■2024年2月 読書と信仰 11 足の鎖と有刺鉄線

わたしは駆けよった…
聖なるおもいが 胸にあふれた
今にしてわたしは この宿命の鉱山で その
はめられた枷を見 おそろしいひびきを聞いて
はじめて夫の苦しみが
こころの底から わかるのだった
彼は多くをしのび しのびおおせた…
おもわずもわたしは その足もとにひれ伏して
夫を抱くよりも先に まず
その鎖に 唇をおしあてた! …
(ネクラーソフ「デカブリストの妻 抄」『愛かぎりなく』)

 
 おそらく高校生のとき、この本にめぐりあいました。
 デカブリストとは?
 1825年12月、ロシアの首都サンクトペテルブルグの元老院広場で、新たに即位したニコライ一世に忠誠を誓う、軍隊の宣誓式がおこなわれました。
 そのときわかい貴族、青年将校が中心となって、おこした叛乱行為を武力をもって鎮圧する事件が発生しました。
 12月(デカーブリ)におこったので、事件関係者は「デカブリスト」12月事件のひと、そう呼称されるようになりました。
 翌26年7月、数千人が重軽それぞれの刑に処され、100人あまりがシベリア流刑に処されました。
 このとき10人ほどの若い婦人が、流された夫を追い、いっさいを棄て、シベリアの地へ向かいました。
 まだ恋愛したことのないわたしにとって、愛するひとを追い、シベリアの原野を流刑地までたどりつくことは、空前の出来事でした。

「その鎖に 唇をおしあてた」
 この詩の一節をよみ、岩崎ちひろの絵をみたとき、涙がとまらなくなりました。
 岩崎ちひろの絵を、目にする機会のあるたび、思いだすのは、この作品、本のことです。
 東京では、岩崎ちひろの原画展そして練馬区のちひろ美術館、そして昨年夏に、安曇野ちひろ美術館へもいきました。
 数年まえ、京都の駅ビル(伊勢丹デパート)で開催された、岩崎ちひろ展へもいきました。
 これらの絵画展でこころ打たれるのは、有刺鉄線の原画でした。
 太く、冷徹で、非情さに満ち、ひとの情愛、あたたかな感情を突き離し、はばもうとする有刺鉄線。
 原画だからこその、呼吸(いき)する筆づかい、脈動があります。 
 冷血の有刺鉄線を、いのちあるものが、あたたかな血をかよわせているひとが、いろいろなひとの思いをこめて画く、この画家の烈情。
 画家の哀しみと正直(せいちょく)な意(おもい)がありました。

 ひとりの女性の接吻した鎖が、有刺鉄線と、なぜかいつも、だぶっています。
 権力、法、軍事、ときにはひとの尊厳をふみにじるものを、キリスト教信仰が抗する律法主義、厳罰主義というのならば、わたしたちには、それらをのりこえる、良心と自由、こころと信仰があります。

 身ひとつの女性の生き方が迫ってきます。
 有を無に。
 無にしなければ手に入らないもの、そこへ行かなければ確認できないものがあります。
 あそこで待っているひとがいる。
 そこへ行かねばならない。
 わたしたちは、ひと、十字架、聖像などに接吻しますが、その信と愛の接吻は、足の鎖と有刺鉄線をのりこえ、またいでいくと思います。
 死の接吻ではなく、愛の接吻なのです。

静けさの天使を神はおつかわしになって
坑道の中はひとしきり
話し声も はたらく音もやみ
まるで 動きがとまったよう
あかの他人も わたしたちの仲間も――
眼には涙をうかべ こころたかぶり
色あおざめ
きびしい顔して まわりに立っていた
動かぬ足からは
枷の音もひびかず ふりあげられた槌も
宙に凍りついて…
すべては静か――歌声もなく話し声もなく…
悲しみも めぐり会いのしあわせも
ひとしく分け合ったようだった!

(長司祭パウェル及川信)

+ニコライ ネクラーソフ  谷耕平 訳  岩崎ちひろ 画
『愛かぎりなく』デカブリストの妻 抄、童心社、1968年初版

このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
ご寛宥ください。