み言葉を行う人になりなさい。自分をあざむいて、
聞くだけで終わる者となってはいけません。み言葉を
聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつき
の顔を鏡に映して眺める人に似ています。鏡に映った
自分の姿を眺めても、立ち去ると、それがどのようで
あったか、すぐに忘れてしまいます。
(新約聖書「イアコフ(ヤコブ)手紙」1:22〜)
神の言葉を聞いて実行する人は、
「その行いによって幸せになります」
と聖使徒イアコフ(ヤコブ)は強調します。
さらにつづけて、
「自分は信心深い者だと思っても、舌を制することができず、自分の心をあざむくならば、そのような人の信心は無意味です」
と言い切ります。
手紙の3章では、聖使徒の言葉の鋭鋒がわたしたちの心奥に、さらなる認識の喚起をあたえることでしょう。
ご覧なさい。どんな小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。舌は火です。
舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。わたしたちは
舌で、父である神を讃美し、また舌で神にかたどって造られた人間を呪いま
す。同じ口から讃美と呪いが出て来るのです。わたしの兄弟たち、このよう
なことがあってはなりません。
痛悔、告解機密の中に、殺人、ひと殺しをしたことがありますか? という問いかけがあります。
もちろん、わたしたちは、殺人、ひと殺しをしたことがないと断言します。
でも、ほんとうにそうでしょうか。
話題の相手を欠席裁判する、うわさ話の蔓延で人を口撃する、舌による殺人があるではないでしょうか。
ことにインターネット、ウェブ上での、根拠のない誹謗中傷、舌による炎上、人を火あぶりの刑に処する無責任、残酷な所行が広まっています。
これは人として、信仰者として、してはいけないことです。
ですが聖使徒イアコフは、一方、舌は讃美を生むと言っています。
そうなのです。舌は神を讃美し、人を愛する言葉を生むのです。
純真で、さらに温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。
人を生かす舌があると聖使徒が語ります。
そこに真実、真理があります。
平和を蒔く、愛すべき舌があると、信仰者を励まします。
感謝と讃美、希望と愛を表信する舌、わたしたちはもうすでに、神の言葉を語る無垢の舌をもっていると信じ、実践しましょう。
(長司祭 パウェル 及川 信)
☆挿絵は、善悪を知る木に巻きついている悪魔の化身、ヘビ。
ヘビは、舌先三寸でアダムとエバ(イブ)を誘惑、神を裏切る言動に誘導しました。
これをヘビの二枚舌といいます。