■2024年3月 読書と信仰 12 汚(けが)れなき悪戯(いたずら)

それに、キリストは、ぶどう酒がとくべつ好き
でした。ある日も、にっこりして、マルセリー
ノに、こう言われたのでした。
「きょうから、おまえの名は、『パンとぶどう酒
のマルセリーノ』だ。」
マルセリーノは、この名が気に入りました。そこ
で、キリストは、話して聞かせました。
「わたしを十字架にかけた人たちと、いっしょに
いるために、いつも祭壇で、パンとぶどう酒の形
でいることを、わたしは、人間にやくそくしたの
だよ。だから、神父さんたちが、ミサのときに食
べるパンとぶどう酒は、わたしのからだと血なの
だよ。」
これを聞いて、マルセリーノの名のほかに、
『パンとぶどう酒のマルセリーノ』とよばれるの
を、とくいに思いました。
(ホセマリア・サンチェスシルバ
「パンとぶどう酒のマルセリーノ」『汚れなき悪戯』)

原作名『パンとぶどう酒のマルセリーノ』は、1952年スペインで出版されました。1955年モノクロ(白黒)映画が制作され、しばらくして日本の映画館でも、テレビ放送でも放映されました。
「マルセリーノの唄」をきき、なつかしむ世代は、いま60歳をこえていることでしょう。
リメイクされた映画(1991年)もわたしは、観ています。
わたしの本好き、映画好きを知ったカトリックの神父さまから、リメイク映画の試写会に招待されたのです。名古屋時代のことでした。
古き佳きカトリックのすがたの息づく、すてきな作品です。
修道院の門前でひろわれ、そこで成長した純真な男の子が主人公です。
マルセリーノと名づけられた子は、屋根うら部屋の大きな十字架を見つけました。
「その人の顔や、いばらの冠をかぶせられた傷から、ひたいに流れおちる血のしずくや、丸太にくぎづけにされた手足と、わき腹の大きな傷あと」
をみて、涙があふれ、マルセリーノは、なにかしてあげたいと思いました。
そしてパンとぶどう酒などを、はこんでは食べさせ、さいごに、奇跡が起こり、マルセリーノは母のもとへ旅立ちます。

もちろん、神学的に とか、教理では とか、この物語が 正しいか 正しくないか、というひともいるでしょう。
でも何でもかんでも、合理的に解釈し、方程式のようにナゾを解き明かす、学者か評論家のような信仰者のあり方に、わたしは疑問を感じています。
純粋に すなおに 信じたい者、信じる者 であって、わたしたちは、学者や評論家ではありません。
マルセリーノのようにキリストに出会い、信じる子がいる。
そういう信じかたを、信じたい、それが よい と思いませんか。

マルセリーノは、聞かれるたびに、
「ううん。」
「ううん。」
と、くりかえしました。
目はだんだん、大きくひらき、キリスト
のあまり近くでみつめすぎたので、もう、キ
リストが、見えなくなってしまいました。
「それでは、なにがほしいの」
キリストはたずねました。
マルセリーノは、それを聞いて、ゆめうつつ
のようでしたが、目は、しっかりと、キリス
トのほうにむけて、言いました。
「ぼく、お母さんに会いたい。それだけ。そ
れから、あなたのお母さんにも会いたい。」
キリストは、マルセリーノをぐっとひきよせ
て、ごつごつしたひざの上に、じかにだきあ
げました。そして、マルセリーノのまぶたを
そうっとなでて、やさしく言いました。
「では、おやすみ、マルセリーノ。」

(長司祭パウェル及川信)

+ホセマリア・サンチェスシルバ  江崎 桂子 訳
『汚れなき悪戯』、小学館、1980年
カバー絵 ねむの木学園壁画「イ、タ、ズ、ラ」宮城まり子
映画は、廉価版のDVDが入手できるかもしれません。

このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
ご寛宥ください。