■2021年9月 人間の体シリーズ 腰(こし)2

神は崇め讃めらる。
けだし彼は力をもって我に束ね、
我が為に正しき路を備う、
我が足を鹿の如くにし、
我を高き処に立たしむ。
(奉事経「聖体礼儀」祝文)

 司祭(神父)は、司祭服の帯を腰に締めるときにこう祈ります(聖詠17:33-34、詩編18)。
 正教会は、簡単でわかりやすい真理だからこそ、ていねいに多岐にわたる説明・表現を繰り返すところがあります。それは約二千年にわたって、いろいろな民族・土地・世代など異なる条件下で、聖なる伝達・解説・宣教を繰り返してきたからなのです。二千年以上の蓄積が、シンプルなことを複雑に見せています。それを忘れてはいけません。

腰が生命の源であり、信仰生活の中心をになうことを、つぎの聖句が教えてくれます。

神殿を建てるにはあなたではなく、
あなたの腰から出る息子が
わたしの名のために神殿を建てる。
(旧約聖書「歴代誌」下6:9)

 さて妊娠したとき、赤ちゃんの成長に応じて「腹帯(はらおび)」をする慣習がありました。腰からおなかにかけてサラシなどの幅広の布を巻き、体幹を安定させるのです。そう思いついたとき、生神女マリアが、親戚のエリザベタの懐妊を知ったとき、エリザベタのもとを訪れ、祈り(讃美と感謝)を献げたことに想いいたりました。
 これは正教会では、晩祷、早課という祈りの中で祈り詠われています。
「わが心は主を崇め、わが霊(たましい)は神わが救主を喜ぶ」という、美しい聖歌に始まる祈りです。

力を持ちたまえる者は
大いなることを成せり、
その名は聖なり、
その憐れみは世々
彼を畏るる者に臨まん(正教会訳)

力ある方が、わたしに偉大なことを
なさいましたから、その御名は尊く、
その憐れみは世々に限りなく、
主を畏れる者に及びます。
(口語訳、ルカ1:49)

 
 腰、神の力の源から発した大いなる聖なる生命力は、世々に及ぶ、人から人へ、世代から世代へと受け継がれ、引き継がれていくと宣言します。
 マトフェイ(マタイ)福音書の冒頭、系図のある理由はここにあります。
 教会とは、家庭であり、家族であり、人の系譜、世代の持続・継承です。
 その壮大な世代の祝福の継承は、日本正教会においても、またここ京都ハリストス正教会においても、脈々とつづいています。
 連綿たる世代の祝福、それは、腰という言葉に象徴的に表れてはいますが、地球人類全体への福音として受け継がれています。
 腰は、神の福音と祝福、罪の赦しと復活、永遠の生命、救いの源です。

(長司祭 パウェル 及川 信)