ハリストスや、なんじは神なるにより、
体にて墓にあり、霊にて地獄にあり、
右盗(うとう)とともに天堂にあり、
父と聖神とともに宝座にあり、
限りなき者として一切を満てたまえり。
(「聖体礼儀」奉献礼儀の炉儀祝文)
正教会(オーソドックス・チャーチ)は「右」の教会です。右と言っても政治思想の左右ではありません。
右に意味をこめ、右の能力、神の全能の力を、地上にあるどのキリスト教会よりも強調する教会です。
受難・十字架の時、主イイススの右側の盗賊は悔い改めて赦され、救い主と共に神の国へ上がりました。
「聖なる右盗(うとう)」と正教会は讃栄します。
わたしたちは結婚指輪を右手にはめ、右手で十字架を画きます。
たとえば聖人の不朽体、聖なる腕(うで)をしばしば安置、公開しますが、そのほとんどが「右腕(うわん)」であるといわれています。
日本でも昔、右大臣、左大臣があり(右大臣の地位が上)、仕事を共に進める上でも「わたしの右腕」と言って、信のおける能力ある者を称揚します。
正教会の右には、4つの大きな意味があります。
1 右は神の権能
神の不思議で神秘的な力、全知全能の神を象徴します。
2 右は救いを象徴
聖像(イコン)では、つねに右手での祝福が画かれています。
聖書は言います。
「いまわれ主がその膏つけられし者を救うを知れり。彼は聖天よりその右
の手の力をもってこれにこたう」(聖詠19:7 正教会訳)
「いま、わたしは知った、主は油注がれた方に勝利を授け、聖なる天から
彼に答えて、右の御手による救いの力を示されることを」(詩編20:7)
3 右の座
全能の救世主、人を救う神の座する場所が「右の座」です。
イスラエルの12部族の一つ、ベニアミンには「右手の子」という意味が
あるそうです。神の右に座する者は、神の救いに近いのです。ですからマ
トフェイ(マタイ)福音書25章の「羊と山羊のたとえ」では、善人は右
側に集められ、右の座に座することを祝福されたのです。
4 右は神に寵愛される場所
旧約聖書の「雅歌」はこう詠っています(8章参照)。
「あの人が左の腕をわたしの頭の下に伸べ、右の腕でわたしを抱いてくだ
さればよいのに」
「わたしを刻みつけてください。あなたの心に、印章として、あなたの腕
に、印章として」
印章とする「あなたの腕」は、もちろん右腕です。
神に愛されている人は、神の懐に抱かれていると正教会ではいいます。生きている者も永眠した人も同じです。
神の右の座とは神の懐です。いわば神の心臓の一部として愛されます。
神の右に座する者は最愛の人です。神にも人にも最高の、もっとも深い愛をもって神の右うでに抱き締められています。
(長司祭 パウェル 及川 信)