■2022年3月 痛悔

 大斎準備週間第二主日は「蕩子の主日」と呼ばれ、放蕩息子の譬えが福音で読まれます。皆さんは、学校の授業を通して、次のような句を教わったのではないでしょうか。「鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥」。これは、戦国三大武将の一人・徳川家康の忍耐強い性格から生まれた諺です。私たちの知る憐み深い神様もまた、表現するならば「鳴くまで待つ」タイプと言えましょう。

 放蕩息子の譬えをおさらいすると、父親、長男、次男の計3人が主要人物として登場します。ある日、年頃を迎えた次男が催促したため、父は自らの財産を兄弟に分け与えました。長男はその場に留まって父に仕えることを選びましたが、一方の次男は全てをお金に換えて遠い国へと旅立ちます。けれども、次男はたちまち「放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣い1」してしまいました。

 その様子をご覧になった神様は、彼に試練を課されます。飢饉を起こし、無一文になった次男の生活を苦しめられました。幸か不幸か、過酷な労働と引き換えに、身を寄せることには成功します。とはいえ、家畜の世話を命じられながら、そのエサですら分けてはもらえませんでした。「わたしはここで飢え死にしそうだ2」。彼は「自分の命ももはやこれまでか」と覚悟したはずです。もちろん、全能の神様にとっては、旧約に描写される荒々しい姿らしく、あるいは豊臣秀吉のように「鳴かせてみる」ことも、あるいは織田信長のように「殺してしまう」しまうことも可能でした。

 けれども、新約において「父と一体にして」人となられた神子イイススを通し、息子を持つ父親の気持ちに深く共感なさったのでしょう。父は愛する息子の保護者として、次男の帰りをひたすら待ち望んでいました。すると、聖神のお導きが放蕩息子に示されます。夢中で飛び出した実家には「大勢の雇い人に、有り余るほどパンがある3」記憶が蘇ったのです。反省した彼は、「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください4」と願い出るつもりで、父のもとへ帰ることを決意します。

 ここで注目すべきは、神様がただ漠然と次男に救いの手を差し伸べたわけではなく、やり直しの機会を願う彼の自由意志を尊重なさった点です。神様はこの展開を予知しておられたからこそ、放蕩息子を「厳しく懲らしめられたが、死に渡すこと5」はなさいませんでした。そればかりか、長男に欠けていた痛悔の心6を獲得した次男は、兄が嫉妬するほど温かく父に迎え入れられたのです。「罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう7」という主の御言葉は、まさに現実のものとなりました。

 神様は「萬世の前」から、人々を信仰に立ち返らせる最良の時を見極めておられます。放蕩息子のように回り道をしたとしても、真の痛悔を経て再チャレンジするならば、その瞬間から「神の国は近づいた8」も同然です。従って、私たちは間もなく迎える大斎を通じ、安心して自分自身と向き合いつつ「復活並に来世の生命」の獲得を目指してまいりましょう。

(伝教者 ソロモン 川島 大)


1 ルカ15:13
2 同上15:17
3 同上
4 ルカ15:18-19
5 聖詠117:18
6 『普氏説教集』p.418
7 同上15:7
8 マルコ1:15