主や、この新しき葡萄の実、なんじが気候の順和(やわらぎ)、 雨露の点滴(したたり)、天時の清静(おだやか)なるをもって、 この成熟に至らしめしを喜びし者に祝福して、 われらにこの葡萄の産する所を飲むをもって楽しみを得せしめて、 またこれをなんじに奉るをもって諸罪の潔めを得せしめたまえ。 なんじのハリストスの至聖なる體血によりてなり、 なんじは彼と至聖至善にして生命を施す なんじの神(しん)とともに崇め讃めらる、 今も何時も世々に、アミン。 (「聖事経」参照)
聖事経には葡萄を生産することのない土地にあっては、林檎(りんご)あるいはほかの果実を祝福するようにとの指示があります。
晩夏、初秋のこの季節、葡萄をはじめ梨、いちじく、りんご、メロン、すいかなどの果実、夏から秋の野菜でもある、きゅうり、なす、ごうやなど色とりどりの果菜が八百屋さんの店頭をにぎやかに彩ります。(写真:大阪正教会 境内の葡萄)
ちょうど救主の顕栄(変容)祭に合わせて、これらの果実・果菜を聖水で祝福します。
猛暑に打ちしおれているわたしたちの、のどを潤し、いやす収穫を神に感謝しましょう。
とくに葡萄の実は、聖体機密(リトゥルギヤ)の尊血(聖血)となる赤葡萄酒の原料です。
この尊血(聖血)を拝領(領聖)する喜びにまさるものはありません。
その昔、ノアの箱船はアルメニアのアララット山に漂着。
そこは豊穣なる葡萄の産地。
義人ノアは葡萄の生産者として神への献げものを祭壇に安置します。
もしかしたら、パンと葡萄酒を、いちばん最初に、神に献げ、そして領食した聖なる者は、ノアであったのかも知れません。
ノアの事蹟が、数千年の時をへて、救主イイススの最後(機密)の晩餐に結びついているとしたらこの壮大なロマンが、神の救いの道であることがわかります。
ひと粒の葡萄から始まる救いの歩み。
ろうそくの灯火に揺れる、ルビー色の神秘的な光沢と胸を満たす香り。
葡萄酒を前にすると、ノアの感謝と讃美の祈り、かれの風貌が立ちのぼるようです。
(パウェル及川信神父)