■2020年5月 人間の体シリーズ 頬Ⅱ 裏切りの接吻

イイススを裏切ろうとしていたユダは、
「わたしが接吻するのが、その人だ。
捕まえて、逃がさないように連れて行け」
と、前もって合図を決めていた。
ユダはやって来るとすぐに、イイススに近寄り、
「先生」と言って接吻した。
(マルコ福音書14:43〜50)

イイススがまだ話しておられると、群衆が現れ、
十二人の一人でユダという者が先頭に立って、
イイススに接吻しようとして近づいた。
イイススは
「ユダ、あなたは接吻で人の子を裏切るのか」
と言われた。
(ルカ福音書22:47〜53)

ハリストス 復活! 
 正教信徒、ハリスティアニンは、親愛をあらわす挨拶をします。
 お互いの肩を抱いて、右ほほ、左ほほ、右ほほに、3回やさしく接吻します。
 聖職者同志では、接吻のあと、握手し、お互いの右手に接吻したりもします。
 この慣習は古来より伝わるもので、何千年とつづく、信仰の伝統の一つです。 この相愛の接吻をユダは、裏切りの合図としました。
 なんという残酷、なんという悲しみでしょうか。
聖書の中で、これほど哀切な記録はありません。
 もしかしたらイイススは、頬を寄せあうなか、肩を抱いたままユダの耳にささやいたのではないでしょうか。
「ユダ、あなたは接吻で人の子を裏切るのか」
 頬のやわらかさ、ぬくもり、お互いの息づかい、鼓動をたしかめ合いながらの親愛の接吻が裏切りの接吻へと転化します。
 悪魔の誘惑とはこういうものなのではないでしょうか。 
 甘い接吻、ごくふつうの接吻の中に、狡猾な知恵、詐謀(いつわり)と欺瞞(ぎまん)、愛の偽装が隠されています。
 そのあとイイススは、大祭司の中庭に連行され、ユダが接吻した頬を打たれ、杖でも殴られました。
 神を裏切り、親しみ寄ってくる救い主の頬を打ちつづけているのは、ユダばかりではなく、わたしたちもそうなのではありませんか。
 裏切りつづける人を、裏切られた神がゆるし、頬を打った人を、打たれた神が甘受しつづけています。
 人の裏切りを救い、いやし、助ける神。
 わたしたち正教信徒はこう祈ります。

なんじ言えり、友よ、見よ、懼(おそ)るるなかれ、
けだしいま我(われ)が不法者の手にとらわれて殺さるる時近づけり。
なんじら皆われを遺(す)てて散らん、しかれども我また
なんじらを聚(あつ)めて、我ひとを愛する者を伝えしめん。
(『受難週間奉事式略』聖大金曜日早課、第五歌頌より)

 わたしたちが頬をよせ、接吻し合うのは、神への親愛です。偽りなき愛の表信です。挫折しては救いの神へ向かい、ゆるされては神の愛を体験します。
わたしたちはその真実を知っています。
 いま裏切りの接吻をされ、頬を打たるるを忍びし主は、愛の接吻をもって信仰者に近づきます。
 わたしたちの頬をやさしく抱擁するために、神ご自身が歩み寄ります。
「信と愛とをもって近づき来たれ」と。
 わたしたちの頬をつつむ、救い主のやさしい大きな掌の温もりを、わたしたちは知ります。
 わたしたちは愛の接吻をするために神のもとへ歩みましょう。
実に 復活!

(長司祭 パウェル 及川 信)