ハリストスの光栄の現(あらわれ)を待つことを教(おし)う」(ティト2:11-13)を加えました。同様に、預言者たちも両方の降臨に言及しています。それらの一方、つまり第二の降臨の前駆者(ぜんくしゃ)となるのがイリヤであり、最初の降臨の前駆者がイオアンだったと彼らは述べています。(聖金口イオアン)

«И спросили Его ученики Его: как же книжники говорят, что Илии надлежит придти прежде? (Мф. 17:10)».
Итак, ученики узнали об этом не из Писаний, но им открыли книжники, – и молва об этом носилась в простом народе, как и о Христе. Потому и самарянка сказала: «Придет Мессия...; когда Он придет, то возвестит нам все» (Ин. 4:25); и книжники вопрошали Иоанна: «Ты Илия?... Пророк» (Ин. 1:21)? …Писание говорит о двух пришествиях Христа, о бывшем и будущем. И Павел, указывая на оба пришествия, сказал: «Явилась благодать Божия, спасительная для всех человеков, научающая нас, чтобы мы, отвергнув нечестие и мирские похоти, целомудренно, праведно и благочестиво жили в нынешнем веке». Вот одно пришествие; послушай, как и о другом говорит. Сказавши эти слова, он присовокупил: «Ожидая блаженного упования и явления славы великого Бога и Спасителя нашего Иисуса Христа» (Тит. 2:11–13). Также и пророки о том и другом упоминают; они говорят, что предтечею одного из них, именно второго, будет Илия, а первого был Иоанн. (Св. Иоанн Златоуст)

ロウソク
人は教会に入った。両親の霊(たましい)の安息のためにロウソクを点(とも)し、自分の義務をそれで果たしたと思って、立ち去った。
しかし、ロウソクは燃え続けていた。
ああ、彼女<ロウソク>はなんと死力をつくしていたことか!
蜜蝋(みつろう)の涙を流し、ハリストスの十字架の前に深く伏拝(ふくはい)していた。
つまり、人のためにすべてをやっていた!
しかし、それで助けることができたのか、それは独り神のみぞ知る…
(修道士ワルナワ・サニン)

СВЕЧА
Зашел человек в храм. Поставил свечу за упокой душ родителей и ушел, считая свой долг выполненным.
А свеча осталась гореть.
Ах, как она старалась!
И восковые слезы лила, и в низком поклоне перед Распятием склонилась.
Словом, делала всё за человека!
Но — сделала ли, о том знает один только Бог…
Монах Варнава Санин

「主よ、我が兄弟我に罪を得ば、幾次(いくたび)これにゆるすべきか、七次(ななたび)までか」(マトフェイ18:21)。
さて、彼が暴(あば)かれた後に痛悔(つうかい)している時、何回彼を赦さなければならないでしょうか。七回で十分でしょうか。人を愛する、善き神であるハリストスは何と答えていますか。「我なんじに七次までと言わず、すなわち七十次の七倍まで」です。「七十次の七倍」という数字はここで不明確につかわれ、絶えまない、えいぞく的な義務を意味します。「千回」という表現が多数の意味で使われるように、この表現もそうです。…このように、ハリストスは、わたしたちが隣人(りんじん)をゆるすべき回数を決めず、それはわたしたちの不断(ふだん)のえいぞく的な義務であることを示しました。(聖金口イオアン)

«Господи! сколько раз прощать брату моему, согрешающему против меня? до семи ли раз?» (Мф. 18:21).
Итак, сколько же раз должно прощать его, когда он по обличении раскаивается? Довольно ли семи раз? Что ж отвечает Христос, человеколюбивый и благий Бог? «Не говорю тебе: до семи раз, но до седмижды семидесяти раз». Число семьдесят крат седмерицею берется здесь неопределенно, и означает непрерывную или всегдашнюю обязанность. Как выражение: «тысячу раз» употребляется для означения множества, так и настоящее выражение. … Таким образом, Христос не определил числа, сколько раз мы должны прощать ближнему, но показал, что это постоянная и всегдашняя наша обязанность. (Св. Иоанн Златоуст)

至聖なる生神女マリヤの就寝祭
生神女のため、ハリストスはまるで
眠りであるかのように死を変え、
そして、彼女の霊(たましい)を受け入れ、
天に連れていった。

でも、「人生には死が存在しない」
という答えを使徒時代に
授けながら、
彼女は人々を見捨てなかった。

彼女は今でも世界の上で
天の幕のように輝いていて、
わたしたちにはこの日において
寂しさより喜びの方が多い。
(修道士ワルナワ・サニン)

УСПЕНИЕ ПРЕСВЯТОЙ БОГОРОДИЦЫ
Для Богородицы, как сон
Соделал смерть Христос.
И, Её душу приняв, Он
На Небеса унёс!

Но не оставила Она
Людей, даря ответ
В апостольские времена,
Что смерти в жизни – нет!

Она над миром и сейчас
Сияет, словно сень.
И больше радости для нас,
Чем грусти в этот день!
(Монах Варнава Санин)

 


修道士ワルナワ・サニン
聖人の言・翻訳、修道士ワルナワの作品・翻訳は、どなたでもご自由に引用できます。
ただし、引用の際には、必ず著者の名前をご記載下さい。

Цитировать слова и перевод святых, произведения или перевод работ монаха Варнавы Санина может каждый при указании имени автора.

■2022年8月 人間の体シリーズ すねに傷もつひとの希望

道を踏み外して死を招くな。
自分たちの手の業で滅びを引き寄せるな。
神が死を造られたわけではなく、
命あるものの滅びを喜ばれるわけではない。
生かすためにこそ神は万物をお造りになった。
(旧約聖書「知恵の書」1章参照)

 40年あまり前、20歳のわたしは寝袋を負い、からだ一つでギリシャを旅しました。聖山アトス(アギオンオロス)に7日間滞在しました。
 ぽんぽん蒸気船のような、10人乗れば満員の小ぶりの船が、聖なる山へと運んでくれました。
 訪れた修道院の一つが聖フィロセウ修道院です。
 たしか回廊の壁画だったと思うのですが、足をとめ、そのイコンを見ていると、ひとりの修道士がかたわらに立ちました。
「天国、神の国への梯子(はしご)だ。梯子を登っていくのは修道士であるが、そこから転落していくのも修道士だ」
足を踏み外す格好をした修道士は、わたしを見て微笑みうなずき、それから別の巡礼者のところへ歩いていきました。
 すねに傷もつ、という言葉があります。
 前科のある犯罪者という意味合いが濃いのですが、そうした過去をうまく取り繕って隠しているにもかかわらず、風に揺れる笹の葉の音にさえ敏感に反応してしまう、後ろめたい生き方をするひと、そういう解釈もできるでしょう。
 いまでも転落していく信仰者がわたしではないのか、という恐怖があります。
 ひとをみちびき教える、そういう万全の信仰者ではないのに、すねに傷もつ信仰者であるのに、司祭、神父という立場にあることを怖いと思います。
 あのときの壁画、イコンをときどき、思い出し、そのたびに、いまつかんでいる梯子をしっかりにぎり、離さぬよう自らを𠮟咤(しった)します。
 たとえ小指いっぽんでも、つかみつづけるように。
 「シラ書 集会の書」は、こう語っているからです(2章参照)。

子よ、主に仕えるつもりなら、
自らを試練に向けて備えよ。
心を引き締めて、耐え忍べ。
災難のときにも、取り乱すな。
主に寄りすがり、
決して離れるな。
 
主を信頼せよ。
そうすれば必ず助けてくださる。
おまえの歩む道を一筋にして、
主に望みを置け。

(長司祭 パウェル 及川 信)

■2022年7月 小さなたとえ話: まことの愛

小さなたとえ話・ МАЛЕНЬКИЕ ПРИТЧИ
まことの愛・НАСТОЯЩАЯ ЛЮБОВЬ, うぬぼれた風・ГОРДЫЙ ВЕТЕР, 悔い改め・ПОКАЯНИЕ, 絵の具・АКВАРЕЛЬНЫЕ КРАСКИ, ひばり・ЖАВОРОНОК


絵:ヴャチェスラフ・ポレジャエフ
Рисунок: Вячеслав Полежаев

 

まことの愛
うずまきは岸(きし)でうつくしいユリをみた。そして、どうしても彼女を手に入れようと心に決めた。
何であれその美人にささげた。その速い波(なみ)に乗ることも、たえがたい暑中(しょちゅう)での水のやさしい涼(すず)み、さまざまな娯楽(ごらく)や楽しみの大うずまきも。
美人はためらった。
ユリをどうしようもなく愛していた虫がそれに気づき、やめさせようとしはじめた。
―「彼はあなたをほろぼす。あなたはぼろぼろになる!」
しかし、なんの役にもたたなかった!
―「彼はとても強くて、かっこよくて何とも神秘的(しんぴてき)」…とユリはいいかえした。―「やっぱり彼のプロポーズをうける!」
―「ああ、そう?」虫は叫んだ。―「なら、もしあなたが彼のプロポーズを受けたらどうなるか見て!」
そして、彼は羽をたたみながら、うずまきの表面(ひょうめん)に突進(とっしん)した。うずまきはすぐさま虫を容赦(ようしゃ)なくうずにまきこみ、グルグルまわした。そしてすぐ、虫はユリの目の前から永遠にきえた。やっとそのとき、彼女は何がまことの愛かさとった。

НАСТОЯЩАЯ ЛЮБОВЬ
Увидел омут на берегу прекрасную лилию. И решил, во что бы то ни стало, завладеть ею.
Чего он только не предлагал красавице: покататься на его быстрых волнах, ласковую прохладу воды в нестерпимый зной и целый водоворот всевозможных развлечений и удовольствий.
Заколебалась красавица.
Заметил это безнадежно любивший ее жучок и принялся отговаривать:
— Погубит он тебя! Пропадешь!
Только куда там!
— Он такой сильный, красивый и весь какой-то таинственный… — возражала лилия. — Нет, пожалуй, я все же приму его предложение!
— Ах, так? — вскричал жучок. — Ну тогда смотри, что ждет тебя, если ты сделаешь это!
И он, сложив крылья, бросился на поверхность водоворота, который тут же безжалостно закружил, завертел его, и вскоре навсегда исчез из глаз лилии, только теперь понявшей, что такое настоящая любовь…

***
うぬぼれた風
風はろうそくを消してうぬぼれた。
―「ぼくはもう何でも消せる! 太陽(たいよう)でも!」
かしこい人がそれを聞いて、風車をつくって、いった。
―「太陽はなんでもない! 太陽をけす、たいしたことないね!
夜だって太陽をけせる。この風車をとどめてごらん!」
そして、できるかぎり大きくおもい風車をまわした。
風がひと吹き、ふた吹きしたが、風車はとどまらない。ぎゃくに、吹けば吹くほど、より力づよく回っていた。
かしこい人のふくろに小麦粉(こむぎこ)があふれ、生計(せいけい)をたてられた。じぶんも豊かになったし、まずしい人たちも忘れることがなかった!
風は、いまでも風車を吹いているそうだ。どこで? うぬぼれのある所ならどこでも!

ГОРДЫЙ ВЕТЕР
Загасил ветер свечу и возгордился:
— Я теперь всё погасить могу! Даже солнце!
Услыхал его мудрый мужик, сделал ветряную мельницу и сказал:
— Эка невидаль – солнце! Его и ночь погасить может. Ты попробуй вот это колесо останови!
И, что есть силы, раскрутил большое, тяжелое колесо.
Дунул ветер раз, дунул другой – а колесо-то не останавливается. Наоборот, чем больше он дул, тем сильнее оно крутилось.
Потекла в мешки умного мужика мука, и стал он жить: сам в достатке, и бедных не забывать!
А ветер, говорят, до сих пор на это колесо дует. Где именно? Да всюду, где только есть место гордыне.

***
悔い改め(くいあらため)
人は深淵(しんえん)に落ちこんだ。
傷(きず)だらけで横(よこ)たわり、死にかけている…
友だちが駆(か)けつけた。おたがいを掴(つか)みあいながら、彼を助けるために降りようとしたが、自分たちも墜(お)ちそうになった。
慈悲(じひ)がやってきた。その淵(ふち)にはしごをおろしたが、ああ! 底までとどかない!
人がかつて行った善行(ぜんこう)が到着(とうちゃく)し、ながい紐(ひも)をなげおろした。しかし、また紐がみじかい…
ただ無益(むえき)にその人を助けようとしたのが、騒々(そうぞう)しい名誉(めいよ)、大金、権力(けんりょく)。
やっと、悔い改めがきた。彼に手をのばした。人はその手をつかんで、そして…淵から出た!
―「どうやったの?」みんな驚(おどろ)いた。
しかし、悔い改めにこたえる暇(ひま)はなかった。
悔い改めは、悔い改めだけが救うことができる他の人たちへと急いだ。

ПОКАЯНИЕ
Упал человек в глубокую пропасть.
Лежит израненный, погибает…
Прибежали друзья. Попытались, держась друг за друга, к нему на помощь спуститься, да сами в нее чуть не свалились.
Пришло милосердие. Опустило в пропасть лестницу, да - эх!.. – не достает она до конца!
Подоспели добрые дела, сделанные когда-то человеком, бросили вниз длинную веревку. Но тоже – коротка веревка…
Так же тщетно пытались спасти человека: его громкая слава, большие деньги, власть…
Наконец, подошло покаяние. Протянуло оно руку. Ухватился за нее человек и… вылез из пропасти!
— Как это тебе удалось? — удивились все.
Но покаянию некогда было отвечать.
Оно спешило к другим людям, спасти которых могло только оно…

***
絵の具(えのぐ)
絵の具はこれから水で溶(と)かされると知って、怒った。
―「私たちだけでできないの?」
―「いいえ」といちばんやわらかい刷毛(はけ)さえ、かわいた絵の具をすりつかれて、言った。
―「できないよ!」とその人生で多くを見た紙もみとめた。
しかし、画家(がか)はなにも言わなかった。
画家は絵の具を水で溶き、絵をえがいた。
だれもが満足(まんぞく)した絵を。
絵の具をはじめ、だれもが!

АКВАРЕЛЬНЫЕ КРАСКИ
Узнали акварельные краски, что их собираются разбавлять водой, и возмутились:
— Да что мы, сами не справимся?
— Нет, — сказала, устав тереться по сухим краскам, даже самая мягкая кисточка.
— Не справитесь! – подтвердила повидавшая немало на своем веку бумага.
А художник ничего не сказал.
Он развел краски водой и нарисовал картину.
Такую, что все остались довольны.
И в первую очередь, сами акварельные краски!

***
日晴鳥(ひばり)
ひばりは野原(のはら)で喜びにあふれんばかりに歌っていた。
このうつくしい一日、このうつくしい大地、空、空気、そしてそもそもこの美しい生命をあたえた神を讃美(さんび)していた!
人々はこのちっぽけで鈴のように泣いている点を眺めておどろいた。
―「おや、こんなにちっぽけで、こんなに大声で歌っている!」
ひばりはときどき人間を見わたして、ふしぎがった。
―「おや、こんなに大きくて、つよい、神の創造物(そうぞうぶつ)の中で冠(かんむり)された者が、こんなに静かに歌っている…

ЖАВОРОНОК
Заливался жаворонок над полем.
Славил Бога, давшего ему этот прекрасный день, эту прекрасную землю, небо, воздух и саму прекрасную жизнь!
Смотрели люди на крошечную звенящую точку и удивлялись:
— Надо же, такой маленький и так громко поет!
А жаворонок поглядывал иногда вниз на людей и только диву давался:
— Надо же, такие большие и сильные — венцы творения Божьего, и так тихо поют…

 

修道士ワルナワ・サニン
修道士ワルナワ・サニン 『子供たちと大人のための小さなたとえ話』より
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ただし、引用の際には、必ず著者の名前をご記載下さい。

Монах Варнава Санин, из сборника «Маленькие притчи для детей и взрослых». Цитировать произведения или перевод работ монаха Варнавы Санина может каждый при указании имени автора.