■2020年4月 人間の体シリーズ 口 I 命令のほんとうの意味

イイススが
「わたしが行っていやしてあげよう」
と言われた。すると百人隊長は答えた。
「主よ、わたしはあなたを屋根の下にお迎えできる
ような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃっ
てください。そうすれば、わたしの僕(しもべ)は
いやされます。わたしも権威の下にある者ですが、
わたしの下には兵隊がおり、一人に〝行け〟と言え
ば行きますし、他の一人に〝来い〟と言えば来ます」
イイススはこれを聞いて感心し、従っていた人々に
言われた。
「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、
わたしはこれほどの信仰を見たことがない」
(マトフェイ(マタイ)福音書8・5〜13)

ハリストス 復活! 
 イイススがほんとうに感心し、感動したのは、この百人隊長の人間性、人格ではなかったでしょうか。
 百人隊長のうしろには、おそらく数人の部下がいたことでしょう。かれら部下の上司たる隊長をみる眼差しは、真に信頼のこもったものだったのでしょう。
 隊長はイイススに威張って自慢したのではなく、心からの信頼があって隊長と兵士の関係が成り立っていることを率直に語ったのです。
 イイススはその深い人間関係、信頼と友情を「信仰」だと言い切ります。
 隊長はイイススを神の子として、救い主として信じたのです。
 ローマ軍の百人隊長、最前線で戦う歩兵部隊の指揮官は、所属の隊員に対して指揮官の命令に絶対服従であることを求めます。それはもちろん、戦いに勝利するためであり、作戦を成功させるためでもあります。
 時には激戦地、いわゆる死地におもむくとき、隊長と兵士は一心同体です。
 きっとこの隊長は命令する時、ただ〝死ね〟と命ずるのではなく、〝いっしょに生きて帰ろう〟と命令できたにちがいありません。
 この指揮官の指示、命令に従っていれば、生きて帰ることができる。故郷へ、家族のもとへ生きて帰ることができる。
 この指揮官、百人隊長の命令は、人を生かす命令だったのです。
 2世紀の聖人 聖イレネウス(イリネイ)は、神の命令、神の恵みに満ちて生きることをこう語っています。

「主の聖神(聖霊)のおられるところに自由があります。わたしたちはみな、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の聖神の働きによることです」(Ⅱコリント3:17-18)
 
 すなわち「神の栄光は、生きている人にあり、人の生命は、神を仰ぎ見ることにつながる」のです。 
 この百人隊長の命令を喜んで果たす人は、神の命令も喜んで引き受けます。
 なぜなら〝死ね〟と命ぜられているのではなく、〝生きよ〟と命ぜられているからです。
 神の子から〝生きよ〟と命令され、その命令を受ける人は、深く信じ愛しているがゆえに、慶び、光り輝いて生きてぬこうとすることでしょう。
実に 復活!

(長司祭 パウェル 及川 信)