見よ、よい知らせを伝え
平和を告げる者の足は山の上へ行く。
(旧約聖書「ナホム書」2:1)
よき知らせを、福音といいます。
嘉音とも表現します。
ひとによってよき知らせには、ちがいがあるのでしょうが、正教会(オーソドックス・チャーチ)は、神との出会い、洗礼をうけ、神の道を歩みはじめること、挫折から再起へ、心機一転すべく目覚めることが重要だと教えます。
正教会の言葉は、古くて含蓄のある聖言がいくつもあります。
降福(こうふく)
神恩(しんおん)
恩寵(おんちょう)
最初に引いた聖句「平和を告げる者の足は山の上へ行く」、この山とは、どこをさし、どんな山を登るのでしょうか。
たとえば、モーセが十誡(十戒)の石板を恩賜されたシナイ山。
主イイススが変容されたタボル山(あるいはヘルモン山)。
神の国を象徴するシオン山。
イイススが十字架を負うて歩まれた行く先、ゴルゴダの丘。
広義においてシオン山の一部にふくまれるというゴルゴダの丘は、神の創造されたエデンの園の近くにあったそうです。アダムとエバを葬ったお墓のあったところともいわれています。
シオン山はかつて、アダムとエバ(イブ)が食べてしまった果実を産する善悪を知る木ばかりでなく、生命(いのち)の木がはえている楽園であったといいます。
平和を告げる者である救い主イイススは、ゴルゴダへのぼり、十字架にかけられ、死をもって死を滅ぼし、復活の生命を実現しました。
イイススの受難の十字架は、再生、復生の木、すなわち生命の木を預象(よしょう)しています。
主の復活の聖像(イコン)には、死の上に立つ者、十字架を踏みしめ、アダムとエバを永遠の生命へと引き揚げる救世主の姿が描かれます。
救い主イイススは神の山に登頂し、神と人とを和解させ、平和を実現し、ひとに真の生き方をもたらしました。
イイススは宣べています。
「和平を行う者は福(さいわい)なり、かれら神の子と名づけられんとすればなり」(マトフェイ、マタイ福音書5:9)
それゆえ聖使徒パウェルはわたしたちにこう語りかけるのです(エフェス6:15)。
「平和の福音を告げる準備を履物(はきもの)としなさい」
(長司祭 パウェル 及川 信)