彼(ペトル・ペテロ)は誰かの足に接吻するように 頭を大地につけた。 長い沈黙が続いた。 やがてむせび泣きにとぎれがちな老人の言葉が 静寂を破って響いた。 「クオ・ヴァディス・ドミネ・・・・」 ナザリウスにはその答えが聞こえなかったが ペテロの耳には悲しみをおびた 甘美な声がこう言うのが聞こえた。 「お前が私の民を見捨てるなら、 私はローマへ行って、 もう一度十字架にかかろう」 (シェンキェヴィッチ\吉上昭三訳「クオ・ヴァディス」旺文社文庫参照)
いまから四十数年前、小学校高学年か中学生だったとき、児童向けの「クオ・ヴァディス」を読み、感動しました。
学校の図書館か釧路の市立図書館で読んだのだと思います。
その後、記憶が確かなら岩波文庫?版も読んだと思うのですが、いまいち翻訳文になじめずにいたところ、冒頭に引いた文庫の本を入手、改めて読み返し、感動を新たにしました。
こどもの頃、自分の聖名の聖人がどういう人であったのか、正直まったく知りませんでした。
ふたりの偉大な聖使徒の歩みも描写した小説を読むことができて、幸運だったと思います。
上記に掲載した聖像の 左:聖使徒ペトル(ペテロ・ペトロ) 右:聖使徒パウェル(パウロ)。
ペトルは中肉中背、少しやせ形の体型で、髪の毛は白髪まじり、いわゆるロマンスグレイだったと言います。
一方のパウェルは、天幕(テント)作りの職人でもあったせいか、筋肉質で少し猫背ぎみ、おでこにはコブのような隆起があり、美男子とは言いがたい風貌でした。
ペトルは、弁舌さわやかな雄弁家ではなく、質朴寡言(しつぼくかげん)、でも一語ひと言には深みがあり、聴く人を落ち着かせ、引きこむ魅力のある信仰者であったと言います。
パウェルはふつう、雄弁家で話術の巧みな説教者として有名ですが、本人は人前に立つと緊張してうまくしゃべれないので、それで手紙を書いて伝えているのだとも語っています。
ペトルの左側に画かれた十字架は、逆になっています。
ペトルがイイススと同じ体勢・体の向きで十字架に架けられることを遠慮し、その敬虔さゆえ逆十字に処されたのだと言われています。
別の伝承では、イイススと同じ形の十字架さえも遠慮して、「X型十字架」に架けられたとも伝えられています。
一方の聖使徒パウェルの右側には「X」字型の十字架が画かれています。
パウェル自身は救主イイススと同様、十字架に架けられることを望んだのですが、パウェルがローマ市民権を持っていたため、斬首刑に処された、と言われています。
X十字は、斬首に処される前に、刑場でムチで打たれるときに、パウェルの体を縛りつけたものだともいいます。
Xはもちろん、「ハリストス(キリスト)」の頭文字。
ペトルもパウェルも「今も何時も世々に」ハリストスと共に生きているのです。
「クオ・ヴァディス」はパウェルの処刑の場面をこう語ります。
彼の胸は喜びにみちあふれた。
パウロは人びとに愛を教えたことを思い出した。
いかに貧しい人びとに財産をほどこそうと、いかにあらゆる言葉、あらゆる神秘、あらゆる知識に通暁しようと、愛なくしてはその人は取るに足りぬ人間なのだ。
愛は鷹揚で辛抱強く、愛は悪の原因とはならず、名誉を求めず、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える、と説いてきたことを思い出した。
私は戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。
今や、義の冠が私を待っているばかりである。
7月12日、いっしょに ふたりの聖人と共にお祈りしましょう。
(パウェル及川信神父)