■2024年11月 読書と信仰 20 贈りもの(プレゼント)

「これは十七世紀末のヨーロッパの地図です」
とオットーが説明した。
「本物なの?」 とマルタがはしゃいで言った。
「本物のはずはないでしょう? もちろんコピー
ですよ、複製に決まっている」
と医者が近づきながら言った。
「いいえ、本物です。オリジナルです。どうし
てそんなことを……」 オットーはむっとする。
「本物なの!」 アデライーダ夫人は手を打った。
「まあ、なんて素敵なの!」
アレクサンデルは身をかがめ、長い時の流れに
擦り切れた紙に書かれた地図を細かく調べはじめ
た。「しかし、このプレゼントは高価すぎるんじゃ
ないのか! 果して、受け取っていいものかどうか
……」
「どうぞ、お願いですから、そんなことはおっ
しゃらずに!」 とオットーは抗議しはじめた。
「しかし、これは高価すぎるよ! 君が惜しいと
思っていないのはわかるが……」
「惜しくないですって? もちろん惜しいですよ」
「なんですって?」
アレクサンデルには理解できなかった。
「プレゼントというのはかならずちょっと惜しい
ものなんです。惜しくないなら、どうしてプレゼ
ントになるんです?……」
(「戦争」『サクリファイス』)

 祈りは、贈りもの プレゼントではないでしょうか。
 クリスマス、お正月、2月のバレンタインデーへと、贈りもの プレゼントのシーズンがつづきます。
 贈りものに祈りがこめられていることを知ったとき、あなた わたしは 何を体感し、どう受けとめ、そして生きていくのでしょう。
 わたしは、アンドレイ・タルコフスキーのこの小説を読み、映画を観たとき不思議な感動にとらわれました。
 もちろん邪悪な意図を隠しもった贈りものはあることでしょう。見返りや報酬を求める贈りものもあるでしょう。
 祈りの秘められていない贈りものが、ときに 目の前にあります。
 でも、祈りは贈りものです。
 アンドレイ・タルコフスキーは、じぶんの聖名(洗礼名)アンドレイについて、初召(しょしょう)使徒アンドレイと、聖像画家アンドレイ・ルブリョフを意識していると、聞いたことがあります。
 初召使徒アンドレイは、主イイススの最初の弟子の一人、東方の諸民族、ことにスラブ民族へ初めて福音宣教をした使徒として知られています。
 聖アンドレイ・ルブリョフは、正教信仰の極致ともいうべき、清美なイコンを画いたひとでした。
 あきらめない、止めることのない、絶えることのない、神聖な言葉と行動から 無限、永遠が、生まれるのだと思います。
「希望と信仰とともに わが子アンドレイに捧げる」
 これがアンドレイ・タルコフスキーの小説の献辞です。
 ひとから神へ
 ひとからひとへ
 神から ひとへの贈りもの
一本の枯れた木の枝に、水を贈りつづけるひと、いつの日にか花が咲く。
 それは 祈りです。

「あのね、ずっと昔のことだが、パンベという、正
教のある修道院の長老が山のなかちょうどこれと同
じように枯れた木を差しこんで、イオアン・コーロ
フという弟子の修道士に、その木が生き返るまで、
毎日水をやるよう命じたことがある。」
アレクサンデルはとても真剣そうな顔をしていた。
「何年もの間、イオアンは毎日、朝になると桶に水
を汲んで出かけていった。ひとつの桶を山まで運ぶ
のに、日の出から日没まで、まる一日かかった。毎
朝、イオアンは、水桶を持って山に行き、木の株に
水を掛け、夜、もう暗くなった道を修道院まで戻っ
てきた。こうして丸三年過ぎた。そしてある日、イ
オアンが山に登っていくと彼の木に、花が咲き乱れ
ているのを目にしたんだ!」
「……やはり、なんと言われようとも、方法、体系
というのは偉大なものだ。もし、毎日、同じことを、
同じ時刻に行うならば、儀式のように、規則正しく、
何も変えることなく、毎日、正確に同じ時刻に、必ず
行うならば、世界は変わるだろう! 何かが変わる!
変わらないはずはない!」
(「散歩」『サクリファイス』)

(長司祭パウェル及川信)

+アンドレイ・タルコフスキー  鴻 英良 訳
『サクリファイス』 河出書房新社 1987年初版

このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
ご寛宥ください。

■2024年10月 読書と信仰 19 なまえといのち

スイスでは特別な事情があれば妊娠中絶が認めら
れています。(中略)ある一人の女性がプラット
ナー博士のもとを訪れたのもそのためでした。
プラットナー博士が彼女に協同判定を与えること
に気が進まないでいるのを感じたにちがいありま
せん。彼女は自分の言い分を申し立てました。
「先生、結局のところそんなに重要なことではな
いじゃないですか。ただの小さな細胞のかたまり
じゃありませんか!」

彼は、その若い女性にちょっとした質問をしてみ
ました。「もしその赤ちゃんを産むとしたら、何と
いう名前をつけますか」。長い沈黙がありました。
突然その女性は顔をあげて言いました。「ありがとう
ございました。先生。この子を産むことにします」。
(「なぜ この名を」『なまえといのち』)

 科学、医学、数字、客観的なものの見方とは何でしょうか?
 生物学的な細胞分裂の結果が赤ちゃん、こどもだ。
 一方で目の前の紙を裂くような言い方で断じる人たちがいます。
 遺伝子学や科学的方式、結果をすごいことだと思う前に、それが怖いこと、いのちの軽視ではないかと、おそれおののく自分がいます。
 生涯をかけて、互いをいつくしみ、ひとが愛し合って生きるとき、ふたりとは別の何かか生まれている、そう感じることがありませんか。
 いのち、赤ちゃん、こどもは、透明なクリスタルガラスのように光り輝く、もろくてはかない、でもきらきらしている、かけがえのない人格です。
 希望と不安の入りまじった、神秘的で、崇高ないのちの脈動がそこにあります。
 それをあまりにも軽々しく、石ころでも放り割ってしまうような蛮行に、声を失い、胸が痛みます。
 いまこそ愛のほんとうの絆、ちからをよみがえらせる時です。
 あらゆる差別、怒り、憎悪、嫉妬などのカベを乗りこえ、愛の架橋をかけるときです。
 

あきらかに、ここには科学との断絶があります。
この母親は、その内面において、客観的な科学知
識の限界を一気にとびこえ、飛躍し、前進したの
です。彼女の赤ちゃんは、もう物ではありません。
いつの日にか自分の名前に答えるようになるであ
ろう一個の人格をもった生命なのです。対象に名
前を与えることによって、その名前が彼女の愛を
よびさましたのです。
(「なぜ この名を」『なまえといのち』)

(長司祭パウェル及川信)

+ポール・トゥルニエ  小西真人、今枝美奈子 共訳『なまえといのち 人 格の誕生』 日本YMCA同盟出版部 1977年第1刷

このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
ご寛宥ください。

■2024年9月 読書と信仰 18 あまりにも正直な告白

神よ、私はあなたに白状します。私は長いあいだ、
そしていまでも、残念ながら、隣人愛に反撥を感
じてきました。私は人間愛にひそむまことに不思
議な親和力にひかれて、私に定められた人たちの
ために身も心も尽すことに、人間を超える喜びを
熱烈に感じてきましたが――また一方あなたが私
に愛せよといわれる人たちの凡庸さを前にすると、
先天的に敵意と私の心が閉ざされてゆくのを感じ
るのです。

しかし神よ、《他人》を(中略) 単純にいって
《他人》を、すぐまぢかにいる《他人》を――
一見、彼の宇宙によって私に閉ざされてはいるが
私から独立して生き、私に対して世界の単一性と
沈黙を破るように思われる人――を、私の本能的
な反応がはねつけないとあなたにいったなら、私
は誠実だといえるでしょうか。またそういう人と
霊的に交わると思っただけでなにがしの嫌悪を感
じないといったら、私は誠実であるといえるでし
ょうか。
(「愛徳による神のくにの強化」『神のくに』)

九州、鹿児島正教会を管轄していた、30年ほど前のこと。
紫原(むらさきばる)カトリック教会の小平卓保師と知り合いました。
2005年8月、74歳で永眠された小平師、すこし舌足らずな口調の話し方をなさる語学堪能、博覧強記の神父様で、笑顔や雰囲気が恩師、プロクル牛丸康夫師によく似ていました。
鹿児島市民クリスマスを通じて仲良くなり、おたがいそんなにお酒が強くないのに、話すと楽しくて、いく度か市内のイタリア料理店などで赤ワイン片手に時間を忘れて歓談した思い出があります。
「及川神父さんと話すと楽しい」
率直なもの言いで、話題がぽんと飛ぶのが小平師の特徴でしたが、突然、「ロダンの恋人を知っているかね」

わたしがふと思いだし、いいました。
「カミーユ・クローデル……」
目をまあるく見ひらいた小平師は「なんで知ってるの」といいながら、うれしそうに彫刻のことではなく、詩の話をされました。
わたしの知らない詩でした。
また話が飛んでこんどは、フランス留学時代の話になりました。
小平師が、何人かの高名なカトリック司祭や神学者の話をしました。
その中の一人がテイヤール・ド・シャルダン師でした。
わたしはどんな人であったのか、とても知りたくて訊きました。
小平師は、ルビー色の波のゆらぐグラスをかたむけながら、「寡黙な人だった」
……
わたしはその横顔、印象をきいてうなずきました。
フランス語のまったくできないわたしですが、なんとなく、わかった気がしました。
あまりにも心情にそった、正直な告白をするわけが。
そして神秘的なひかりに満ちた、夢のような語り口のわけが。
リアリストであり、神学者であり、探求者、詩人でした。

わたしは、キリストを後光のように取り囲むその
ふるえる雰囲気が、もはや彼の周囲の狭い厚みの
中に局限されず、無限にむかって光りを放射して
いることに気づいた。ときあって、物質の最表層
にまで途絶えることなく奔出するさまをあらわに
し、――生命全体を通して走る一種の血脈網ない
しは神経網を浮き出させながら、尾を曳く燐光の
ようなものが通(よぎ)った。
宇宙全体がふるえていた! しかし対象の一つ一
つをみつめようとすると、それはあいかわらず、
その個体性を保ちつづけて、まえとおなじように
くっきりとした輪郭を残していることに気づいた
のである。
この動きはすべて、キリストから、なかんずく彼
の聖心から発しているように思われた。
(「聖画」『物質のなかなるキリスト』)

(長司祭パウェル及川信)

+テイヤール・ド・シャルダン宇佐見英治、山崎庸一郎共訳『神のくに・宇宙讃歌』1984年新装第1刷みすず書房

このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。ご寛宥ください。

■2024年8月 読書と信仰 17 働き そして 食べること

盆は他の班のものにわたした。パウロは、自分
の二食盛りの皿を前に、シューホフは自分の二
皿を前に、それぞれすわる。それっきり、二人
のあいだには、ひとことの会話もかわされない。
聖なる瞬間のおとずれである。

彼は食べはじめた。最初、一皿のほうの汁だけ
を一気に飲む。熱いものが喉をとおり、全身に
しみとおると、五臓六腑がスープを歓迎してふ
るえだす。すばらしい! いま、この瞬間のた
めにこそ、囚人は生きているのだ!
(『イワン・デニソビッチの一日』)

 昔の釧路湖陵高等学校の運動部の部室は、グランドのはしにならんだ、箱形のコンテナみたいな木造の小屋でした。
 その一角に「演劇部」部室がありました。
 1960年代、学生運動盛んなりしころ、演劇部や文芸部の部員が顧問の先生を人質にして立てこもり、警察官と対峙したと、人質にされた顧問の先生がなつかしそうに回想しました。
「とにかくエネルギーがあった。戦争反対、社会正義の樹立、差別や格差の横暴の排除。あのころの生徒たちは、青いエネルギーのかたまりだった」
 アイヌ、朝鮮人労働者、囚人、炭鉱労働者などの辛苦を先輩の演劇部員が作劇した作品名は「地底(ちぞこ)の叫び」というもので、まさに真っ直ぐな勢いで作品化したことがタイトルからわかりました。
 わたしの在学よりも10年ほども前のことでした。
 わたしはいわゆるノンポリだったのでしょうか。
 中学生の頃から新聞配達などして家計を助けていたので、どうも理屈ばっかりの議論は苦手でした。
顧問の先生からすすめられ、労働者文学、プロレタリア文学も読みました。
 小林多喜二「蟹工船」、徳永直「太陽のない街」などです。
 その頃に読んだのが、ソルジェニツィンの「イワン・デニソビッチの一日」でした。
 ソルジェニツィンの作品を読んで、わたしは作家に失礼かもしれないと思いながら、ヘンなことに感心していました。
「なんて美味しそうに食べるのだろうか」
 主人公の食事の描写の息づかい、味覚、感動が、素直に伝わってきました。
 働き、生きて、食べること。
 強制労働、いわれのない不条理な懲罰、営倉・独房、凍りついた大地。
 それらに拮抗しているかのような、たばこ、お茶、ひと切れのパン、カーシャ、具のはいっている量によって喜ぶスープなどなど。
 どこかしらユーモア、笑いすらも想像させる筆致にうなずいていました。
 生きのびる先に何かがある。
 それは希望かもしれない。
 妻や家族のもとへ帰ることかもしれない。
 ふつうに美味しいものを、ふつうに食べられる日常生活かもしれない。
働き、生きて、食べる。
 生きのびて朝を迎え、夜には、なんとか無事に就寝する。
 ちいさな祈りと消えそうなのに消えていないかすかな光がある。
 そのひと口を美味しいといえる舌があるかぎり、ひとは生きられる。
 ソルジェニツィンはそうやって生きたのだと思いました。

いまのシューホフは、なににたいしても、不満
めいたものをいっさい感じなかった。長い刑期
にたいしても、長い一日にたいしても。いま、
彼の頭にある考えは、つぎのことにつきた。生
きのびよう! 神の思召しで、このすべてが終
わるときまでは、なんとしても生きのびるのだ!

(長司祭パウェル及川信)

+アレクサンドル・ソルジェニツィン 江川卓 訳「イワン・デニソビッチの一 日」、『ソルジェニツィン集』新しいソビエトの文学6 1974年(第6刷) 勁草書房

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■2024年7月 読書と信仰 16 見えるものと見えないもの

「じゃ、さよなら」と、王子さまはいいました。
「さよなら」と、キツネがいいました。
「さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでも
ないことだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよ
く見えないってことさ。かんじんなことは、目
に見えないんだよ」
「かんじんなことは、目には見えない」と、王
子さまは、忘れないようにくりかえしました。
「あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせ
つに思っているのはね、そのバラの花のために、
ひまつぶしをしたからだよ」
「ぼくが、ぼくのバラの花を、とても大切に思
っているのは……」と、王子さまは、忘れない
ようにいいました。
「人間っていうものは、この大切なことを忘れ
てるんだよ。だけど、あんたは、このことを忘
れちゃいけない。めんどうをみたあいてには、
いつまでも責任があるんだ。まもらなきゃなら
ないんだよ、バラの花との約束をね……」と、
キツネはいいました。
「ぼくは、あのバラの花との約束を守らなきゃ
いけない……」と、王子さまは、忘れないように
くりかえしました。(『星の王子さま』)

 もう30年以上前、鹿児島正教会へ赴任したとき、蔵書が家に入りきらず、たくさんの本を古本屋さんへ手放しました。
 そのなかに「サン=テグジェペリ著作集」がありました。手もとには「星の王子さま」1冊がのこりました。
 サン=テグジュペリは、目には見えないものを、といいながら、じつは目に見えるものと対話しています。
 王子さまは、目に見えるものとの対話をくりかえしながら、心で見、さらに責任、約束を知り、知り合った相手との間に友情を築いていきます。
 この「心で見なくちゃ」を誤解する人がいます。
 心で認識することは、相手とおなじく目で視認し、心で結びつくということです。無言は有言となり、無形は有形となります。
 心だけで、心のなかに……といい、じぶんと相手を正面から見ない、すなわち現実逃避するひとのなんと多いことでしょうか。
 サン=テグジュペリは、せまくて窮屈な、閉じ込められた空間へ逃げ込め、とはひと言もいっていないのではありませんか。
 この作品は、プレゼント、贈りものについて、しばしばふれています。
 プレゼント、贈りものは、友情すなわち契約の証でもあります。
 信仰とは、神へのプレゼント、贈りものをすることです。
 神さまがおあたえくださっている信、望、愛などへの返礼品、まごころでもあります。
 キツネは「ひまつぶし」ということばを使いましたが、信仰とは、神と人、人と人との「架け橋づくり」、ある意味、壮大なひまつぶしだと思います。
 だれかにかまったら責任と約束が生じる、サン=テグジュペリの物語は、夢とロマンをわたしたちにつないでゆきます。
ひまつぶし、沈黙と祈りが、永遠へとつながっていることを、知っていますか?

「人間はみんな、ちがった目で星を見てるんだ。
旅行する人の目から見ると、星は案内者なんだ。
ちっぽけな光ぐらいにしか思っていない人もい
る。学者の人たちのうちには、星をむずかしい
問題にしてる人もいる。ぼくのあった実業家な
んかは、金貨だと思ってた。だけど、あいての
星は、みんな、なんいもいわずにだまっている。
でも、きみのとっては、星が、ほかの人とはち
がったものになるんだ……」

(長司祭パウェル及川信)

+サン=テグジュペリ 作 内藤濯 訳『星の王子さま』岩波書店 1981年(第36刷)

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■2024年6月 読書と信仰 15 字典と辞典

知恵は輝かしく、朽ちることがない。
知恵を愛する人には進んで自分を現し、
探す人には自分を示す。
求める人には自分から姿を見せる。
知恵を求めて早起きする人は、苦労せずに
自宅の門前で待っている知恵に出会う。
知恵に思いをはせることは、最も賢いこと、
知恵を思って目を覚ましていれば、
心配もすぐに消える。
知恵は自分にふさわしい人を求めて巡り歩き、
道でその人たちにやさしく姿を現し、
深い思いやりの心で彼らと出会う。
教訓を真心から望むことが知恵の始まりであり、
教訓に心を配ることは知恵へ愛である。
この愛は知恵の命じる掟を守ることである。
(新共同訳旧約聖書『知恵の書』6:12-18)

 小学2年生のころ、赤痢という病気にかかりました。
 高熱がでて飲食を受けつけず、血便、血尿、吐くものにも血が混じり、涙も血の赤になったようでした。
 なかなか入院できず、やっと入院したら、お医者さんに「治りかけている」といわれ、激ヤセしてふらふらしながら退院したら、
「おまえのせいで、たいへんな目に遭った」
 と父にいわれました。
 家の内外が消毒され、入院まえにあったもの、わたしの衣服・寝具・カバン類はじめ、ランドセル、教科書や本などがすべて焼却処分されていました。
 父は、いろいろなものを新調せねばならない、かさんだ出費のことを冗談半分に言ったのでしょうが、わたしは生まれて初めて「死を覚悟」したので、とてもではないが笑えませんでした。
 愛用の国語の辞典とノートも燃やされていました。
 そのノートには、好きなことばや漢字、じぶんで創作した四文字熟語などを書いていました。小学1、2年生のすることですから、他愛のない「じぶんの字典」だったのでしょうが、貧乏って何もないことだと知りました。
 清貧な生活はみずから望んでするものなのでしょうが、貧乏、貧しいとは不可抗力であり、ほんとうに「ない」、空虚でした。父の買ったまっさらなノートに新しい鉛筆で何かを書こうという気力がなくなっていました。
 そんなある日、テレビもラジオもないので朝のニュースを知らないで、小学校へ登校したら、人だかりがして校門が閉鎖されていました。夜中に学校が火災にあっていました。3年生からは別の小学校へ、しばらくの間、通学することになりました。

 そういう昔話をしたのでしょうか、アキラ新妻晃神父さまが、わたしの輔祭の叙聖祝いに1冊の「漢和字典」をプレゼントしてくださいました。
 東京お茶の水、東京復活大聖堂(ニコライ堂)ちかくの喫茶店で、パイプや葉巻をくゆらしながらのアキラ神父さまの昔話を楽しくきいたものでした。
 40年もたつことが夢のようです。
 アキラ神父さまのさりげない心くばりを感じます。
 漢字や熟語、それらの意味・成り立ちなどが興味深く、大好きなので、この字典は読んでいておもしろく、ずいぶん、いやされました。
 もう一冊、母の形見のちいさな、古ぼけた「古語辞典」があります。
 母の思い出の品はこれひとつです。
 たまにこのふたつの字典と辞典を読むと、アキラ神父さまと母を思い出します。
 記憶とは不思議なものです。
 記憶の連鎖のなかに、こころそして信仰が脈々と息づいていると思います。

(長司祭パウェル及川信)

+藤堂明保 編『漢和大字典』学習研究社 1984年(第18刷)
 金田一京助 監修『明解 古語辞典』三省堂、1956年(第22版)

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■2024年5月 読書と信仰 14 キリストの物語

「これほど確かな神命があるでしょうか。救い主を捜
しだし、私たちの仲間もその子孫も、私たちと一緒に
神にぬかずき神をたたえるのです。たとえ離れ離れに
なって別の道を歩んでも、一つの教えが残ります。天
国は、剣の力でも、人間の知恵でもなく、信仰、愛、
善行によって入ることが許されるのだという教えが」

やがて月が昇ってきた。乳白色の光の中を音も立てず
に縫う三頭のラクダは、忌まわしい暗闇から飛びだし
た亡霊のよう。不意に行く手の小高い丘の上にほのか
光が輝いた。目を凝らして見るうちに光は輝きを増し、
目もくらむような火の玉となった。胸をうち震わせた
三人は声をそろえて叫んだ。
「星だ。あの星だ。神がおそばにいてくださるのだ」
(ルー・ウォレス『ベン・ハー』第一話第五章)

 映画「ベン・ハー」
 1959年ウィリアム・ワイラー監督、MGMによって製作・公開された、212分の大作。アカデミー賞11部門を受賞した記録的名作映画として知られています。
 わたしはテレビ放映された、ちいさな画面しか観ていませんが、その迫力に圧倒されました。
 海戦、馬車による競技などのシーンが有名なのですが、随所にキリストの生涯をなぞる場面が描写されていました。
 娯楽大作なのに キリストの生涯?
 なんとなく違和感というか、文学的満足感・充足感の不足を覚えていました。
 ところがある日、この映画に原作の小説のあることを知りました。
 旅先で訪れた本屋さんで、偶然、新潮文庫版を目にし、求め読みました。
「ああ なるほど」
 小説の副題が「キリストの物語」でした。
 映画は、文学作品を脚色し再構成します。画像、映像が主役であり、文学的陰影や表現とは異なります。物語(原作)の濃密さを描ききれないところがでてくるのもやむをえないときがあります。
 これは、映画と小説の性格、性質のちがいなのでしょう。
 残念ながら、いく度も引越しするなかで、文庫本が行方不明となり、あらためて単行本をもとめ読み直しました。
 友情と怨念、復讐と赦し、憎悪と愛憐などが、たくみに描かれている物語です。

 主人公ベン・ハーの名前、正式には、ユダ・ベン・ハーです。
 この名前、救い主イイススを裏切った、イスカリオテのユダを背景においてはいないでしょうか。
 イスカリオテのユダは、途中までイイススを信じていた、あるいは、信じているフリをしていたのですが、ユダ・ベン・ハーは、一貫してナザレの人を信じつづけようとします。
 どんなに苛酷な運命に翻弄されようとも、神と人とを裏切らない、裏切りとは無縁の人、ましてや復讐に生涯を費消する人としては描かれません。
 聖書は語っています(ロマ書12:19)。

愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに
まかせなさい。「復讐はわたしのすること、
わたしが報復する」と主は言われる。

 イスカリオテのユダが求めれば得られた、選べばこの生き方が全うできた、愛をもとめる人生を、ユダ・ベン・ハーが生きます。

 主人公ベン・ハーの探し求める母と妹が、「ライ病」(本文の表現)にかかってしまい、せっかく会えたのに、なかなか名のりでて再会できないことも、物語の伏線の一つです。
 いまでは治療薬があり、癒やせる病気が、当時不治の病気、「汚れたもの」として人間扱いされない現実がでてきます。
 差別の根源が明示されるとともに、信じて生きるものの強靱さも表明されます。
 希望の光と再生、復活が、一貫するテーマなのです。

まず心臓に新しい血が流れ始め、次第にその速度
は速く、血の流れは強くなり、それとともに崩れ
た体のすみずみまで病が癒される心地よい感覚が
広がった。体から病の痕跡が一つ一つ消えていく
と、力がじわじわとみなぎり、元の自分が戻って
くるのがわかった。回復したのは肉体だけではな
い。新しい命が生まれるような感覚は精神にも伝
わり恍惚感が広がった。まるで一陣のさわやかな
風のような力が体に吹き込んで、病が完全にぬぐ
い去られた。このときになんとも言えない快感だ
けでなく、決して忘れることのできない神聖な記
憶がしっかりと体に刻み込まれた。これはこれか
ら終生、ことあるごとに思い出し、感謝を捧げる
礎となった。(第八話第四章)

 信じるとき人は強くなり、疑いを重ねるとき、ひとは嫉妬深く、弱くなります。物語では、メッサラとイラスに象徴されます。
 真実を真正面にみすえ、祈りが奇蹟を生む。
 ほんとうに奇蹟を信じることが、新たな人生を切り拓くのだと思います。

(長司祭パウェル及川信)

+ルー(ルイス)・ウォーレス  辻本 庸子/武田 貴子 訳
 『ベン・ハー キリストの物語』 アメリカ古典大衆小説コレクション1 松柏社、2003年初版

このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
ご寛宥ください。

■2024年4月 読書と信仰 13 主よ、いずこに

そうした恐ろしい瞬間の記憶は、今もなおこの老人
の眼に涙をさそうた。その二条の涙が白い髯にした
たり落ちるのが、松明の明りによく見えた。老人の
年老いて髪の毛もなくなった頭がふるえ、声も途切
れがちであった。ウィニキウスは心の中で言った。
〝あの男は真実を語っている、そして真実のために
涙を流しているのだ〟と。素朴な聴衆も、悲しみが
こみあげていた。

その瞬間、この人たちにとってはローマもなければ、
狂気じみた皇帝もなく、神殿も神々も異教徒もなか
った。あるのはキリストだけであった。そのキリス
トが大地を、海を、空を、世界を満たしていた。
(ヘンリク・シェンキェヴィッチ
『クオ・ヴァディス』第二十章)

 おそらく小学4年生くらいのとき、図書館で少年少女向きの『クオ・ヴァディス』を読みました。
 おぼろげな記憶なのですが、深く感動したのはたしかでした。
ペトロニウスとエウニケ、ウィニキウス、リギアとウルスス、キロン・キロニデス、ペテロとパウロそして皇帝ネロ。
 おそらく9歳頃にいたり初めて向かい合った群像劇でした。
 壮大なスケールと奥深い人間像と描写に心うたれ、少年少女向きのダイジェスト版ではない本物の小説を読みたいと願ったのでしょう。
 こんどは岩波文庫版を読み、「うむむ?」と思いました。本の読後感、印象がずいぶんとちがったからです。こんなはずではないと思い、つぎに読んだのが、旺文社文庫(上下二巻)です。
 ひとが生まれ変わったり、生き直したりするドラマを脳裏に思い浮かべ、のち中学・高校時代、演劇部にのめりこむきっかけとなった本のひとつでした。
 そこには恋というものへの、ほのかな憧れもあったのでしょう。
 シェンキェヴィッチはポーランドの作家です。この小説は1895年春~翌96年2月までに執筆・発表され、各国語に翻訳、広く流布し、1905年、ノーベル文学賞を受賞します。
ところでこの小説にイチャモンをつけ、攻撃した一人がロシアの作家レフ・トルストイでした。かりに自分がノーベル文学賞を受賞し賞金を手にしたら、〇〇へ寄付して欲しいと、あらかじめスウェーデンの選考委あての手紙を送ってしまうほど、トルストイは、自分こそがノーベル文学賞受賞にふさわしいと強烈に自負していました。
 けっきょくトルストイがノーベル文学賞を受賞することはありませんでした。
 人間性、人間観、作品にこめられた人への愛情の深さなどの質量が、シェンキェヴィッチとトルストイでは、おおきく異なっているように、わたしには思えます。

 キリスト教迫害の嵐の吹きあれるローマを去ろうとしたペテロに、救い主イイススがあらわれ、ペテロが問いかけます。
「クオ・ヴァディス・ドミネ?……」
「主よ、いずこへ行きたもう」
 この質問。
 アダムとエバ(イブ)が神との約束を破ってしまい、エデンの園に隠れひそんでいたとき、神はふたりに呼びかけました。
「あなたはどこにいるのか」
 この語りかけの映し、反問がペテロの救い主への問いかけです。
「主よ、いずこへ」
「ローマへ」
 すなわち、
「救いを求める、すべての民のところに」
 神は、いつ いかなるときも、救いを希求する神の民を忘れず、ともにおられる。愛の神が厳然として、あなた そして わたしと共にいる。
「いずこへ」
 ペテロの呼びかけは、わたしたちへの問でもあります。
 神がエデンの園で放った愛情あふれる呼びかけなのです。
「あなたはどこへ行こうとしているのか」
 アダムとエバは返答をしませんでした。
 わたしたちは、はっきりとこの呼びかけに答えているでしょうか。

 シェンキェヴィッチの書いた「愛による幸福」の一文は、ありふれた通俗的文章と揶揄されることがあるがゆえに、普遍的な永遠の生命をもつのだと思います。
 わかりやすく素直なことばには、すたれない生命力があります。

彼らは、自分たちが愛することのできる神を
見出すことによって、当時の世界がこれまで
誰にも与えることのできなかったもの――
愛による幸福を見出した。(第七十章)

(長司祭パウェル及川信)

+ヘンリク・シェンキェヴィッチ  吉上 昭三 訳
 『クオ・ヴァディス』(上・下)、旺文社文庫、1980年初版

このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
ご寛宥ください。

■2024年3月 読書と信仰 12 汚(けが)れなき悪戯(いたずら)

それに、キリストは、ぶどう酒がとくべつ好き
でした。ある日も、にっこりして、マルセリー
ノに、こう言われたのでした。
「きょうから、おまえの名は、『パンとぶどう酒
のマルセリーノ』だ。」
マルセリーノは、この名が気に入りました。そこ
で、キリストは、話して聞かせました。
「わたしを十字架にかけた人たちと、いっしょに
いるために、いつも祭壇で、パンとぶどう酒の形
でいることを、わたしは、人間にやくそくしたの
だよ。だから、神父さんたちが、ミサのときに食
べるパンとぶどう酒は、わたしのからだと血なの
だよ。」
これを聞いて、マルセリーノの名のほかに、
『パンとぶどう酒のマルセリーノ』とよばれるの
を、とくいに思いました。
(ホセマリア・サンチェスシルバ
「パンとぶどう酒のマルセリーノ」『汚れなき悪戯』)

原作名『パンとぶどう酒のマルセリーノ』は、1952年スペインで出版されました。1955年モノクロ(白黒)映画が制作され、しばらくして日本の映画館でも、テレビ放送でも放映されました。
「マルセリーノの唄」をきき、なつかしむ世代は、いま60歳をこえていることでしょう。
リメイクされた映画(1991年)もわたしは、観ています。
わたしの本好き、映画好きを知ったカトリックの神父さまから、リメイク映画の試写会に招待されたのです。名古屋時代のことでした。
古き佳きカトリックのすがたの息づく、すてきな作品です。
修道院の門前でひろわれ、そこで成長した純真な男の子が主人公です。
マルセリーノと名づけられた子は、屋根うら部屋の大きな十字架を見つけました。
「その人の顔や、いばらの冠をかぶせられた傷から、ひたいに流れおちる血のしずくや、丸太にくぎづけにされた手足と、わき腹の大きな傷あと」
をみて、涙があふれ、マルセリーノは、なにかしてあげたいと思いました。
そしてパンとぶどう酒などを、はこんでは食べさせ、さいごに、奇跡が起こり、マルセリーノは母のもとへ旅立ちます。

もちろん、神学的に とか、教理では とか、この物語が 正しいか 正しくないか、というひともいるでしょう。
でも何でもかんでも、合理的に解釈し、方程式のようにナゾを解き明かす、学者か評論家のような信仰者のあり方に、わたしは疑問を感じています。
純粋に すなおに 信じたい者、信じる者 であって、わたしたちは、学者や評論家ではありません。
マルセリーノのようにキリストに出会い、信じる子がいる。
そういう信じかたを、信じたい、それが よい と思いませんか。

マルセリーノは、聞かれるたびに、
「ううん。」
「ううん。」
と、くりかえしました。
目はだんだん、大きくひらき、キリスト
のあまり近くでみつめすぎたので、もう、キ
リストが、見えなくなってしまいました。
「それでは、なにがほしいの」
キリストはたずねました。
マルセリーノは、それを聞いて、ゆめうつつ
のようでしたが、目は、しっかりと、キリス
トのほうにむけて、言いました。
「ぼく、お母さんに会いたい。それだけ。そ
れから、あなたのお母さんにも会いたい。」
キリストは、マルセリーノをぐっとひきよせ
て、ごつごつしたひざの上に、じかにだきあ
げました。そして、マルセリーノのまぶたを
そうっとなでて、やさしく言いました。
「では、おやすみ、マルセリーノ。」

(長司祭パウェル及川信)

+ホセマリア・サンチェスシルバ  江崎 桂子 訳
『汚れなき悪戯』、小学館、1980年
カバー絵 ねむの木学園壁画「イ、タ、ズ、ラ」宮城まり子
映画は、廉価版のDVDが入手できるかもしれません。

このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
ご寛宥ください。

■2024年2月 読書と信仰 11 足の鎖と有刺鉄線

わたしは駆けよった…
聖なるおもいが 胸にあふれた
今にしてわたしは この宿命の鉱山で その
はめられた枷を見 おそろしいひびきを聞いて
はじめて夫の苦しみが
こころの底から わかるのだった
彼は多くをしのび しのびおおせた…
おもわずもわたしは その足もとにひれ伏して
夫を抱くよりも先に まず
その鎖に 唇をおしあてた! …
(ネクラーソフ「デカブリストの妻 抄」『愛かぎりなく』)

 
 おそらく高校生のとき、この本にめぐりあいました。
 デカブリストとは?
 1825年12月、ロシアの首都サンクトペテルブルグの元老院広場で、新たに即位したニコライ一世に忠誠を誓う、軍隊の宣誓式がおこなわれました。
 そのときわかい貴族、青年将校が中心となって、おこした叛乱行為を武力をもって鎮圧する事件が発生しました。
 12月(デカーブリ)におこったので、事件関係者は「デカブリスト」12月事件のひと、そう呼称されるようになりました。
 翌26年7月、数千人が重軽それぞれの刑に処され、100人あまりがシベリア流刑に処されました。
 このとき10人ほどの若い婦人が、流された夫を追い、いっさいを棄て、シベリアの地へ向かいました。
 まだ恋愛したことのないわたしにとって、愛するひとを追い、シベリアの原野を流刑地までたどりつくことは、空前の出来事でした。

「その鎖に 唇をおしあてた」
 この詩の一節をよみ、岩崎ちひろの絵をみたとき、涙がとまらなくなりました。
 岩崎ちひろの絵を、目にする機会のあるたび、思いだすのは、この作品、本のことです。
 東京では、岩崎ちひろの原画展そして練馬区のちひろ美術館、そして昨年夏に、安曇野ちひろ美術館へもいきました。
 数年まえ、京都の駅ビル(伊勢丹デパート)で開催された、岩崎ちひろ展へもいきました。
 これらの絵画展でこころ打たれるのは、有刺鉄線の原画でした。
 太く、冷徹で、非情さに満ち、ひとの情愛、あたたかな感情を突き離し、はばもうとする有刺鉄線。
 原画だからこその、呼吸(いき)する筆づかい、脈動があります。 
 冷血の有刺鉄線を、いのちあるものが、あたたかな血をかよわせているひとが、いろいろなひとの思いをこめて画く、この画家の烈情。
 画家の哀しみと正直(せいちょく)な意(おもい)がありました。

 ひとりの女性の接吻した鎖が、有刺鉄線と、なぜかいつも、だぶっています。
 権力、法、軍事、ときにはひとの尊厳をふみにじるものを、キリスト教信仰が抗する律法主義、厳罰主義というのならば、わたしたちには、それらをのりこえる、良心と自由、こころと信仰があります。

 身ひとつの女性の生き方が迫ってきます。
 有を無に。
 無にしなければ手に入らないもの、そこへ行かなければ確認できないものがあります。
 あそこで待っているひとがいる。
 そこへ行かねばならない。
 わたしたちは、ひと、十字架、聖像などに接吻しますが、その信と愛の接吻は、足の鎖と有刺鉄線をのりこえ、またいでいくと思います。
 死の接吻ではなく、愛の接吻なのです。

静けさの天使を神はおつかわしになって
坑道の中はひとしきり
話し声も はたらく音もやみ
まるで 動きがとまったよう
あかの他人も わたしたちの仲間も――
眼には涙をうかべ こころたかぶり
色あおざめ
きびしい顔して まわりに立っていた
動かぬ足からは
枷の音もひびかず ふりあげられた槌も
宙に凍りついて…
すべては静か――歌声もなく話し声もなく…
悲しみも めぐり会いのしあわせも
ひとしく分け合ったようだった!

(長司祭パウェル及川信)

+ニコライ ネクラーソフ  谷耕平 訳  岩崎ちひろ 画
『愛かぎりなく』デカブリストの妻 抄、童心社、1968年初版

このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
ご寛宥ください。