■2018年3月 春のピクニックとお弁当

梅の花が咲き、もうじき桜の季節が訪れると、花見そして行楽の季節、春のピクニックにお弁当持参で行く人も多いのではないでしょうか。

大昔、紀元前のことです。メソポタミアやエジプトでは、学校へ通う子供へ、親がお昼時にお弁当を届けたと言います。たいてい栄養分豊富な雑穀パン・黒パンを2こ、そして飲み水。よい飲み水が手に入らない地域では、アルコール度数のないノンアルコールビールを子供に持って行きました。現代のノンアルコールビールブームの先駆けといってもいいですね。

じつは聖書には、意外や意外、お弁当を待つ話がたくさん登場します。

旧約聖書サムエル記上17章、イエッセイ(エッサイ)の子ダヴィド(ダビデ)が宿敵ペリシテ人の豪傑、巨人ゴリアテを倒した話。このときダヴィドは戦場にいた兄たちにお弁当を届けるよう父親に命じられています。

ダヴィドがお兄さんたちに運んだお弁当は、炒り麦約23kg、大きなパン10個、そして兄たちが所属している部隊の隊長さんへのプレゼント、大きなチーズ10個です。隊長さん、つまり上司にお弁当のプレゼント、付け届けをするところなど、日本風の親心を感じさせます。 

新約聖書の福音書が掲載している「5つのパンと2匹の魚」あるいは「7つのパン」(マルコ8章)は、救い主イイススのもとに集ったまま帰ろうとしない人々にイイススと弟子がパンと少しの魚を配る話です。

この奇蹟、イイススや弟子が自分の空腹をさしおいて、まずは自分たちのお弁当を人々へ食べさせようとした奇蹟で、このように解釈することができるのではないでしょうか?

イイススと弟子がパンや魚を焼いたりして配りだしたところ、集まっていた人が我も我もと自分のふところのお弁当を出し始めたのではないでしょうか。一つ一つは小さな力でも結集すると大きな力になります。

関西のご婦人方がいつも「飴ちゃんを携帯している」ような風景です。

福音的「飴ちゃん交換現象」といってもいいでしょう。しばしば奇蹟はこうして起こっていくような気がします。自分よりも他人、隣人を心配すること、心配りから始まる奇蹟もあるのではないでしょうか。

多くの人の心と思いの結実として起こる、神様の奇蹟を実証します。

もうひとつ、神様は苦難・困難にある人に対しても、お弁当を贈ります。

旧約聖書列王記上17章では、神様の正しい言葉を伝えたため、時の国王から迫害された預言者イリヤ(エリヤ)が、ヨルダン川沿いの山深い渓谷に身を隠す場面が出て来ます。人気のない川沿いの洞穴に潜んだイリヤは、孤独感に身を切られます。このときイリヤは小川の水を飲み、朝夕の2回、数羽のカラスの運んでくるお弁当、パンと肉(おそらく干し肉)を食べて命をつなぎます。 どんな困難、苦境、逆境にあっても、かならず希望の光、神様の恵みはあります。聖書は、そして教会は、不思議で神秘の力に満ちたお弁当の話をたくさん記録しています。

聖堂の聖パンと葡萄酒、聖体・聖血も、神様からのお弁当です。

神様は待っているわたしたちに、お弁当を贈ってくださっています。

(長司祭 パウェル 及川 信)

■2018年2月 お客様(旅人)のおもてなし

アウラアム(アブラハム)はすぐに天幕の入り口から
 走り出て迎え、地にひれ伏して言った。
 「お客様、よろしければ、どうか、
 僕のもとを通り過ぎないでください。
 水を少々持ってこさせますから、足を洗って、
 木陰でひと休みなさってください。
 何か召し上がるものをととのえさせますので、
 疲れをいやしてから、お出かけになってください。
 せっかく僕の所の近くをお通りになったのですから」
 その人たちは言った。
 「では、お言葉どおりにしましょう」
 (旧約聖書「創世記」18章参照)

日曜日、夕方6時半、テレビの漫画「サザエさん」。

お客さんが帰るとカツオくんやわかめちゃんが歓声を上げます。

お客さんが食べ残した、出前のお寿司やお土産のお菓子が子どもの所に回ってくるかもしれないからです。

じつはわたしが育った北海道、釧路の及川家でも「お客様」は非常に特別な存在でした。わたしにはカツオくんの喜びようは、別の意味で身に染みてわかります。わたしは子どもの頃、日本茶を飲んだ記憶がありません。

でもお客様は日本茶・煎茶を飲んでいました。毎食後、昔の我が家では、ご飯を食べた後、お茶碗にお湯を注いで飲んでいました。お湯は何杯飲んでも良いのです。ですから子どもの頃は、ご飯を食べたらお茶碗で「お湯を飲む」と信じていました。

ある日友人の家にお泊まりで行きましたら、夕食後にお茶が出てびっくり!
わたしはおずおずと「すみません」と、ご飯を食べ終わったお茶碗を差し出して言いました。
「お湯ください」

友だちのご両親がびっくりしていました。

さて聖書にはお客様、旅人の話がたくさん出て来ます。

あの有名な名画、三人の天使を描いた聖アンドレイ・ルブリョフの「至聖三者」聖像は、聖なるアウラアム(アブラハム)が旅人であるお客様をもてなす話です(上掲のイコン「至聖三者」三人の天使、三人の旅人です)。

新約聖書「福音書」での救い主イイススも、たびたび客になってもてなされています。客の饗応(もてなし)は、裕福な者にとっても、一般庶民にとってもその人や家庭の心映えが見てとれる、重要な時間でした。

当時の庶民は、たいてい自分の家に小さな竈(かまど)を持っていて、パンを焼き、煮炊きして料理を出しました。いろいろな雑穀の入ったパンや焼き菓子のほか、そら豆・レンズ豆などの豆類、高価な肉としては牛や羊、庶民は鶏肉や卵、魚、チーズなどの乳製品、オリーブなどを使用した料理・加工品、蜂蜜、干した果実や干し肉等々、意外にバラエティに富んだ料理が客に出されました。お酒は葡萄酒以外に、ざくろ・いちじく・なつめのお酒もあれば、エジプトのピラミッドを造る労働者も飲んだというビールも人気がありました。

さて問題は、じつはもてなされる客の態度にありました。

客をもてなす家では、客が夕食(ディナー)を食べ終わるまで、別室(別室がない場合には子どもは外で遊んだりして)、食事をせずにいます。あくまでもお客優先で、お客が食べる前に、あるいはお客と一緒の食事は、原則ありえないマナーだったと言われています。

お客さんが食べ終わるまで静かに待ちます。

一般庶民は、めったに肉料理を出しません。お客様は特別扱いです。するとお客は、おなかをすかせて待っている子どもや家族のために、わざと特に肉料理をはじめとするお客専用の特別料理を残します。これがマナーです。

何気なく、恩着せがましくない、「きれいさっぱり食べ残す」、これが客のマナーです。お客が帰るか、客室に下がってから家族が安心して、客の残した特別料理を食べ始めます。これは砂漠や荒野を生活の場とする遊牧民の知恵であったと言われています。

十字架接吻の後に、聖パンが振る舞われるのは、その名残かもしれません。神様を訪ねてきた人を「空腹で帰らせてはならない」。

正教会、オーソドックス・チャーチの聖体機密が聖パンと赤葡萄酒が基本であり、十字架接吻の後、聖パンを分け隔て無くふるまうのは、神様の温かな心を顕わしているのだと思います。

(長司祭 パウェル 及川 信)

■2018年1月 洗礼 神の顕われる時(神現祭)

わたしよりも優れた方が、後から来られる。
わたしは、かがんでその方の履き物のヒモを解く値打ちもない。
わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、
その方は聖神(聖霊)で洗礼をお授けになる。
(マルコ福音書1章参照)

預言者、前駆 授洗イオアン(ヨハネ)はこう語りました。

わたしたち人間は、何かを待ちます。東京・JR渋谷駅前の忠犬ハチ公は、最愛のご主人様の帰りを待ちましたが、わたしたちは、何を、誰を、待つのでしょう。

ある評論家は、ほとんどの日本人は、「何を」ではなく、「誰が」に固執して判断する。その結果、たいへんな被害を受けたとしても……と言いました。

どんなに社会に、あるいは自分に良い結果をもたらす提案でも、その内容よりも、「誰が」それを提案、実行するのかに力点を置くというのです。

それは、その人がどんなに過去の過ちを後悔して、深く悔い改め、みんなのためになることをやろうとしても、「ああ、あいつがやるのか。信用できない」という先入観・結論が、最初にあると言うことでしょう。

おそらくこれは、日本ばかりでなく、世界中の人々の傾向だと感じます。

逆に言うと、大がかりなネズミ講のような詐欺商法やオレオレ詐欺に、人が簡単にコロリとだまされてしまうのは、生きる目的である「何を」よりも「誰が」に固執し過ぎているからだとは言えないでしょうか。

木を見て森を見ない、山裾の丘を観て、頂上を含む山全体を観ない人が多すぎるからなのでしょう。

ほんものの詐欺師は、格好良く、甘い言葉で人を誘う、なんだか立派な人物に「見える」ものなのです。

やはり「人は人を待ちたい」のです。わたしたち日本人が「誰が」に固執して生きているのは、あたりまえの正直な人生真理です。

ということは、たとえばイイススは、生きる目的「何を」と、「誰が」なすべきかを、密接不可分に成し遂げた、究極の人物であるということが言えます。
神が人となられた、イイススが約2千年の昔に人の子として降誕されたのは、人が、人の形をした、人格を持った救い主、真実の人を待っていたからです。
神様は、「人を待っている」人の願いをかなえられたのです。

人は、道路標識の看板や標語のような人生目的ではなく、神の人の語りかける温もりに満ちた「生きている言葉」「寄り添う体」「差し伸べられる腕」「やわらかな手」、わたしたちを抱き締める優しい指の感触に安心します。

イイススとは、神様とはそういう安心できる方です。

わたしたちが待っている救いの神は、もうここにいます。

洗礼の日、神の顕われる「神現」それは「真の人の到来」をわたしたちに体験させます。

もう待たなくてもいいのです。イイススはここにおられます。

+上掲の聖像(イコン)「救主の神現(洗礼)祭」

(長司祭 パウェル 及川 信)

■2017年12月 藉身(せきしん)されし救世主

福アウグスティンの説教

言は肉體と成りて、われらの中に居りたり。
恩寵(おんちょう)と真実とに満てられたり。
われら彼の光栄を見たり。
父の独生子(どくせいし)のごとき光栄なり。

(新約聖書 イオアン(ヨハネ)福音書1・14)

ハリストス生まる!

主イイススは母から生まれる前、父と共にいました。

神は救主を生む童貞女(どうていじょ、処女)を選び、主の生まれる日を選びました。

迷信を信じる人は特定の日を重んじます。作物を植える日を選ぶ人がいます。

新しい建物を起工する日を、結婚する日を特別の日とする人もいます。

こうして何か良いこと、繁栄するよう心秘かに考えます。

しかしだれも自分の誕生日を選ぶことはできません。

ところが主は、そのどちら(神の母と誕生日)をも選ぶことができました。

愚かな人たちは人間の運命を星占いによって決めますが、ハリストス(キリスト)は
そうすることで自らの誕生日を選んだのではありません。

ハリストスは生まれる日によって自分は幸福になりませんでしたが、
救主が生まれようと願った日は、祝福されるものとなりました。

事実、ハリストスの誕生日は、ハリストスの神秘の光を啓示します。

聖使徒はこの現実を表信しています(ロマ13・12〜13) 。
「夜はふけ、日は近づいた。だから闇の行いを脱ぎ捨て、光の武具を身につけよう。
日の中を歩むように、品位をもって歩もうではないか」

ハリストスの誕生日は「日」です。わたしたちも日となるよう願いましょう。

信仰無しに生きる時、わたしたちは夜の中に生きています。

不信仰は夜のように全世界を覆っていましたが、
信仰が育つにつれて不信仰がすこしずつ減っていきました。

すなわち、救主イイスス・ハリストスの誕生日によって
日は長くなり夜が短くなります。

皆さん、この日を厳かに守りましょう。

信仰のない人はその日を太陽にこじつけて守りますが、
そうではなく太陽を創造した主のゆえに守りましょう。

言葉である方が藉身(せきしん、受肉)されました。

わたしたちは太陽の下に生まれました。

たしかに太陽の下に生まれた肉體です。

けれども主の権威は全宇宙に及び、太陽はその一部に過ぎません。

今日、藉身された神は、太陽の上に立ちすべてを支配しています。

ところがある人たちは、知的に盲目のため真の義の日である太陽が見えず、
太陽を神として礼拝してしまうことがあるのです。
崇め 讃めよ!

(パウェル及川信神父)

■2017年11月 聖金口 イオアン ヨハネ(11月26日記憶)

疲れた者、重荷を負う者は、
だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。
わたしは柔和で謙遜な者だから、
わたしの軛(くびき)を負い、
わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたは安らぎが得られる。
わたしの軛は負いやすく、
わたしの荷は軽いからである。

(新約聖書「マトフェイ(マタイ)福音書」11章参照)

 黄金の口をもつ説教者、4世紀、シリアのアンティオアの教会から、請われてローマ帝国の首都
コンスタンティノープル(コンスタンティノポリス)大主教となった、われらの親愛なる聖人。

聖金口イオアン・クリュソストモス。

かれは、いまも わたしたちと歩みつづける「同労者」、同心の信仰者です。

冒頭に引いた聖書の言葉は、救い主イイススの福音です。

聖イオアンはこの言葉を、自ら実践した聖人でした。

聖人の説教には、数千人ときには1万人を超える聴衆が参じたといいます。

でも信仰者を魅了しひつけた最大の徳は、かれの実直、誠実な人柄でした。

かれは庶民、ふつうの熱心な信仰者の同伴者、友であり続けました。

これを如実にあらわすのが「聖金口イオアンの聖体礼儀」です。聖人の名を冠された聖体礼儀には
聖人の息吹、声、温かみが満ちています。

いまここにいるような、切々とした聖なる像(イメージ、イコン)が、目の前に立ち上がってくるかのような
聖体礼儀(リトゥルギア、ユーカリスト)。

祝文を読むたびに、聖なる感動と感激がわたしたちのうちに満ちてきます。

 人を愛する主宰や、わが霊(たましい)の恩主や、

 われらに、この日においても、

 なんじが天上の不死の機密を領けさせたまいしを、なんじに感謝す、

 われらの途(みち)を直くし、

 われら衆人を なんじを畏るるの畏れに堅固にし、

 われらの生命を護り、われらの歩みを固めたまえ。

 光栄なる生神女、永貞童女マリヤおよび

 なんじが諸聖人の祈りと願いとによりてなり。

あまりにも神の前に正直に生きた聖イオアン。

その信仰、心は、いまもわたしたちに託されています。

わたしたちは神が精錬される金の心、いやしと救い、
安らぎ、温和、復活の生命、神との一体を希求しつつ信仰生活をつづけましょう。

(パウェル及川信神父)

■2017年10月 橄欖 オリーブ の降福(聖洗礼儀)

主宰、主、わが神、ノイ(ノア)の舟におる者に、
和睦の徴(しるし)、洪水より救わるる號(しるし)たる、
橄欖(かんらん)の小枝(さえだ)をふくむ鳩を遣わし、
これをもって恩寵の奥秘(おうひ)を前兆し、
なんじの聖機密を行うがために橄欖の果をあたえ、
これによりて法律の下にある者にも聖神を充て
恩寵の下にある者をも全備する主や・・・・

(「聖事経」参照)

 聖洗礼儀(洗礼式)において、聖なる膏(油)が全身に塗布されます。

日本正教会では進行上、身体の一部にしか塗布しませんが、本来は全身に塗り込みます。

祈祷文は、これを傅(つ)けると宣言します。香油には聖なる力が満ちています。

 聖神(せいしん)の挙動(はたらき)と庇蔭(おおい)

 不朽の傅(つけ)

 義の武器

 霊體の更新(あらたまり)

 およその悪魔の挙動の遠隔(とおざかり)

 およその悪の解離(はなれ)

香油すなわち喜びの油は、光照者を神の領域へ導きます。

 霊と體とをいやすがため

 教えを聴くがため

 なんじの手 われを造り われを設けり

 なんじが誡めの路(みち)を履むがためなり

香油は外から塗られ、そして食されることで内側から人を満たします。

新鮮なオリーブ油がお店で安価に手に入れることができるようになり、
正教徒としてうれしいかぎりです。(写真:大阪正教会 境内のオリーブ)

イイススがヨルダン川で前駆授洗者イオアン(ヨハネ)から洗礼を受けたとき
鳩のような形の、光の恵みが降福されたといいます。

それは鳩が両翼をすぼめて急降下するような姿なのでしょうか。

香油による恩寵、恵みは、急転直下、いま わたしたちに注がれています。

(パウェル及川信神父)

■2017年9月 葡萄の降福(8月18日の祝文)

主や、この新しき葡萄の実、なんじが気候の順和(やわらぎ)、
雨露の点滴(したたり)、天時の清静(おだやか)なるをもって、
この成熟に至らしめしを喜びし者に祝福して、
われらにこの葡萄の産する所を飲むをもって楽しみを得せしめて、
またこれをなんじに奉るをもって諸罪の潔めを得せしめたまえ。
なんじのハリストスの至聖なる體血によりてなり、
なんじは彼と至聖至善にして生命を施す
なんじの神(しん)とともに崇め讃めらる、
今も何時も世々に、アミン。

(「聖事経」参照)

 聖事経には葡萄を生産することのない土地にあっては、林檎(りんご)あるいはほかの果実を祝福するようにとの指示があります。

晩夏、初秋のこの季節、葡萄をはじめ梨、いちじく、りんご、メロン、すいかなどの果実、夏から秋の野菜でもある、きゅうり、なす、ごうやなど色とりどりの果菜が八百屋さんの店頭をにぎやかに彩ります。(写真:大阪正教会 境内の葡萄)

ちょうど救主の顕栄(変容)祭に合わせて、これらの果実・果菜を聖水で祝福します。

猛暑に打ちしおれているわたしたちの、のどを潤し、いやす収穫を神に感謝しましょう。

とくに葡萄の実は、聖体機密(リトゥルギヤ)の尊血(聖血)となる赤葡萄酒の原料です。

この尊血(聖血)を拝領(領聖)する喜びにまさるものはありません。

その昔、ノアの箱船はアルメニアのアララット山に漂着。

そこは豊穣なる葡萄の産地。

義人ノアは葡萄の生産者として神への献げものを祭壇に安置します。

もしかしたら、パンと葡萄酒を、いちばん最初に、神に献げ、そして領食した聖なる者は、ノアであったのかも知れません。

ノアの事蹟が、数千年の時をへて、救主イイススの最後(機密)の晩餐に結びついているとしたらこの壮大なロマンが、神の救いの道であることがわかります。

ひと粒の葡萄から始まる救いの歩み。

ろうそくの灯火に揺れる、ルビー色の神秘的な光沢と胸を満たす香り。

葡萄酒を前にすると、ノアの感謝と讃美の祈り、かれの風貌が立ちのぼるようです。

(パウェル及川信神父)

■2017年8月 山の住人(奇蹟 山を動かす信仰)

なんじらにもし芥種(からしだね)のごとき信あらば
この山に、ここよりかしこへ移れと言うも、移らん。
またなんじらに一もあたわざることなからん。
このたぐいに至りては、
祈祷と斎(ものいみ)によらざれば出でざるなり。

(新約聖書 マトフェイ(マタイ)福音書17:20-21)

  イイススは断言します。信仰があればこの山に移れと言うと奇蹟が起こり、山が移る、移動する。

では山に住人はいないのでしょうか。この山に住んでいる人はいないのでしょうか?

人ばかりでなく動物、熊のような大きな動物から、キツネ、タヌキ、ネズミ、もぐら、小さな虫、微生物も。

川が流れていれば、川に棲む魚や昆虫、鳥は? 山の植物は? 季節に応じて渡ってくる、動物や鳥は?

山を移すと言えば、非常に簡単なことのように聞こえますが、ちがうと思います。

山を移す、それら動植物、生きとし生けるものを全て含めて移す、と言うことだと思うのです。

このような実現不可能に挑戦した人はいたのでしょうか。

できもしないようなことを平気で言う神を信じる人はいるのでしょうか。

そういう神の思いに応える、神の信頼に応える、神の希望に応える人はいるのでしょうか。

そして移されることに協力する人、動物、植物がいるのでしょうか。そういう信仰心があったのでしょうか。

人の歴史上、ひとりいました。彼に協力した家族、彼の心に共鳴した動物と植物がいました。

そうです、ノアです。箱船を造り、大洪水から人も、動物・植物も救い出した、いいえ動植物がこぞって理解し協力した人間、ノアがいます。

かれらは「世界」を移します。

生命をゆだね、生命を移します。

ノアの願いをかなえようと、夢の実現に動植物が協力するとき、エデンの園、神の国が現れ始めます。

ノアが、ノアを信じる家族が見る世界は愛情あふれる「未来」です。

希望を信じ、希望を愛する。

奇蹟は信じようと決心する時に始まるのです。

(パウェル及川信神父)

■2017年7月 ふたりの聖使徒(聖ペトルと聖パウェル)

彼(ペトル・ペテロ)は誰かの足に接吻するように
頭を大地につけた。
長い沈黙が続いた。
やがてむせび泣きにとぎれがちな老人の言葉が
静寂を破って響いた。
「クオ・ヴァディス・ドミネ・・・・」
ナザリウスにはその答えが聞こえなかったが
ペテロの耳には悲しみをおびた
甘美な声がこう言うのが聞こえた。
「お前が私の民を見捨てるなら、
私はローマへ行って、
もう一度十字架にかかろう」

(シェンキェヴィッチ\吉上昭三訳「クオ・ヴァディス」旺文社文庫参照)

 いまから四十数年前、小学校高学年か中学生だったとき、児童向けの「クオ・ヴァディス」を読み、感動しました。

学校の図書館か釧路の市立図書館で読んだのだと思います。

その後、記憶が確かなら岩波文庫?版も読んだと思うのですが、いまいち翻訳文になじめずにいたところ、冒頭に引いた文庫の本を入手、改めて読み返し、感動を新たにしました。

こどもの頃、自分の聖名の聖人がどういう人であったのか、正直まったく知りませんでした。

ふたりの偉大な聖使徒の歩みも描写した小説を読むことができて、幸運だったと思います。

上記に掲載した聖像の 左:聖使徒ペトル(ペテロ・ペトロ) 右:聖使徒パウェル(パウロ)。

ペトルは中肉中背、少しやせ形の体型で、髪の毛は白髪まじり、いわゆるロマンスグレイだったと言います。

一方のパウェルは、天幕(テント)作りの職人でもあったせいか、筋肉質で少し猫背ぎみ、おでこにはコブのような隆起があり、美男子とは言いがたい風貌でした。

ペトルは、弁舌さわやかな雄弁家ではなく、質朴寡言(しつぼくかげん)、でも一語ひと言には深みがあり、聴く人を落ち着かせ、引きこむ魅力のある信仰者であったと言います。

パウェルはふつう、雄弁家で話術の巧みな説教者として有名ですが、本人は人前に立つと緊張してうまくしゃべれないので、それで手紙を書いて伝えているのだとも語っています。

ペトルの左側に画かれた十字架は、逆になっています。

ペトルがイイススと同じ体勢・体の向きで十字架に架けられることを遠慮し、その敬虔さゆえ逆十字に処されたのだと言われています。

別の伝承では、イイススと同じ形の十字架さえも遠慮して、「X型十字架」に架けられたとも伝えられています。

一方の聖使徒パウェルの右側には「X」字型の十字架が画かれています。

パウェル自身は救主イイススと同様、十字架に架けられることを望んだのですが、パウェルがローマ市民権を持っていたため、斬首刑に処された、と言われています。

X十字は、斬首に処される前に、刑場でムチで打たれるときに、パウェルの体を縛りつけたものだともいいます。

Xはもちろん、「ハリストス(キリスト)」の頭文字。

ペトルもパウェルも「今も何時も世々に」ハリストスと共に生きているのです。

「クオ・ヴァディス」はパウェルの処刑の場面をこう語ります。

  彼の胸は喜びにみちあふれた。

  パウロは人びとに愛を教えたことを思い出した。

  いかに貧しい人びとに財産をほどこそうと、いかにあらゆる言葉、あらゆる神秘、あらゆる知識に通暁しようと、愛なくしてはその人は取るに足りぬ人間なのだ。

  愛は鷹揚で辛抱強く、愛は悪の原因とはならず、名誉を求めず、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える、と説いてきたことを思い出した。

  私は戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。

  今や、義の冠が私を待っているばかりである。

7月12日、いっしょに ふたりの聖人と共にお祈りしましょう。

(パウェル及川信神父)