イイススはエリコに入り、町を通っておられた。そこに
ザクヘイ(ザアカイ)という人がいた。この人は徴税人の
頭(かしら)で、金持ちであった。イイススがどんな人か
見ようとしたが、背が低かったので、群衆にさえぎられて
見ることができなかった。それで、イイススを見るために
走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通りす
ぎようといておられたからである。イイススはその場所に
来ると上を見あげて言われた。「ザクヘイ、急いで降りてき
なさい。今日、ぜひあなたの家に泊まりたい」
(新約聖書「ルカ福音書」19:1~参照)
「先輩、惜しかったね。あと5センチ背が高かったら、もっと女の子にもてたのにね」、高校時代、そう部活動の後輩の女子から言われたことがあります。
残念ながら人は、大人になってから、じぶんの背や足を思い通りの長さに伸ばすことができません。
ザクヘイがいくら、つま先だって背を伸ばし、群衆の垣根をこえて覗こうとしても、イイススの姿が見えません。
そのとき、ふと思いだします。あの通りには、人が登れる太さの大きないちじく桑の木があった。いっさんに走り、木に手と足をかけ、登ります。
ザクヘイは40歳くらいであったのでしょうか。
中年、熟年世代の涙ぐましい努力です。
そしてイイススが一夜の宿に指名したのが、ザクヘイの家でした。
ザクヘイの頼りにした木は、みずからの不足を補い、イイススとの出会いをもたらしました。
手足や衣服に、擦り傷やほころびをつくってでも登らねばならない、かけがえのない機会を生みだす木でした。
「わらしべ長者」「ジャックと豆の木」、昔話にあるような、一見なにも生みださないようなものが、神の恵みと信仰者の努力によって、変容することがあります。
ザクヘイが希いをかなえるために機転を利かせ、けん命に路地うらを走り、木によじ登ったことが、神との邂逅(かいこう)に結びつきました。
群衆の向こう側でつま先だち、見えないからとあっさり、あきらめてしまっていては、神との出会いはなかったでしょう。
つま先だち、背を伸ばした、そのあとが重要です。
つぎの一歩へ踏みだす勇気が大事であることを、ザクヘイが教えてくれます。
(長司祭 パウェル 及川 信)