■2020年6月 人間の体シリーズ 口Ⅱ 歌い呼び叫びて言う

かれらは人間のようなものであった。
それぞれが四つの顔をもち、
四つの翼をもっていた。
   (中略)
その顔は人間のようであり、四つとも
右に獅子の顔、左に牛の顔、
そして四つとも後ろには
鷲の顔をもっていた。
(旧約聖書「エゼキエル書」1章)

預言者エゼキエル書1章に4つの異獣が描写されています。
 京都聖堂の聖障、イコノスタス正面最上段、全能の救世主聖像にも4つの象徴が画かれています。
 福音者マトフェイ(マタイ):天使あるいは人の子、マルコ:獅子(ライオン)、ルカ:雄牛、イオアン(ヨハネ):鷲です。
 聖体礼儀では「凱歌を歌い、呼び、叫びて言う」という祈りであらわす、これらは信仰の象徴です。
 わたしたちの口は祈りの言葉を唱えます。
 それは静かで荘重、流麗でおごそかな時もありますが、呼び、叫ぶときもあります。
 寂しさや心ぼそさのゆえに、神を呼び慕い、人をもとめ呼びます。
 悲しみや怒りのゆえに、神に叫び、人に叫び、天空に、漆黒の星空へ叫びます。
 わたしたちのいろいろな思いを託して、歌い呼び叫びて言います。
 しばしば祈りの真髄、本質とは何か、祈りとは何かを問われますが、正直、具体的な事例を説明できようはずがありません。
でも、歌い呼び叫びて言う、という祈りの表信に、すべてがこめられてはいないでしょうか。
 わたしたちは時に憂い、悩み、怒り、悶々と呻くからです。
 あるいはわたしたちは時に歓喜し、熱く語り、大いに笑い、楽しむからです。
 預言者エゼキエルはこれらの4つの異獣を見たあと、神の文字、神の言葉を記憶した巻物を、食べさせられます。
 不思議な巻物を、神が口に入れました。
「わたしがそれを食べると、それは蜜のように口に甘かった」(3:3)
 歌い呼び叫びて言う時、神はわたしたちに、蜜のように甘い巻物をくださっています。
 それは涙が出るほど、やさしく、やわらかく、甘くて切ない、わたしたちが希求してやまない神の心なのです。

(長司祭 パウェル 及川 信)