■2024年6月 読書と信仰 15 字典と辞典

知恵は輝かしく、朽ちることがない。
知恵を愛する人には進んで自分を現し、
探す人には自分を示す。
求める人には自分から姿を見せる。
知恵を求めて早起きする人は、苦労せずに
自宅の門前で待っている知恵に出会う。
知恵に思いをはせることは、最も賢いこと、
知恵を思って目を覚ましていれば、
心配もすぐに消える。
知恵は自分にふさわしい人を求めて巡り歩き、
道でその人たちにやさしく姿を現し、
深い思いやりの心で彼らと出会う。
教訓を真心から望むことが知恵の始まりであり、
教訓に心を配ることは知恵へ愛である。
この愛は知恵の命じる掟を守ることである。
(新共同訳旧約聖書『知恵の書』6:12-18)

 小学2年生のころ、赤痢という病気にかかりました。
 高熱がでて飲食を受けつけず、血便、血尿、吐くものにも血が混じり、涙も血の赤になったようでした。
 なかなか入院できず、やっと入院したら、お医者さんに「治りかけている」といわれ、激ヤセしてふらふらしながら退院したら、
「おまえのせいで、たいへんな目に遭った」
 と父にいわれました。
 家の内外が消毒され、入院まえにあったもの、わたしの衣服・寝具・カバン類はじめ、ランドセル、教科書や本などがすべて焼却処分されていました。
 父は、いろいろなものを新調せねばならない、かさんだ出費のことを冗談半分に言ったのでしょうが、わたしは生まれて初めて「死を覚悟」したので、とてもではないが笑えませんでした。
 愛用の国語の辞典とノートも燃やされていました。
 そのノートには、好きなことばや漢字、じぶんで創作した四文字熟語などを書いていました。小学1、2年生のすることですから、他愛のない「じぶんの字典」だったのでしょうが、貧乏って何もないことだと知りました。
 清貧な生活はみずから望んでするものなのでしょうが、貧乏、貧しいとは不可抗力であり、ほんとうに「ない」、空虚でした。父の買ったまっさらなノートに新しい鉛筆で何かを書こうという気力がなくなっていました。
 そんなある日、テレビもラジオもないので朝のニュースを知らないで、小学校へ登校したら、人だかりがして校門が閉鎖されていました。夜中に学校が火災にあっていました。3年生からは別の小学校へ、しばらくの間、通学することになりました。

 そういう昔話をしたのでしょうか、アキラ新妻晃神父さまが、わたしの輔祭の叙聖祝いに1冊の「漢和字典」をプレゼントしてくださいました。
 東京お茶の水、東京復活大聖堂(ニコライ堂)ちかくの喫茶店で、パイプや葉巻をくゆらしながらのアキラ神父さまの昔話を楽しくきいたものでした。
 40年もたつことが夢のようです。
 アキラ神父さまのさりげない心くばりを感じます。
 漢字や熟語、それらの意味・成り立ちなどが興味深く、大好きなので、この字典は読んでいておもしろく、ずいぶん、いやされました。
 もう一冊、母の形見のちいさな、古ぼけた「古語辞典」があります。
 母の思い出の品はこれひとつです。
 たまにこのふたつの字典と辞典を読むと、アキラ神父さまと母を思い出します。
 記憶とは不思議なものです。
 記憶の連鎖のなかに、こころそして信仰が脈々と息づいていると思います。

(長司祭パウェル及川信)

+藤堂明保 編『漢和大字典』学習研究社 1984年(第18刷)
 金田一京助 監修『明解 古語辞典』三省堂、1956年(第22版)

このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
ご寛宥ください。