■2022年4月 人間の体シリーズ 膝(ひざ)4

■2022年4月 人間の体シリーズ 膝(ひざ)4

イイススの洗足(せんそく)

さて、過越祭の前のことである。イイススは、
この世から父のもとへ移るご自分の時が来たこと
を悟り、世にいる弟子たちを愛して、このうえなく
愛しぬかれた。夕食のときであった。すでに悪魔は
イスカリオテのシモンの子イウダ(ユダ)に、イイ
ススを裏切る考えを抱かせていた。イイススは、父
がすべてをご自分の手にゆだねられたこと、また、
ご自分が神のもとからきて、神のもとへ帰ろうとし
ていることを悟り、食事の席から立ち上がって上着
を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰にまとわれた。それか
ら、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰に
まとった手ぬぐいでふき始められた。
 (新約聖書「イオアン(ヨハネ)福音書」13章参照)

 京都正教会 生神女福音大聖堂の聖障(イコノスタス)中央にかざられている「最後の晩餐」機密の晩餐の聖像、イコン。
主イイススをかこんで弟子たちがすわるテーブル、聖卓の下に、水をくむつぼとたらい、タオル、ちいさなイスが置かれているのを、ご存知でしょうか。
洗礼を受け、すでに聖なる水による聖洗がなされていたにもかかわらず、ひざまずいたイイススはみずからの手で、弟子の素足を水で洗い、タオルで濡れた足をぬぐいました。
そのなかにはイイススを裏切るイウダ(ユダ)がいます。
捕らわれたイイススを助けに行ったのに、イイススの目の前で、恐怖から逃げ去ったペトルもいました。
いちばん年少のイオアン(ヨハネ)以外の弟子は、逃散しました。
洗足、それは、恐怖と絶望、暗闇の中から神の光へと、一歩を踏み出すひとの足を祝福します。
ひとりひとりの弟子の前にひざまずいて洗足したイイススは、ここからすべてが始まることを知っておられ、残酷な運命に翻弄されず、つねに前を向き、あらたな一歩を、人生を歩みだせるようにと、こころから祈り、祝福したのではないでしょうか。
洗足の水は、イイススの涙だと思います。
挫折せず、くじけず、不屈のこころとからだをもって、生きよ。
死から生命へ、死から再生へ、死から復活へ。
主の洗足、弟子へのひざまずきは、恩師の愛のあらわれ、希望と勇気だったと思います。
もうすぐ復活大祭、聖堂で祈るとき、イイススのひざまずいて祈る姿、わたしたちを祝福される お姿を想起し、その悲しみと熱情に慄然とします。

(長司祭 パウェル 及川 信)