■2021年3月 人間の体シリーズ 指(ゆび)1 指輪

父親は息子を見つけて、憐れに思い、
走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。
「お父さん、わたしは天に対しても、
またお父さんに対しても罪を犯しました。
もう息子と呼ばれる資格はありません」
しかし父親は僕たちに言った。
「急いでいちばん良い服を持ってきて、
この子に着せ、手に指輪をはめてやり、
足に履物をはかせなさい。それから
肥えた子牛を連れてきて屠りなさい。
食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに
生き返り、いなくなっていたのに見つかった」
そして祝宴をはじめた。
(新約聖書「ルカ福音書」15:11〜)

 指輪、なにを思い浮かべるでしょうか。
 すぐに連想されるのは、婚約指輪、結婚指輪あるいはファッションリングでしょうか。
 少し前には、トールキンの「指輪物語」が映画化され、「ホビットの冒険」「ロード・オブ・ザ・リング」が公開されています。
 指輪は、たんなるアクセサリー、装飾品ではなく、はめる指輪の種類とか価値に応じて、立場や権威、影響力などを誇示するものとなります。
 たとえば王侯貴族は、紋章つきの指輪をはめ、公式文書や親書の封印に、指輪の刻印を押し封印しました。
ときには一族の継承を表すため、遺産の代表格として、指輪が尊重されました。
正教会では、〝信仰の指輪〟が強調されます。
 たとえば正教会の「聘定式(婚約式)」は、四つの証(あかし)を祈ります。

  1. エジプトの宰相イオシフ(ヨセフ)がファラオから
    贈られた権威の象徴として指輪(創世記41:42)

  2. 預言者ダニイルを救われる神を畏れたダレイオス王の
    信頼を刻印する指輪(ダニイル6:17〜)

  3. タマルがユダとの約束を貫徹するための
    約定としての指輪(創世記38:18)

  4. 放蕩息子が父親の哀憐を身をもって体験する
    親愛の指輪(ルカ15章)

指輪は、エンゲージリングとして神の永遠をあらわしますが、その根底にあるのは、神の憐れみ、愛です。
 思わず駆けより、助け救ってしまう、神の憐憫の指輪が、放蕩息子へ恵まれた指輪なのではありませんか。
 信仰の指輪とは、社会的儀礼、おざなりにほどこされる形式的指輪ではありません。
 滅びかけている人間性を回復させ、神と人、人と人とが、神の愛にみちびかれ連帯と絆を取り戻す、象徴としての指輪です。
 神の愛のリング、神の恩寵にもとづく信頼と希望の指輪がここにあります。

(長司祭 パウェル 及川 信)