あなたの頬を打つ者には、 もう一方の頬をも向けなさい。 なんじの頬を打つ者には、 他の頬をも向けよ。 (ルカ福音書6:29)
山上の垂訓(すいくん)、真福詞、真福九端につづいて語られることの多い、よく知られているイイススの言葉です。
でもわたしたちは、この言葉の真意の遠いところにいます。正直、実践の難しい、僻地(へきち)にわたしたちは住んでいると感じています。
聖使徒パウェルは、こう語ります。
実にハリストス(キリスト)はわたしたちの平和であります。 二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を 取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうして ハリストスは、双方をご自分において一人の新しい人に造り上げて 平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、 十字架によって敵意を滅ぼされました。 (エフェソ2:14〜16)
わたしたちが頬を向けるとき、孤独ではありません。イイススがいっしょに、その頬をさし出れています。
わたしたちが理不尽な扱いを受け、時に苦しみ悩み、身もだえしているとき、イイススはいっしょにその負い目を受けておられます。
自分ひとりが頬を打たれているのではなく、イイススもごいっしょです。
あらゆる敵意と悪意は、イイススの受難の十字架によって、その存在を失いました。
あたかも暗黒の非常に大きな力を持つように見えるものが、ほんとうは力のない、空疎な幻想であることが明示されました。
主の十字架がわたしの、あなたの、わたしたちの隔ての垣根を破壊したとき、善悪を知る木が芽生え、さらに生命(いのち)の木が実を結びはじめます。
十字架の果実を共に食べるわたしたちを、イイススが一人の新しい人間に創造なさいます。
ここにわたしたちの新たなる一歩があります。
新たに生きる方角へ、進路へ、打たれて傷ついていないもう片方の頬を向けましょう。わたしといっしょに、イイススと共にその頬を向けましょう。
向けた頬には復活の光が照らされていることでしょう。
(長司祭 パウェル 及川 信)