「これは十七世紀末のヨーロッパの地図です」
とオットーが説明した。
「本物なの?」 とマルタがはしゃいで言った。
「本物のはずはないでしょう? もちろんコピー
ですよ、複製に決まっている」
と医者が近づきながら言った。
「いいえ、本物です。オリジナルです。どうし
てそんなことを……」 オットーはむっとする。
「本物なの!」 アデライーダ夫人は手を打った。
「まあ、なんて素敵なの!」
アレクサンデルは身をかがめ、長い時の流れに
擦り切れた紙に書かれた地図を細かく調べはじめ
た。「しかし、このプレゼントは高価すぎるんじゃ
ないのか! 果して、受け取っていいものかどうか
……」
「どうぞ、お願いですから、そんなことはおっ
しゃらずに!」 とオットーは抗議しはじめた。
「しかし、これは高価すぎるよ! 君が惜しいと
思っていないのはわかるが……」
「惜しくないですって? もちろん惜しいですよ」
「なんですって?」
アレクサンデルには理解できなかった。
「プレゼントというのはかならずちょっと惜しい
ものなんです。惜しくないなら、どうしてプレゼ
ントになるんです?……」
(「戦争」『サクリファイス』)
祈りは、贈りもの プレゼントではないでしょうか。
クリスマス、お正月、2月のバレンタインデーへと、贈りもの プレゼントのシーズンがつづきます。
贈りものに祈りがこめられていることを知ったとき、あなた わたしは 何を体感し、どう受けとめ、そして生きていくのでしょう。
わたしは、アンドレイ・タルコフスキーのこの小説を読み、映画を観たとき不思議な感動にとらわれました。
もちろん邪悪な意図を隠しもった贈りものはあることでしょう。見返りや報酬を求める贈りものもあるでしょう。
祈りの秘められていない贈りものが、ときに 目の前にあります。
でも、祈りは贈りものです。
アンドレイ・タルコフスキーは、じぶんの聖名(洗礼名)アンドレイについて、初召(しょしょう)使徒アンドレイと、聖像画家アンドレイ・ルブリョフを意識していると、聞いたことがあります。
初召使徒アンドレイは、主イイススの最初の弟子の一人、東方の諸民族、ことにスラブ民族へ初めて福音宣教をした使徒として知られています。
聖アンドレイ・ルブリョフは、正教信仰の極致ともいうべき、清美なイコンを画いたひとでした。
あきらめない、止めることのない、絶えることのない、神聖な言葉と行動から 無限、永遠が、生まれるのだと思います。
「希望と信仰とともに わが子アンドレイに捧げる」
これがアンドレイ・タルコフスキーの小説の献辞です。
ひとから神へ
ひとからひとへ
神から ひとへの贈りもの
一本の枯れた木の枝に、水を贈りつづけるひと、いつの日にか花が咲く。
それは 祈りです。
「あのね、ずっと昔のことだが、パンベという、正
教のある修道院の長老が山のなかちょうどこれと同
じように枯れた木を差しこんで、イオアン・コーロ
フという弟子の修道士に、その木が生き返るまで、
毎日水をやるよう命じたことがある。」
アレクサンデルはとても真剣そうな顔をしていた。
「何年もの間、イオアンは毎日、朝になると桶に水
を汲んで出かけていった。ひとつの桶を山まで運ぶ
のに、日の出から日没まで、まる一日かかった。毎
朝、イオアンは、水桶を持って山に行き、木の株に
水を掛け、夜、もう暗くなった道を修道院まで戻っ
てきた。こうして丸三年過ぎた。そしてある日、イ
オアンが山に登っていくと彼の木に、花が咲き乱れ
ているのを目にしたんだ!」
「……やはり、なんと言われようとも、方法、体系
というのは偉大なものだ。もし、毎日、同じことを、
同じ時刻に行うならば、儀式のように、規則正しく、
何も変えることなく、毎日、正確に同じ時刻に、必ず
行うならば、世界は変わるだろう! 何かが変わる!
変わらないはずはない!」
(「散歩」『サクリファイス』)
(長司祭パウェル及川信)
+アンドレイ・タルコフスキー 鴻 英良 訳
『サクリファイス』 河出書房新社 1987年初版
このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
ご寛宥ください。