■2022年4月 画家ワルワラ・ボンディナさんについて

ワルワラ・ボンディナ(1974 - 2013)。正教会の画家。
ワルワラは神と世界の美しさを賛美し⼈人々の霊(たましい)を暖かくする何百枚もの美しい絵を教会と⼈人々に贈りました。
39 歳の時に⻑年に亘るガンで永眠しました。ワルワラに天国と、永遠の輝かしい記憶をお祈り申し上げます。
絵を提供し、それらを教会のページで投稿する許可をくださったワルワラのご家族(妹のアンナ、⼦子供達のトリフォン、エフロシニヤ、ルケリヤ、パンテレイモン、ニコライ)、ミヌシンスク町の出版社社⻑⾧長エレナ・ステリマフ、学校教師オレグとエレナ・マレエフに⼤大変感謝します。
皆様が神にいつも守られますように。
あらゆる事で神に光栄!

Варвара Бондина (1974 - 2013). Православная художница, которая подарила Церкви и людям
сотни живописных работ, прославляющих Бога и красоту мира, согревающих души людей. Умерла
в 39 лет от продолжительной болезни -‐‑‒ рака. Царствие Небесное, вечная и светлая память
Варваре. Благодарим семью Варвары (сестру Анну и деточек Трифон, Евфросинья, Лукерья,
Пантелеимон, Николай), а также директора Минусинского издательства Елену Стельмах и
школьных учителей Олега и Елену Малеевых за предоставленные рисунки и разрешение
размещать их на странице храма. Пусть всегда хранит Вас Господь. Слава Богу за все!

■2022年4月 人間の体シリーズ 膝(ひざ)4

イイススの洗足(せんそく)

さて、過越祭の前のことである。イイススは、
この世から父のもとへ移るご自分の時が来たこと
を悟り、世にいる弟子たちを愛して、このうえなく
愛しぬかれた。夕食のときであった。すでに悪魔は
イスカリオテのシモンの子イウダ(ユダ)に、イイ
ススを裏切る考えを抱かせていた。イイススは、父
がすべてをご自分の手にゆだねられたこと、また、
ご自分が神のもとからきて、神のもとへ帰ろうとし
ていることを悟り、食事の席から立ち上がって上着
を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰にまとわれた。それか
ら、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰に
まとった手ぬぐいでふき始められた。
 (新約聖書「イオアン(ヨハネ)福音書」13章参照)

 京都正教会 生神女福音大聖堂の聖障(イコノスタス)中央にかざられている「最後の晩餐」機密の晩餐の聖像、イコン。
主イイススをかこんで弟子たちがすわるテーブル、聖卓の下に、水をくむつぼとたらい、タオル、ちいさなイスが置かれているのを、ご存知でしょうか。
洗礼を受け、すでに聖なる水による聖洗がなされていたにもかかわらず、ひざまずいたイイススはみずからの手で、弟子の素足を水で洗い、タオルで濡れた足をぬぐいました。
そのなかにはイイススを裏切るイウダ(ユダ)がいます。
捕らわれたイイススを助けに行ったのに、イイススの目の前で、恐怖から逃げ去ったペトルもいました。
いちばん年少のイオアン(ヨハネ)以外の弟子は、逃散しました。
洗足、それは、恐怖と絶望、暗闇の中から神の光へと、一歩を踏み出すひとの足を祝福します。
ひとりひとりの弟子の前にひざまずいて洗足したイイススは、ここからすべてが始まることを知っておられ、残酷な運命に翻弄されず、つねに前を向き、あらたな一歩を、人生を歩みだせるようにと、こころから祈り、祝福したのではないでしょうか。
洗足の水は、イイススの涙だと思います。
挫折せず、くじけず、不屈のこころとからだをもって、生きよ。
死から生命へ、死から再生へ、死から復活へ。
主の洗足、弟子へのひざまずきは、恩師の愛のあらわれ、希望と勇気だったと思います。
もうすぐ復活大祭、聖堂で祈るとき、イイススのひざまずいて祈る姿、わたしたちを祝福される お姿を想起し、その悲しみと熱情に慄然とします。

(長司祭 パウェル 及川 信)

■2022年3月 人間の体シリーズ 膝(ひざ)3

ゲフシマニアの祈り

一同がゲフシマニヤ(ゲッセマネ)という所に
くると、イイススは弟子たちに「わたしが祈っ
ている間、ここに座っていなさい」と言われた。
そして、ペトル、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、
イイススはひどく恐れてもだえ始め、かれらに
言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここ
を離れず、目を覚ましていなさい」。すこし進ん
で行って地面にひれ伏し、できることなら、こ
の苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、
こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でも
おできになります。この杯をわたしから取りの
けてください。しかし、わたしが願うことでは
なく、み心にかなうことが行われますように」
(新約聖書「マルコ福音書」14章参照)

 最後の晩餐、機密の晩餐をあとに、オリーブ山でひとり静かに祈られる、イイススの状景がつづられています。
 弟子は数多く、すぐそばにいるのですが、イイススの孤独はつのります。
 天と地、神と人、生と死との狭間(はざま)にあって、受難と十字架を意識するイイススは、ひざまづいて祈ります。
 地にひざまずく。
 それは、地、すなわち人の生きる大地、死という地に掘られてしまった埋葬の谷を表現します。
 イイススは天からつかわされた神の子でありながら、地に生き、死の軛(くびき)を振り落とせない、人の罪深さと孤独を体験します。
死の眠りにまどろみかけている弟子を、嘆息しながら諭すイイススは、三度目に弟子のところへ戻ったとき、「もういい、時が来た」と言わざるを得ませんでした。
 死とは絶望、耐えがたい孤独、希望をいだかせることを諦めさせる失望です。
 そこから、這い上がろうとする祈りを、イイススはその生き方によって、わたしたちに伝えます。
 多くの日本の聖堂は、至聖所、むかって左奥、奉献台のまえに、ゲフシマニヤの祈りの聖像(イコン)が安置されています。
その前で祈るとき、わたしは胸の痛みと、たとえがたい復活への志望を、いつも体験しながら、聖なるパンと聖血である赤ぶどう酒を準備するのです。

(長司祭 パウェル 及川 信)

■2022年2月 人間の体シリーズ 膝(ひざ)2

跪拝(きはい)
ひざをついての祈り

夕べの献げ物のときになって、
かがめていた身を起こし、
裂けた衣とマントをつけたまま
ひざまずき、わが神、主に向かって
手をひろげ、祈りはじめた。
(旧約聖書「エズラ記」9:5-6)

 人気テレビドラマ「半沢直樹」シリーズ、「倍返しだ!」が有名になりましたが、もう一つ わたしが注目したものがあります。
 土下座(どげざ)です。
 土下座というと、あやまれ、謝罪しろ、と無理矢理 強要することばかりが頭をよぎります。でも本来の意味はちがう、という説があるそうです。
 日本では古来、貴人が目の前を通過する際の最高の礼として、土下座の姿勢をとったというのです。
 あなたを尊敬し、言われることを実行します、と自分の真心を表現する手段として土下座をしました。
 それが中世以降、身分制度を明確にするため、立場の上下をはっきりさせるため、土下座を活用するようになったといわれています。

 正教会における「ひざをついての祈り」は、どういう意味をもつのでしょうか。
 祈りの姿勢は、ふつう、叩拝(こうはい)、弓拝(躬拝、きゅうはい)、伏拝(ふくはい)の三つがあげられます。
 三つめの祈りの姿勢、伏拝にもすこし重複しますが、四つめの祈りの姿勢があります。
 これが、ひざを地につけての祈り、跪拝(きはい)です。
 跪拝は、特殊な祈りである同時に、ハリスティアニン(クリスチャン)にとっては、もっとも身近な祈りの姿勢のひとつです。
 ひざから下、すねや足の甲(あるいは つまさき)を地につけ、ももから上を立て、天をあおぎ祈ります。
 たとえばイイススは、一人になっての祈り、独処(どくしょ)の祈りのとき、この姿勢で祈った、といわれています。
 この祈りは、正教会の聖なる伝統となって、うけ継がれていきます。
 それをこれから、紹介しましょう。

(長司祭 パウェル 及川 信)

■2022年1月 人間の体シリーズ 膝(ひざ)1

ひざまずいて祈る

イイススがそこを出て、いつものようにオリーブ山に
行かれると、弟子たちも従った。いつもの場所に来ると、
イイススは弟子たちに、
「誘惑に陥らないよう祈りなさい」
と言われた。そして自分は、石の投げて届くほどの
所に離れ、ひざまずいてこう祈られた。
「父よ、み心なら、この杯をわたしから取りのけて
ください。しかし、わたしの願いではなく、
み心のままに行ってください」
イイススは苦しみもだえ、ますます切に祈られた。
汗が血の滴るように地面に落ちた。
〈新約聖書「ルカ福音書」22章参照〉

 40年ほども昔、神学生であった頃、祈祷の準備のため早めに入堂したわたしは、東京復活大聖堂でひざまずいて祈っていました。そこへロシア人の老婦人が入ってきて、わたしの横に立つなり、
「聖堂でひざまずいて祈ってはいけない、立ちなさい」
こわい顔をして言いました。おどろいたわたしがすぐさま、立ち上がった記憶があります。
 その老婦人は、斎(ものいみ)の時以外は「ひざまずきはいけない」と、いく度もくり返していました。
おそらくロシアのじぶんの育った教会での慣習で、そう主張したのでしょう。
「こころのひざをかがめて祈るとき」、いつのまにか、からだのひざをかがめて祈り、こころの有りようをあらわすのは、自然のことと思います。
 ひざを地におろし、背すじをのばし、両手をのばして天にささげ、顔をあげて祈る姿勢は、ハリスティアニンの自然な祈りのすがたです。
 まさに大地に象徴される神のふところに抱かれ、神に向かい手をのばして祈るとき、ひざはいつしか地に着いているものなのでしょう。
 こころの底、からだの奥底からの祈り、神への痛切な祈り。
 それは、神への「まごころ」の献げもの、神に支えられていることを実感する祈りです。世界中でひざまずいて祈るたくさんのひとがいます。
 神のこころにふれるとき、こころのひざも、からだのひざもかがまり、でも、こころもからだは神に開放され、恩寵を抱きとめることができるでしょう。

(長司祭 パウェル 及川 信)

■2021年12月 クリスマスのお話 白樺(しらかば)のクリスマスツリー

クリスマスのお話 白樺(しらかば)のクリスマスツリー
СВЯТОЧНЫЙ РАССКАЗ: БЕРЕЗОВАЯ ЕЛКА

 

降誕祭の夜に起きない奇蹟(きせき)があるでしょうか! セリョジャは、ママがクリスマスのお話を読んでくれるのを聞いて、ただ驚いていました。その全ては、寂(さび)しく寂しく始まりますが、最後は喜びで泣きたくなる終わり方です。別の結末(けつまつ)のお話もありましたが、ママは眉(まゆ)を曇(くも)らせ、飛ばしていました。その判断は正しかったのです。彼らの人生に寂しさは十分ありました。
窓の外に紺青(こんじょう)の夜が下りてきました。庭はすぐ暗くなり、シラカバだけが眩しいランターンの下で白いままでした。牡丹雪(ぼたんゆき)が、むかしクリスマスツリーのある部屋を飾っていた糸つなぎの綿玉のように降っていました。

降誕祭の前に
その幸せなときを思い出しながら、セリョジャは目を細めました。白樺はたちまちクリスマスツリーになり、向かいの家のたくさんの窓は、降誕祭を祝って輝きながら、光の花冠(はなかん)になりました。パパとママは家具や絨毯(じゅうたん)で雑然(ざつぜん)とする部屋を右往左往(うおうさおう)していました。食器棚(しょっきだな)からお祝い用の食器を取り出して、その中にチーズ、サラミ、蒸(む)した肉じゃがをよそっていました…


セリョジャは空腹の唾(つば)を飲み込み、目をみはりました。クリスマスツリーは再び白樺になり、部屋は空っぽで味気(あじけ)なく、そこには絨毯も肘掛(ひじか)け椅子(いす)もお祝いの食卓(しょくたく)もなく、パパもいませんでした…ママはボロボロのソファで横になって、いかに貧しい少年が掘っ建て小屋(ほったてごや)から宮殿(きゅうでん)へ降誕祭舞踏会(ぶとうかい)に行ったか読んでいました。パパは…最後にパパを見たのは駅で、全く同じ酔っ払い(よっぱらい)の浮浪者(ふろうしゃ)に囲(かこ)まれていました。
―これで終わり! ママは最後のページをめくりながら、言いました。
「これが本でだけのことだなんて残念(ざんねん)!」セリョジャは自分にため息をついて、大声でママに尋(たず)ねました。

―どうしてこの話しがおめでたいの?
ママは考えて、微笑(ほほえ)みました。
―たぶん降誕祭のことだから。今日でものいみが終わりだって知ってるでしょう。
―私たちはあしたもものいみ!とセリョジャはぶつぶつ言いました。
―…そして、おめでたい最も楽しい一週間がやってくる!とママはぶつぶつが聞こえなかったふりをして、続けました。
―一番悲しい一週間…と再び男の子は声を歪(ゆが)めて繰り返しました。
ママはなんとか肘(ひじ)をついて座り、テーブルの上にあるイコン前のランパーダを灯しました。
―ほら、祭日がやってきた。セリョジャ、ハリストスの降誕祭おめでとう!私たちにも本当のおめでたが欲しいけど…

ママ
言い切らないまま、彼女は壁(かべ)に向かって横になりました。肩は震えていました。どうすればセリョジャはママを助けることができるのでしょう? 抱きしめて? 優しい言葉をかけて? でもそうすると、すでに一度ならずそうだったように、泣き出してしまうから。それで彼は再び自分の窓から白樺を、そして、目の涙で虹色(にじいろ)の窓を眺めるようになりました。
彼は知っていました。ママが、今日降誕祭の祈祷にたくさんの人がくる教会で寛大(かんだい)な寄付(きふ)をいただきたいと思っていたと。そしてそのお金をどのように使うかいっしょに夢想(むそう)していたことを思い出していました。しかし、ママの心臓(しんぞう)が痛み、お医者さんは入院する必要があると言いました。でも処方箋(しょほうせん)を書きながら、「薬は自分のお金で買わなければ」と注意しました。しかも、その中のもっとも安い薬は、ママが庭の掃除婦(そうじふ)として働いていた時の月給(げっきゅう)より高かったのです。そんなお金はどこで手に入るのでしょう?

お金はどこで手に入る?
セリョジャはランパーダの火に目を向けました。パパが一番貴重(きちょう)なものは全部飲み代(のみだい)に使ってしまって、家から消えてから、家具や様々な物を古物商(こぶつしょう)に渡してしまいました。蚤の市でも売れない物しか残りませんでした。ばねの鋭い歯でいつもおびえさせるソファ、傷だらけのテーブル、足の不自由な椅子のことです…
ママは両親のイコンも売りたかったのですが、あるおばあちゃんが言いました。それは「すべての苦しむ者の喜び」と呼ばれるイコンで、もしママはその前で祈れば、神と至聖(しせい)なる生神女(しょうしんじょ)マリヤがきっと助けに来ると。
もうこの世の誰も彼らを助けることができなかったので、ママはその助言に従いました。彼女は瓶(びん)をランパーダにして安い油を注いで(そのせいで火はほとんどすぐに消えていましたが)、祈り始めました。その後は教会にも行き始め、奉神礼(ほうしんれい)の前後(ぜんご)に施(ほどこ)しを求めていました。
そして、驚いたことに、もうずっと前から彼らに売るものは何もなかったし、ママは病気のせいで仕事を辞めざるを得なかったので、お金が手に入るところはどこにもなかったけど、食べ物は、もっとも古く簡素(かんそ)でしたが、家になくなることはありませんでした。今日、一番星(いちばんぼし)の後で、彼らはお祝いの晩御飯(ライ麦のパンと玉ねぎ付きのニシン)を食べました。しかし、明日は、セリョジャは凍(こご)えながら思い出しましたが、全く食べるものが何もありません。
そこで彼はママをどうしたら助けられるかわかりました! 彼女に自分で施しを求めるために出かける力がないなら、彼が行かなければ! 気づかれないように家を出るために、ママが眠るまで、あるいはランパーダが消えるまで待つ必要がありました。しかし、今回はどういうわけか火が燃え続けていました。幸い、ママはすぐすやすや寝息(ねいき)を立て始めたので、セリョジャは急いで上着(うわぎ)を羽織(はお)り、静かにドアを出ました。

外で
通りは、色とりどりの輝きと様々な声の賑(にぎ)わいで彼を迎えました。広告の光があらゆる方向からきらめき、車は車輪(しゃりん)をシューシュー鳴らしながら雪で覆われた道路を急いでいました。人々は笑ってお祭りを喜びながら歩いています。彼を追い越す者もあれば、向こう側からすれ違う人もあります。…数十人、数百人、数千人、一人として、家に病気の母がいる孤独(こどく)な少年を気に留めません。
セリョジャは歩いていて、このすべてをどこかで見聞きした、しかもごく最近という気がしていました。「あ、そうだ」彼は思い出しました。「クリスマスのお話でです」。しかし、そこでは心ない通行人たちは100年前に生きていた人たちでしたが、この人たちではなかったのです。貧しい少年は彼自身でした。一番近くの教会と別の二つの教会では夜の奉神礼がもう終わりましたが、彼にも何か途轍(とてつ)もないことが起こりうるという気持ちが離れませんでした。
彼はもはや歩きません、通りを走っていました。そして一度だけ、大きな店に通りがかると立ち止まり、ショーウインドーに鼻を押しながら、さまざまなお菓子で溢(あふ)れるカウンターと土産(みやげ)売り場の大きなテディベアを長い間見つめていました。
やっと、町の半分を走り回ってトラムで回ってから、夜の奉神礼がまだ続く教会を見ました。教会の玄関に立ち、セリョジャはこわごわ手を伸ばし、近づく人々を見ながら、不慣(ふな)れなことを自分の中から押し出しました。
―ハリストスの名によってお願いしています!


ハリストスの名によって…お願いしています!
老人が彼の掌(てのひら)に入れた最初のルブル、彼は一生忘れませんでした。それから、一人の女性が彼に10コペイカ硬貨(こうか)を二枚与えました。もう一人はクッキーを。その後、教会前の通りはまるで死んだようでした。
セリョジャは、奉神礼の始まりに遅れたので、人々が帰り始めるその終わりまで待たなければならないことを悟りました。
教会の中では大きい声で「ハリストス生まる…」が歌われていましたが、ためらいました。だって、その間に寛大な通行人(つうこうにん)が急に現れることもあるかもしれないのですから。

同じ場所に長い間立っていたせいで、足が凍え始めました。急いで手袋(てぶくろ)を家に忘れて、今や代(か)わる代(が)わる左右(さゆう)の手をポケットに入れて温めなくてはありませんでした。結局、彼は尻をついて座って、掌を下ろさずに(だって誰かが急に通ることもあるかもしれないのですから)、すぐにも眠りに落ちそうだと感じました。
近くで誰かが大声で話していたので、眠りから覚めました。セリョジャは目を開くと、羊皮(ひつじがわ)のコートを着た背の高く二枚目の、お金持ちが持つベルト付きの分厚いカバンを抱えた男性が見えました。
―祝福してくれていいよ! ―彼が電話で誰かに言いました。 ―今痛悔したばかりで、よく言われるように、心を清らかにしました。霊(たましい)からこんな重荷を下ろしたよ…じゃ、今から休みに行く!
―ハリストスのためにお願いしています! ―セリョジャは、彼が今にも帰ってしまうことを恐(おそ)れて、凍った唇をなんとか開きました。男性は話しをやめないまま、ポケットから取り出して、ぞんざいに渡しました。セリョジャは自分の目を信じられませんでしたが、降誕祭の夜になんという奇蹟があり得るのでしょう! 百ルブル札です!
―ありがとう! 彼は囁(ささや)き、感謝が爆発(ばくはつ)して戸惑(とまど)いながら説明し始めました。「結局、おかあさんが病気で…処方箋…あしたは食べるものが…なくて…」
―十分だろう。残りは神さまがくれるよ! ―男性はセリョジャを自分なりに理解して、追い払いました。

奇蹟はあります!
そして、そこで何か不可解(ふかかい)な…不思議な…驚くべきことが起こりました! 男性の顔が急に変わりました。見下げた表情はなくなり、敬虔(けいけん)な表情に取って代わりました。喜びとほとんど恐怖(きょうふ)を持って、少年の頭上(ずじょう)のどこか右上を見つめながら、慌ててカバンの留め金をはずし、呟(つぶや)きました。
―主よ、私は…主よ、もしそれはなんじのために…なんじは貧しい人の後ろにたっていると聞いたことがありますが、それはこのように…ここで…私の前に? …ちびっこよ、どうぞ!
セリョジャは、男性が彼に与えたものを見て、呆然(ぼうぜん)としました。それはドルでした…一枚、二枚、五枚、十枚…まだまだいっぱいあるその緑色の札! 
 セリョジャはそれを掴(つか)もうとしましたが、指が寒さでかじかみ、そのお金を持てませんでした。
―主よ、彼は凍えている! 君は完全に凍えている! すでにセリョジャの方に向きながら、見知らぬ男性は叫んで命じました。「さあ、すぐに私の車の中に、私が君たちを…君を君の家まで送る!」
男性は酔っていませんでした。自分の父を見て酔っ払いがどんなものかよく知っていたセリョジャには、すぐにそれがわかりました。本当にセリョジャは振り返って自分をこんなにも助けてくれるのが誰なのか見たかったのですが、その男性が突然消えてしまうことを恐れて、従順(じゅうじゅん)に男性についていきました。

降誕祭(クリスマス)のプレゼント

車中、暖かさで溶(と)けながら、少年は、最初渋々(しぶしぶ)、そしてそれから有頂天(うちょうてん)になって、質問に詳しく答え始めました。それまでママとどのように暮らしていたか、今はどうなのか。お祝いの晩御飯のことになると、男性は突然車を止めて、セリョジャをあの大きなお店に連れて行きました。さっき自分には手の届かない商品を眺めていたショーウィンドウに。
二人は限界まで詰め込んで店を出ました。男性はチーズ、サラミ、オレンジ、お菓子、そしてケーキまで入った袋をもって車に向かい、セリョジャは大きなテディベアを抱えていました。

二人がどうやってマンションにたどり着いたか、どうやってその階にあがったのか、彼は覚えていませんでした。すべては夢のようでした。正気(しょうき)を取り戻したのは、ようやく、ママが寝ていると注意されていた男性が、爪先立(つまさきだ)って部屋に入って、周りを見回し、ささやいた時でした。
―主よ、なんじはどうしてここに…彼らはどうやしてここに…じゃ! 処方箋を持ってあしたお母さんを病院に連れて行くよ。お父さんの世話もするから。君はしばらく私のおばあちゃんのところで住むことになるね。その間に、私たちはここで主さえもてなして恥ずかしくないような修理(しゅうり)をやります!
ところで、― 男性は少年の耳に屈んで言いました。―彼はよく君たちのところにいらっしゃるの?
―だれが?とセリョジャはまばたきしました。
―えーと、彼…自らが!と男性はためらって、ランパーダがその前に燃え続けるイコンに目を向けました。―イイスス・ハリストスが!
―では、これが神さまですか?―今ようやく少年にすべてがわかりました。―これ全部神さまのおかげ?!
30分後、セリョジャは男性を見送ってから、グラグラの折りたたみベッドで横になって、夢の中で何も気づいていないお母さんの寝息に聞き耳を立てていました。窓の外では、濃紺(のうこん)が急に明るくなり始め、朝になりました。向こう側のマンションの窓の光はとうに消え、もう花冠のようには見えませんでした。白樺の木も、もはやクリスマスツリーであることを望みませんでした。しかし、少年はもうそのことに寂しくありませんでした。彼は知っていたのです。来年は、とうとう、自分たちに本当のクリスマスツリーとめでたいお祝いがきっとあると。
彼に恐ろしかったのはたった一つ。それはこのベッドの中ではなく、凍った玄関で目覚めること。でもそこで、テディベアを一層(いっそう)ぎゅっと抱き締めながら、自分を安心させました。降誕祭の夜になんという奇蹟がありうることか!

修道士ワルナワ・サニン
修道士ワルナワ・サニン
修道士ワルナワの作品・翻訳は、どなたでもご自由に引用できます。
ただし、引用の際には、必ず著者の名前をご記載下さい。

ここで使われている絵はヴャチェスラフ・ポレジャエフによるものです。

Березовая елка (святочный рассказ)
Каких только чудес не случается в Рождественскую ночь! Сережа слушал, как мама читает ему святочные рассказы, и только диву давался. Все они, начинаясь грустно-грустно, заканчивались так, что даже плакать хотелось от радости. Были, правда, и рассказы с другим концом. Но мама, хмурясь, пропускала их. И правильно делала. Печального им хватало и в жизни.
За окном наступала темно-синяя ночь. Двор быстро чернел, и только береза под ярким фонарем продолжала оставаться белой. Крупными хлопьями, словно ватные шарики на нитках, которыми они когда-то украшали комнату с елкой, падал снег.

Перед Рождеством
Вспомнив то счастливое время, Сережа прищурил глаза. Береза сразу превратилась в ель, а многочисленные горящие в честь Рождества окна дома напротив стали светящимися гирляндами. Папа с мамой сновали по заставленной мягкой мебелью и увешанной коврами комнате. Они доставали из буфета праздничную посуду и накладывали в нее сыр, колбасу, дымящуюся картошку с мясом…
Сережа сглотнул голодную слюну и открыл глаза. Ель снова стала березой, а комната – пустой и унылой, где не было ни ковров с креслами, ни праздничного стола, ни папы… Мама лежала на истрепанном диване, читая про то, как бедный мальчик однажды попал из жалкой лачуги на рождественский бал во дворец. А папа… его последний раз он видел на вокзале, в окружении точно таких же спившихся бомжей.
– Ну, вот и все! – сказала мама, переворачивая последнюю страницу.
“Как жаль, что такое бывает только в книгах!” – вздохнул про себя Сережа и вслух спросил:
– А почему эти рассказы – святочные?
Мама подумала и улыбнулась:
– Наверное, потому, что они про Рождество. Ты же ведь теперь знаешь, что сегодня кончается пост.
– Он у нас и завтра будет! – буркнул Сережа.
– … и наступает самая веселая неделя, которая называется святки! – делая вид, что не слышит его, закончила мама.
– Самая грустная неделя… – снова искаженным эхом повторил мальчик. Мама с трудом приподнялась на локте и затеплила перед стоявшей на столе иконой лампаду:
– Ну, вот и праздник. С Рождеством Христовым, сынок! Я так хотела, чтобы и у нас с тобой были настоящие святки, но…

Мама
Недоговорив, она легла лицом к стене. Плечи ее вздрагивали. Чем Сережа мог помочь ей? Обнять? Сказать что-нибудь ласковое? Но тогда она заплачет навзрыд, как это уже бывало не раз. И он опять стал глядеть в окно на березовую ель и радужные из-за слез на глазах окна.
Он знал, что мама надеялась получить сегодня щедрую милостыню у храма, куда придет на Рождество много-много людей, и, помнится, даже помогал ей мечтать, как они потратят эти деньги. Но у мамы заболело сердце, и врач сказал, что ей нужно ложиться в больницу. “Только лекарства, – предупредил он, выписывая рецепт, – надо купить за свой счет”. А самое дешевое из них стоило больше, чем мама зарабатывала за месяц, когда еще работала дворником. Где им достать таких денег?

Где достать денег?
Сережа перевел глаза на огонек лампадки. После того, как папа, пропив все самое ценное, исчез из дома, они постепенно сдали в комиссионку мебель и вещи. Осталось лишь то, чего нельзя было продать даже на “блошином” рынке: этот вечно пугающий острыми зубами пружин диван, царапанный-перецарапанный стол, хромые стулья…
Мама хотела продать и родительскую икону, но какая-то бабушка сказала, что она называется “Всех Скорбящих Радость”, и если мама будет молиться перед ней, то Бог и Пресвятая Богородица непременно придут на помощь.
Никто на свете уже больше не мог помочь им, и мама послушалась совета. Она сделала из баночки лампадку и, наливая в нее дешевого масла, отчего та почти сразу же гасла, стала молиться, а потом ходить в храм, где до и после службы просила милостыню.
И, удивительное дело, продавать им давно уже было нечего, денег достать неоткуда, потому что маме из-за болезней пришлось оставить работу, но еда, пусть самая черствая и простая, в доме не переводилась. Сегодня, после первой звездочки, они даже поужинали по-праздничному – черным хлебом с селедкой под луком! А вот завтра, холодея, вспомнил Сережа, им совсем нечего будет есть.
И тут он понял, чем может помочь маме! Если она сама не в силах пойти за милостыней, то должен идти он! Нужно было только дождаться, когда мама уснет или погаснет лампадка, чтобы он мог незаметно уйти из дома. Но огонек в этот раз почему-то горел и горел. К счастью, мама вскоре задышала по-сонному ровно, и Сережа, наскоро одевшись, неслышно скользнул за дверь.

На улице
Улица встретила его разноцветным сиянием и многоголосой суетой. Со всех сторон завывающе подмигивали огни реклам. Мчались, шипя колесами, по заснеженному асфальту автомобили. Люди, смеясь и радуясь празднику, шли – одни обгоняя его, другие навстречу… Десятки, сотни, тысячи людей, и ни одному из них не было дела до одиноко идущего мальчика, у которого дома осталась больная мать.
Сережа шел, и ему казалось, что все это он уже где-то видел и слышал, причем совсем недавно. “Ах, да! – вспомнил он. – В святочных рассказах”. Только там бездушными прохожими были жившие лет сто назад, а не эти люди, а бедным мальчиком – он сам. И хотя в ближайшем храме, и в другом, и в третьем всенощная служба уже отошла, его не покидало ощущение, что с ним тоже может произойти что-то необыкновенное.
Он уже не шел – бежал по улицам. И только раз, проходя мимо большого магазина, остановился и долго, расплющив нос о витринное стекло, смотрел на ломившиеся от всяких вкусностей прилавки и на огромного плюшевого мишку в отделе подарков.
Наконец, обежав и исколесив полгорода на трамвае, он увидел церковь, в котором еще шла ночная служба. Встав на паперти, Сережа робко протянул руку и, завидев приближавшихся людей, выдавил из себя непривычное:
– Подайте, ради Христа!

Подайте… ради Христа!
Первый рубль, который вложил ему в ладошку старичок, он запомнил на всю жизнь. Потом одна женщина дала ему две десятикопеечные монетки, а другая – пряник. И все. После этого переулок перед храмом как вымер.
Сережа понял, что, опоздав к началу службы, он должен дождаться ее окончания, когда начнут выходить люди.
Зайти же в храм, где громко пели “Христос раждается…”, он боялся – вдруг за это время появится еще какой-нибудь щедрый прохожий?
От долгого стояния на одном месте стали мерзнуть ноги. Варежки он в спешке забыл дома и теперь вынужден был поочередно греть в кармане то одну, то другую руку. Наконец он присел на корточки и, не опуская ладошки – вдруг все же кто-то пройдет мимо, – почувствовал, как быстро проваливается в сон.
…Очнулся он от близкого громкого разговора. Сережа открыл глаза и увидел высокого красивого мужчину в распахнутой дубленке, с толстой сумочкой на ремешке, какие носят богатые люди.
– Можешь поздравить! – говорил он кому-то по трубке-телефону. – Только что исповедался и, как говорится, очистил сердце! Такой груз с души снял… Все, еду теперь отдыхать!
– Подайте… ради Христа! – испугавшись, что он сейчас уйдет, с трудом разлепил заледенелые губы Сережа. Мужчина, не переставая разговаривать, достал из кармана и небрежно протянул – Сережа даже глазам не поверил, но каких только чудес не бывает в Рождественскую ночь – сто рублей!
– Спасибо! – прошептал он и сбивчиво в порыве благодарности принялся объяснять: “У меня ведь мама больна … рецепт… есть нечего завтра… было…”
– Хватит с тебя. Остальное Бог подаст! – поняв его по-своему, отмахнулся мужчина.

Чудеса есть!
И тут произошло что-то непонятное… странное… удивительное! Мужчина вдруг изменился в лице. Брезгливое выражение исчезло, и на смену ему пришло благоговейное. Он с восторгом и почти с ужасом, глядя куда-то выше и правее головы мальчика, стал торопливо расстегивать сумочку, бормоча:
– Господи, да я… Господи, да если это Тебе… Я ведь только слышал, что Ты стоишь за нищими, но чтобы это было вот так… здесь… со мною?.. Держи, малыш!
Сережа посмотрел на то, что давал ему мужчина, и обомлел. Это были доллары… Одна, вторая, пятая, десятая – и сколько их там еще – зеленоватые бумажки! Он попытался ухватить их, но пальцы так задеревенели на морозе, что не смогли удержать этого богатства.
– Господи, да он же замерз! Ты ведь замерз совсем! – обращаясь уже к Сереже, воскликнул странный мужчина и приказал: “А ну, живо ко мне в машину, я отвезу вас… тебя домой!”
Мужчина не был пьян. Сережа, хорошо знавший по папе, какими бывают пьяные, сразу понял это. Он очень хотел оглянуться и посмотреть, кто это так помогает ему, но, боясь, что мужчина вдруг исчезнет, покорно пошел за ним следом.

Рождественские подарки
В машине, отмякая в тепле, он сначала нехотя, а потом, увлекаясь, стал подробно отвечать на вопросы, как они с мамой жили раньше и как живут теперь. Когда же дошел до того, каким был у них праздничный ужин, мужчина резко затормозил машину и повел Сережу в тот самый большой магазин, у витрины которого он любовался недоступными ему товарами.
Из магазина они вышли нагруженными до предела. Мужчина шел к машине с пакетами, в которых были сыр, колбаса, апельсины, конфеты и даже торт, а Сережа прижимал к груди огромного плюшевого мишку.
Как они доехали до дома, как поднялись на этаж, он не помнил. Все происходило как во все. Пришел он в себя только тогда, когда предупрежденный, что мама спит, мужчина на цыпочках пробрался в комнату, осмотрелся и прошептал:
– Господи, да как же Ты сюда… да как же они здесь… Значит, так! Рецепт я забираю с собой и завтра же отвожу твою маму в больницу. Папой тоже займусь. Ты пока поживешь у моей бабушки. А здесь мы за это время такой ремонт сделаем, что самого Господа не стыдно принимать будет! Кстати, – наклонился он к уху мальчика, – а Он часто у вас бывает?
– Кто? – заморгал Сережа.
– Ну, Сам… Он! – мужчина замялся и показал взглядом на икону, перед которой продолжала гореть лампадка. – Иисус Христос!
– Так значит, это был Он? – только теперь понял все мальчик. – И все это – благодаря Ему?!
Через полчаса Сережа, проводив мужчину, лежал на своей расшатанной раскладушке и слушал, как дышит во сне даже не подозревавшая ни о чем мама. За окном быстро наступало светло-синее утро. Окна в доме напротив давно погасли и не казались уже гирляндами. Береза тоже не хотела больше быть елью. Но ему теперь не было грустно от этого. Он знал, что в следующем году наконец-то и у них обязательно будут настоящая елка и святки.
Единственное, чего он страшился, так это проснуться не в этой постели, а на промерзшей паперти. Но тут же, сжимая покрепче плюшевого мишку, успокаивал себя: ведь каких только чудес не случается в Рождественскую ночь!
Монах Варнава (Санин)

Цитировать произведения или перевод работ монаха Варнавы Санина может каждый при указании имени автора. Здесь представлены рисунки Вячеслава Полежаева.

■2021年12月 子供たちの詩:祈り、罪、痛悔

子供たちの詩:祈り、罪、痛悔
ДЕТСКИЕ СТИХИ: МОЛИТВА, ГРЕХ, ИСПОВЕДЬ


絵:ワルワラ・ボンディナ (1974-2013)
Рисунок: Варвара Бондина (1974-2013)

 

***
ハリストスの降誕祭
あるいは最もよい贈り物

カレンダーから
1月6日を破ったら、
その下に一枚
『ハリストスの降誕祭』!

何をしたら?どうしよう?
始まった悩み
神様の誕生日に
何を贈ろう?
本? 鉛筆(えんぴつ)? お菓子?
もしかして、この箱はどうかな?
くまさん? かたな?
それともぼくの大好きな鉄砲(てっぽう)?

鉛筆はだめだ
神様に何か贈れるかな?
神様が持ってない物あるかな?
神様にお菓子?まさか!

切符のアルバムをめくってみたけど、
これも贈れないよ!
箱に投げ戻したのはかたな
ぼくの大好きな鉄砲…

一日中大騒ぎ
もうほとんど夢の中のよう
涙ぐむまでのささやき
ハリストス、誕生日おめでとう!

РОЖДЕСТВО ХРИСТОВО 
или 
ЛУЧШИЙ ПОДАРОК

Я сорвал с календаря
Лист шестого января.
А под ним два слова:
<Рождество Христово>!
Что же делать? Как же быть?
Начались мученья:
Что мне Богу подарить
В день Его рожденья?
Книгу? Карандаш? Конфету?
Может быть, коробку эту?..
Мишку? Саблю? Или пушку —
Мою лучшую игрушку?
Отложил я карандаш:
Разве Богу что-то дашь?
Ну, чего у Бога нету?
И зачем Ему — конфету?!
Полистал альбом для марок —
Это тоже не подарок!
Бросил в ящик саблю, пушку —
Мою лучшую игрушку…
Целый день прошел в возне.
И уже почти во сне
Я шепнул до самых слез.
— С днем рождения, Христос.

***
痛悔

わたし今夜あまりすることが
なかったのかな?
夜わたし家族全員に
つらくあたってしまった!

お父さんにも、お母さんにも、お婆(ばあ)ちゃんにも、
遊んでいた時弟にも、
「せっせっせ」を
しながら小さな妹にも

おばさんにも、おじさんにも、お爺(じい)ちゃんにも
友達にも。あーあ!
私、地獄(じごく)に行きたいの?いえいえ!
天国を選ぶさ!

その晩イコンの前に
すぐ立った。
叩拝(こうはい)しながらこの罪について
神さまに話した。

晩ご飯でわたしのささやき
「悪いのはわたし」…
いいえ、あの地獄は私たちに
全くいらない!

そこでは、わたしは聞いたけど、
悪の炎が皆を飲み込んでいると。
罪人がそこで
痛い痛い痛い目にあうと!

神様と一緒(いっしょ)なら
無礼(ぶれい)と嫉妬(しっと)の出る幕はないわ。
これからはひどい目にあわないよう、
良い子になるよ。

すると、明日から
わたしをうろたえさせても、
みんなが新しい私に
出会えるよ!

ИСПОВЕДЬ

Делать, что ли, нечего
В этот вечер мне?
Нагрубил я вечером
Всей своей родне!
Папе, маме, бабушке,
Братику в игре,
И, играя в ладушки,
Маленькой сестре!
Тете, дяде, дедушке,
Другу — ай-ай-ай!
В ад хочу я? Нетушки!
Выбираю рай!
Я перед иконами
В тот же вечер встал,
И про грех с поклонами
Богу рассказал.
Прошептал за ужином
Всем, что виноват…
Нет, совсем не нужен нам
Этот самый ад!
Там, я слышал, поедом
Всех огонь ест злой.
Грешников такое там
Ждет, что ой-ой-ой!
Грубости и зависти
Места с Богом нет.
Буду так себя вести,
Чтоб не ведать бед.
Значит, вы увидите
С завтрашнего дня,
Даже коль обидите,
Нового меня!

***
ハリストスが釘打たれた十字架

主、私の神よ、
十字架からでさえ
あなたは私を抱き締めるため
自分の腕(うで)を開いている!

聖なる十字架で
静かに立って、
ハリストスの苦しみを
音もなく眺(なが)めて、

十字架の裾(すそ)に接吻(せっぷん)しながら、
泣いている
そして…ハリストスに
抱かれている!

РАСПЯТЬЕ

Господи, Боже мой,
Даже с Распятья
Ты мне Свои
Раскрываешь объятья!
Тихо стою
У святого Креста,
Молча смотрю
На мученья Христа,
Плачу, целуя
Подножье Распятья
И… попадаю
В Христовы объятья!

***
偶像(ぐうぞう)

周りには偶像がこんなにたくさん
家々は偶像で氾濫(はんらん)!
テレビ、ほら、
全世界を誘惑(ゆうわく)した偶像だ

電話は多くの人の偶像
ビデオカセットも、
映画俳優(えいが はいゆう)の写真もそう、
美味しいお菓子も、
好きすぎると、
偶像になるよ

玄関から家を精査(せいさ)しよう
私たちに神様より大切なものは、
全ては数え切れないが、
それは偶像なのだ!

ИДОЛЫ

Сколько идолов кругом —
Ими полон каждый дом!
Телевизор — вот кумир,
Соблазнивший целый мир.
Идол многих — телефон,
Видеомагнитофон,
Кинозвезд фотопортреты…
Даже вкусные конфеты,
Если слишком их любить,
Могут идолами быть!
Оглядите дом с порога:
Все, что нам дороже Бога,
А всего не перечесть, —
Это идолы и есть!

***
教訓(きょうくん)

当たり前のことだけど、
私が誰かをうろたえさせたら、
誰も見てなくても、
その悪が私に返ってくる
同じ言葉、同じ痛み、
様々な厄介(やっかい)…

では、なぜこのような教訓から
なかなか学ばないのか?

УРОК
Если я кого обидел,
Так уж получается —
Даже пусть никто не видел,
Зло мне возвращается:
Тем же словом, той же болью,
Неприятностью любою…
Почему ж такой урок
Не идет никак мне впрок?..

***
不寛容(ふかんよう)

もし心がまだ
他人の罪を赦(ゆる)す用意がないなら、
神さまは私の全ての罪を、しかもいつまでも
どのように赦すのか?

НЕПРОЩЕНЬЕ

Если сердце не готово
За грешок простить другого,
Как мне Бог простит тогда
Все грехи и навсегда?

***
中傷(ちゅうしょう)

中傷は危険な敵
「バカ!」とか
「耳が遠い!」とか
単なる「悪い」とか言えば

冗談でも
誰かをあざ笑うなら、
その瞬間からあなたは
中傷の友となると覚えてね

どうして頭を下げたの?
このような人は単なる中傷者!
ところですぐさま、全く同じに
あなたに言う。「バカ!」とか
「耳が遠い!」とか
ましな場合は「悪い…」

その中傷との出会いは
偶然ではない
中傷はブーメランのように
中傷として返ってきて私たちを打ち倒すから!

КЛЕВЕТА
Клевета — опасный враг.
Если скажешь: <Он — дурак!>
Или: <Он, как пень глухой!>
Или просто: <Он плохой…>
Если высмеешь кого-то
Даже в виде анекдота,
Знай, что ты с минуты той
Подружился с клеветой.
И зовут таких — что сник?
Очень просто: клеветник!
Вскоре, кстати, точно так
Скажут о тебе: <Дурак!>
Или: <Он, как пень глухой!>
В лучшем случае: <Плохой…>
Встреча будет неспроста
С клеветою тою:
Бумерангом клевета
Бьет нас клеветою!
***
恩知らず

誰がいつも私たちに全てを与えるのか?
もちろん、神さま!
だが、災い!
この真実を忘れて、
私はケーキ、ゲーム、お菓子のために
神さま以外のみんなには
感謝がうまい…
とんでもない!

НЕБЛАГОДАРНОСТЬ

Кто дает нам все всегда?
Бог, конечно!
Но беда —
Истину забывши эту,
Я за торт, игру, конфету
Всех благодарить мастак,
Кроме Бога…
Как же так?!

***
ものいみの日
(水曜日と金曜日)
どこにいても、私がハリストスに誠実であるか、
この二日が検査(けんさ)している。
一週間という顔の二つの目のようにこの二日は
言葉ではなく、行いで私がどのような人か見ている。

ПОСТНЫЕ ДНИ
(среда и пятница)

Где бы я ни был — эти два дня
На верность Христу проверяют меня.
Будто два глаза на лике недели
Смотрят: каков я не в слове, а в деле!
***
悔い改め

舌をどんなに見張っても、舌はいつも
ウソをつく用意ができている!
私は今日、学校でも、お父さんにも、
お母さんにも、友人コーリャにもウソをついてしまった。
少しずつ、あっちこっちでウソをついて、
丸ごとウソつきになった。
だが、自分を責めながら、言う
「主よ、おゆるしください!」

ПОКАЯНИЕ
Как язык ни сторожи —
Он всегда готов ко лжи!
Я солгал сегодня в школе,
Папе, маме, другу Коле.
По чуть-чуть, то там, то здесь
Ложь сказав, залгался весь.
Но скажу, себя виня:
<Господи, прости меня!>

***
告げ口さん

あれあれ、世の中のみんなについて
こう言ったり、ささやいたのは誰?
「マリンカはお菓子ばっか!
セルゲイは言った。『ばか!』
からかう弟!
いたずらな妹!」
このような告げ口さんは
恥じることなく悪いことまるごと広め、
自分のことさえ
「私は厄介者(やっかいもの)!」だと
私たちに知らせ、教えている

ЯБЕДА

Это ж кто про всех на свете
Говорит и шепчет так:
— А Маринка вся в конфете!
А Сергей сказал: <Дурак!>
А братишка дразнится!
А сестра — проказница!
Это ябеда разносит
Все плохое без стыда.
Даже на себя доносит,
Говорит нам:
Я — беда!

***

「舌は敵!」だって
でもどうして?
もし中傷、嘘、
おしゃべり、口ごたえ、
言い合い、批判、けんかをやめて、
祈って、仲直りすれば、
すぐでも、急でもないけど
舌は敵ではなく、友だちだよ!

ЯЗЫК

Говорят: язык мой — враг!
Ну, зачем его мы так?
Если прекратить злословить,
Лгать, перечить, многословить,
Спорить, осуждать, ругаться,
А молиться, примиряться, —
Пусть не сразу, пусть не вдруг,
Будет он не враг, а — друг!

***
イコン

神さまの力でいっぱい
どんな家にもある
神さまのことをあまり忘れない
どんな家にも置いてある
知っといてね!祈りとものいみと共に
イコンの全てが描かれている
聖なる光の神さまも、
生神女マリヤも、
私たちにはイコンでしか見えない
それほど清らかなもの、
それが天使、
そして神の聖人も!
ほら、勝利の冠を被っている
聖人は矛で竜を刺している…
これは絵でもなく、写真でもない
これは聖像で、イコン!

ИКОНА
Божьей силою полна,
В каждом доме есть она,
В каждом доме, где про Бога
Люди помнят хоть немного.
Знай: с молитвой и постом
Все на ней выводится:
Бог, в сиянии святом,
Или Богородица,
Или Ангелов чины,
Что нам только здесь видны,
Так они чисты, и —
Божий святые!
Вот — копьем в венце побед
Бьет святой дракона…
Не картина, не портрет
Это, а — икона!

***
手作りのイコン

去年のカレンダーは喜びをいっぱい
私に贈っている
だって「変容祭(へんようさい)」
という祭日がそこで描かれている!

カレンダーと厚紙、のりをとった。
厚紙の四角に
その絵を上に貼り付けた。
どうなった?イコンになった!

拝むのは私だけど、
でも大好きなイコンよ!

ИКОНА САМОДЕЛЬНАЯ

Много радости мне дарит
Прошлогодний календарик —
Ведь на нем изображенье
Праздника <Преображенье>!
Взял его, бумагу, клей я
И картинкой вверх приклеил
На квадратик из картона.
Получилось что? Икона!
Пусть лишь мною чтимая,
Но зато — любимая!

***
最初の祈り

今日は何のお祝い?
平日にお祝いのケーキだい!
私は祈りを覚えた
神さまが自ら私を手伝ってくれた!

わたしは今日初めて
大好きなお姉ちゃんを真似(まね)して
私たちのために繰り返し祈ったよ
「主、あわれめよ」!

お日さまが窓にキラキラ
お姉ちゃんはママにまっしぐら
ママが私たちに作ってくれたケーキ
今は私たちが食べる時

でも今は昼ご飯前
私はテーブルに慌(あわ)てない
お姉ちゃんとママにならい
大人みたいに祈るから!

ПЕРВАЯ МОЛИТВА

Что за праздник здесь случился?
В будни — праздничный пирог!
Я — молиться научился:
В этом мне Сам Бог помог!
Я сегодня первый раз
За сестренкой милой
Повторил, молясь за нас:
<Господи, помилуй!>
Солнце брызнуло по окнам!
К маме бросилась сестра.
Мама испекла пирог нам,
И его нам есть пора.
Но теперь перед обедом
Я за стол не тороплюсь.
За сестрой и мамой следом.
Словно взрослый — помолюсь!

***
贈り物に祈りを

この詩を一人のおばあちゃんが
私の耳にささやいた。
この詩をくれたのは修道女(しゅうどうじょ)、
覚えるのは難しくないよ

「主、私の慰め主
主、私の救い主
私を地獄から救って
私と一緒に常にいて!」

私はすぐにこの詩を暗記したよ!
あんまり言葉がやさしくて
一回目で覚えたよ…
あなたは何回目?

МОЛИТВА В ПОДАРОК

Этот стих одна старушка
Прошептала мне на ушко.
Ей его дала монашка,
И учить его не тяжко:
<Господь — моя отрада,
Господь — Спаситель мой,
Избавь меня от ада
И будь всегда со мной!>
Я его запомнил сразу —
То есть с первого же разу,
Так его слова просты…
А с какого раза ты?

***
仲良しのお祈り

呼び鈴が鳴った
電報だ!
パパは悲しく、ママは涙
お兄ちゃんはため息
大変だ!
マーシャおばあちゃんが病気…

私はすぐベッドから降りて、
- 一緒にお祈りをしよう!
- そうそう! そうしよう!
ロウソクをつけ、
夜中まで一晩中
私たちは一斉(いっせい)に神さまに祈った
これがマーシャおばあちゃんに必要!

すぐまた呼び鈴(りん)が鳴った
すると悲しみが喜びになった!
一緒に電報を見
良い知らせに私たちの喜び
私たちの仲良しのお祈りで
マーシャおばあちゃんは治った!

パパも嬉(うれ)しい、ママも嬉しい
お兄ちゃんのささやき
- いつもこうでなきゃ
もし誰かが病気になったら、
すぐにお祈りをしなくちゃ!

ДРУЖНАЯ МОЛИТВА

В дверь звонок:
— Вам телеграмма!
Грустен папа, плачет мама.
Брат вздыхает:
— Плохо дело —
Баба Маша заболела…
Я скорей встаю с кровати:
— Так помолимся давайте!
— Верно!
Зажигаем свечи,
И до ночи целый вечер
Богу молимся мы дружно —
Это бабе Маше нужно!
Вновь звонок раздался вскоре
И сменила радость горе!
Телеграмму смотрим вместе,
Радуемся доброй вести.
Исцелилась баба Маша
По молитве дружной нашей!
Папа рад, И мама рада.
Шепчет брат:
— Всегда так надо:
Если болен кто из нас,
То молиться сей же час!

***
子守り歌

ねんねんころりよ
主はあなたと一緒、私の子よ、
ふるさとの青い川のよう
夢がただよう

夜明けまで
通りも家も眠りに落ちる
お菓子も夢見ながら、
ぐっすり眠っている

ねんねんころりよ
子猫たち三匹は母猫の夢
そしてでっぷり大猫は
スズメの夢

ねんねんころりよ
トンボもカタツムリも
柵(さく)も正門も寝ている
庭は小屋で寝ている

教会のそばの木は寝ている
パパも横になっている
そして、あなたの大好きなママも
眠たい…

ねんねんころりよ
扉を閉めて
一人にしない
信じて

守護天使(しゅごてんし)があなたに
天の住まいについて
天使の歌を歌うよ…
ねんねんころりよ

КОЛЫБЕЛЬНАЯ

Спи, малыш, Господь с тобою,
Баюшки-баю!
Сон рекою голубою
Лег в родном краю.
Засыпают до рассвета
Улицы, дома.
Сладко-сладко спит конфета,
Снясь себе сама!
Снится трем котятам кошка.
Баюшки-баю!
И увесистая крошка
Снится воробью!
Спят стрекозы и улитки.
Баю-баю-бай!
Спят заборы и калитки,
Спит в саду сарай.
Спят деревья возле храма,
Папа лег в кровать.
И твоя родная мама
Тоже хочет спать…
Спи спокойно, баю-баю,
Закрывая дверь,
Я тебя не оставляю
Одного, поверь.
Будет Ангел твой хранитель
Песню петь свою
Про небесную Обитель…
Баюшки-баю!

***
秋の子守り歌

松の木の緑の手で
秋は一冬のため
寝る準備をしていた・・・

ねんねんころりよ
おころりよ

雨風(あめかぜ)や吹雪(ふぶき)は
暖かい雪で
寝床(ねどこ)の彼女を覆(おお)う

ねんねんころりよ
おころりよ

冬が終わると、緑の春に
眠りを知らない泉が道に
流れていく

ねんねんころりよ
おころりよ

それから主が夏を与え、
優しいお日さまの光で
全ての地が暖まる

ねんねんころりよ
おころりよ

ОСЕННЯЯ КОЛЫБЕЛЬНАЯ

На зелёных лапах сосен
Спать укладывалась осень
На всю зиму…
Баю-бай,
Поскорее засыпай!
Будут вьюги и метели
Укрывать её в постели
Теплым снегом…
Баю-бай,
Поскорее засыпай!
За зимой — весной зелёной
Побежит ручей бессонный
По дорогам…
Баю-бай,
Поскорее засыпай.
А потом Господь даст лето,
Будет вся земля согрета
Добрым солнцем…
Баю-бай,
За-сы-пай…

 

修道士ワルナワ・サニン
修道士ワルナワ・サニン 『子供達の詩集より』
修道士ワルナワの作品・翻訳は、どなたでもご自由に引用できます。
ただし、引用の際には、必ず著者の名前をご記載下さい。

Монах Варнава Санин, из сборника детских стихов. Цитировать произведения или перевод работ монаха Варнавы Санина может каждый при указании имени автора.

■2021年12月 人間の体シリーズ 腿(もも)3

救い主イイススの胸によりそう

その弟子が、イイススの胸もとに寄りかかったまま  
「主よ、それはだれのことですか」というと、
イイススは、「わたしがパンきれを浸して与える
のがその人だ」と答えられた。
〈新約聖書「イオアン(ヨハネ)福音書」13章〉

 腿(もも)の誓い、立ってする誓いと、席座する誓いの形があり、実際に体で表現すると、こうなります。
 誓いを立てる者、宣誓の言葉を語る者は右手を、相手の腿の間に入れます。すると自然に頭は、誓いの言葉を聴く人の右肩、右胸に当たります。
 誓いの言葉を聴く者は、相手の肩を抱くか、背中をなでて、その誓いを聞き取ります。
 上記のイコン、リーナ・デルペーロ「最後の晩餐」『作品集』1999年
 
 この親密な態勢。
 じつは祈りの姿勢なのです。
 祈りが神に対する重要な誓いの言葉であることをわたしたちは思い起こしましょう。
 さらに、この誓いの姿勢は、最後(機密)の晩餐で、いちばん年少の使徒イオアン(ヨハネ)が、恩師イイススの胸に寄りかかって、その心臓の音を聴いた姿そのものです。
 神様に向かって祈り、誓う者は、その胸・肩に顔を、ほほをすり寄せ、神様の親密な温かさ、体温、呼吸、心臓の鼓動を体感します。
 黙示録を書いた聖使徒、福音者、神学者イオアンは、こう言います。

「この方(救世主)の衣と腿のあたりには、王の王、主の主という名が記されている」(黙示録19・16)

 腿の間に手を入れて、人生を左右する誓いを立てる。
 もちろん、現代において、この誓いの形はほとんど行われていませんが、教会では「按手(あんしゅ)」という別の祝福の形で生きています。

(長司祭 パウェル 及川 信)

■2021年11月 子供たちの詩:神さま、守護天使

子供たちの詩:神さま、守護天使
ДЕТСКИЕ СТИХИ: БОГ, АНГЕЛ-ХРАНИТЕЛЬ


絵:ワルワラ・ボンディナ (1974-2013)
Рисунок: Варвара Бондина (1974-2013)

 

***
主よ、私を祝福してください
この日の朝の
最初の瞬き、最初の一息に
良くも悪くも今日一日に

私をさらに祝福してください
一日の行い全てに
一時一時、一歩一歩に
敵が私を圧倒しないように

全ての道の分かれ道で
森で、人々の中で
そして、最後は日暮れ時に
夜に私を祝福してください

Благослови, Господь, меня
На утро нынешнего дня,
На первый миг, на первый вдох,
На день — хорош он или плох.
Благослови еще меня
На все дела в теченье дня,
На каждый час, на каждый шаг,
Чтоб не осилил меня враг,
На перекрестках всех путей,
В лесной глуши, среди людей…
И, наконец, на склоне дня
Благослови на ночь меня!

***
親友

喜びでお日様も
舞い踊っているよ
分かったこと
神は友人以上!
神はどこでも、様々な悪から
守りながら、
私を見て、聞いて、愛しているよ!

ЛУЧШИЙ ДРУГ
От радости пляшет
сам солнечный круг:
Узнал я, что Бог —
это больше, чем друг!
Что всюду, от всякой
напасти храня,
Он видит, и слышит,
и любит меня!

***
神さま

神様はどこでもいるよ
空に、空気に、水に
神様は全てが見え、神様は全てを知っていて
世界の全ての人々を理解しているよ。
私とあなたの救世主
どこでもいる。活きている!

БОГ

Бог повсюду. Он — везде:
В небе, воздухе, воде.
Всё Он видит, всё Он знает,
Всех на свете понимает.
Он — Спаситель мой и твой.
Он повсюду. Он — живой!

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守護天使

神は洗礼の時に私に天使を与えた。
天使を一度も目にしたことはないけど
知ってるし信じてるよ
毎日天使が私を敵から守っていること!

守護天使は昼も夜も私と隣り合い、
どこでいても急いで私を助けてくれる!
世界中で天使以上のお医者さんを知らない
けど、よく天使をうろたえさせることがある…

嘘をついたり、怠けたり、誰かとケンカして、
天使は私から離れて、その後泣いている。
その時、私に近づくのは悪魔
天使よ、お赦しください。あなたがいないと、困るわ!

АНГЕЛ-ХРАНИТЕЛЬ

Ангела Бог при крещеньи мне дал.
Пусть я его никогда не видал,
Знаю и верю, что день изо дня
Он от врагов защищает меня!
Ангел Хранитель со мной день и ночь,
Где бы я ни был — спешит мне помочь!
Лучшего в мире не знаю врача я,
Только вот часто его огорчаю…
Лгу я, ленюсь или ссорюсь я с кем —
Ангел отходит и плачет затем.
Бесы ко мне подступают тогда.
Ангел, прости, без тебя мне — беда!

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天の友

起きた後も寝る前も
聖なる祭壇に立って、
イコンを見つめて、
祝福を受ける形に手を組んで、

そして、言う。「私の天の友よ、
明るくて、奇跡のような天使よ、
私の思いやり溢れる守護者
そして、祈りの教導者!」

丸い暈(かさ)がこがねに輝いている
うんうん!友達が私に耳を傾けている!
だから、私は無言ではなく、
静かにささやく。

「あなたは目に見えないけど、忠実で
私の一所懸命な守り手
私が素直で、優しく慎ましい、正直で、
必要とされる人になるように助けて!」

それから私は遊びに出かける
また、夜なら寝る
そして昼も夜も
天使は私のとなりにいるよ!

НЕБЕСНЫЙ ДРУГ

После сна и перед сном,
Встану я в углу святом,
На икону погляжу,
Руки лодочкой сложу,
И скажу: <Мой друг небесный,
Ангел светлый и чудесный,
Мой заботливый хранитель
И молитвам научитель!>
Золотится нимба круг.
Знаю, слышит меня друг!
Потому я не молчу,
А тихонечко шепчу:
<Ты, заступник мой усердный,
Хоть невидимый, но верный,
Помоги мне стать послушным,
Добрым, честным, скромным, нужным!>
После я иду играть
Или (если вечер) спать,
И всю ночь, и среди дня
Ангел около меня!
***
すべては神さまから!

この広い世界で、
私のふるさとの地球で
地下、天上、海中にあるもの全て、
帆を張る風も、
人やトンボ、
狼やウサギ、ヤギも、
猫やネズミ、そして象も、
目にも見えないアブラムシも、
いいえ、数え切れない!
あるもの全部 全部 全部
道端の石でさえも
私たちの主が創ったのよ!

ВСЕ — ОТ БОГА!
Все, что есть на белом свете,
На моей родной планете,
Под землей, на небесах,
Море, ветер в парусах,
Человека, стрекозу,
Волка, зайца и козу,
Кошку, мышку и слона,
Тлю, что даже не видна…
Нет — всего не перечесть!
Все-все-все, что только есть —
Даже камни вдоль дорог —
Сотворил Господь наш Бог!

***
赤ん坊の口から

尋ねたことがある。「みんな、
この世に神様にはいますか?」
そして、子供たちみんなすらすら
優しく私に叫んだ。「はい!」

この言葉を聞いてから
私はまた子供たちに尋ねた。「みんな、
神様なしで世界はあるかな」
すると子供たちは言った。「いいえ!」

そこで私は大声。「みんな、
この世はなんて素晴らしいのでしょう!
その全てを造ったのは誰でしょう?」
すると聞こえた答えは、「神様!」

УСТАМИ МЛАДЕНЦЕВ

Я спросил однажды <Дети,
Есть ли Бог на белом свете?>
И все дети, без труда,
Дружно крикнули мне: <Да-а!>
Я, слова услышав эти,
Вновь спросил: <Скажите, дети,
А без Бога может свет?>
И сказали дети: <Не-ет!>
Я тогда воскликнул: <Дети,
Хорошо-то как на свете!
Кто создать все это мог>
И в ответ услышал: <Бог!>

 

修道士ワルナワ・サニン
修道士ワルナワ・サニン 『子供達の詩集より』
修道士ワルナワの作品・翻訳は、どなたでもご自由に引用できます。
ただし、引用の際には、必ず著者の名前をご記載下さい。

Монах Варнава Санин, из сборника детских стихов. Цитировать произведения или перевод работ монаха Варнавы Санина может каждый при указании имени автора.

■2021年11月 人間の体シリーズ 腿(もも)2

遺言執行の徴(しるし)

イスラエル(イアコフ)は死ぬ日が近づいた時
息子イオシフ(ヨセフ)を呼び寄せて言った。
「もし、おまえがわたしの願いを聞いてくれる
なら、おまえの右の手をわたしの腿(もも)の
間に入れ、わたしのために慈しみとまこととを
もって実行すると、誓ってほしい。どうか、
わたしをこのエジプトには葬らないでくれ。
わたしが先祖たちと共に眠りについたなら、
わたしをエジプトから運び出して、先祖たちの
墓に葬ってほしい」
(旧約聖書「創世記」47:29〜30)

 ユダヤ人のとその国を「イスラエル」と称する起原ともいうべき列祖、イアコフは、一番信頼するイオシフ(ヨセフ)に誓いを立てさせます。
 これは「手をわたしの腿(もも)の間に入れ、天の神、地の神である主にかけて誓いなさい」(創世記24:2、9)と同意義です。
慈しみと真実(まこと)をもって、遺言を実行することを、天地神明にかけて宣誓します。
 信仰の相続とは、おそらく「生命をかけた誓い」なのでしょう。
 わたしたちの多くは、遺言の内容というと、おおむね お墓や祭壇(仏壇)の継承くらいに、想定しがちなのですが、イスラエルは、わたしたちの帰るべき国が「神の国」天国であると言明します。
 すなわち、わたしたちの 国籍は、天にある のです。
 遺言というと、ついつい財産、お金や土地、金銀宝石を想像してしまいますが、ほんとうは人の生き方、だれといっしょに、どこへ向かって生きるのかが重要なのでしょう。
 神と共に、救い主イイススといっしょに、神の国をめざして生きる、その共同体、家族が、正教会です。
 アダムとエバ(イブ)に始まった、創世以降の人間の壮大なドラマは、信仰の相続、信仰財産の相続執行という、神の民の生き方にあらわれています。

(長司祭 パウェル 及川 信)