「じゃ、さよなら」と、王子さまはいいました。
「さよなら」と、キツネがいいました。
「さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでも
ないことだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよ
く見えないってことさ。かんじんなことは、目
に見えないんだよ」
「かんじんなことは、目には見えない」と、王
子さまは、忘れないようにくりかえしました。
「あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせ
つに思っているのはね、そのバラの花のために、
ひまつぶしをしたからだよ」
「ぼくが、ぼくのバラの花を、とても大切に思
っているのは……」と、王子さまは、忘れない
ようにいいました。
「人間っていうものは、この大切なことを忘れ
てるんだよ。だけど、あんたは、このことを忘
れちゃいけない。めんどうをみたあいてには、
いつまでも責任があるんだ。まもらなきゃなら
ないんだよ、バラの花との約束をね……」と、
キツネはいいました。
「ぼくは、あのバラの花との約束を守らなきゃ
いけない……」と、王子さまは、忘れないように
くりかえしました。(『星の王子さま』)
もう30年以上前、鹿児島正教会へ赴任したとき、蔵書が家に入りきらず、たくさんの本を古本屋さんへ手放しました。
そのなかに「サン=テグジェペリ著作集」がありました。手もとには「星の王子さま」1冊がのこりました。
サン=テグジュペリは、目には見えないものを、といいながら、じつは目に見えるものと対話しています。
王子さまは、目に見えるものとの対話をくりかえしながら、心で見、さらに責任、約束を知り、知り合った相手との間に友情を築いていきます。
この「心で見なくちゃ」を誤解する人がいます。
心で認識することは、相手とおなじく目で視認し、心で結びつくということです。無言は有言となり、無形は有形となります。
心だけで、心のなかに……といい、じぶんと相手を正面から見ない、すなわち現実逃避するひとのなんと多いことでしょうか。
サン=テグジュペリは、せまくて窮屈な、閉じ込められた空間へ逃げ込め、とはひと言もいっていないのではありませんか。
この作品は、プレゼント、贈りものについて、しばしばふれています。
プレゼント、贈りものは、友情すなわち契約の証でもあります。
信仰とは、神へのプレゼント、贈りものをすることです。
神さまがおあたえくださっている信、望、愛などへの返礼品、まごころでもあります。
キツネは「ひまつぶし」ということばを使いましたが、信仰とは、神と人、人と人との「架け橋づくり」、ある意味、壮大なひまつぶしだと思います。
だれかにかまったら責任と約束が生じる、サン=テグジュペリの物語は、夢とロマンをわたしたちにつないでゆきます。
ひまつぶし、沈黙と祈りが、永遠へとつながっていることを、知っていますか?
「人間はみんな、ちがった目で星を見てるんだ。
旅行する人の目から見ると、星は案内者なんだ。
ちっぽけな光ぐらいにしか思っていない人もい
る。学者の人たちのうちには、星をむずかしい
問題にしてる人もいる。ぼくのあった実業家な
んかは、金貨だと思ってた。だけど、あいての
星は、みんな、なんいもいわずにだまっている。
でも、きみのとっては、星が、ほかの人とはち
がったものになるんだ……」
(長司祭パウェル及川信)
+サン=テグジュペリ 作 内藤濯 訳『星の王子さま』岩波書店 1981年(第36刷)
このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
ご寛宥ください。