■2023年12月 読書と信仰 9 シカの置き物

一週間たって、死んだ青年の婚約者が原爆病院を
おとずれた。彼女は、青年を看護した医師や看護
婦たちにお礼をいいにきたのだといった。彼女は
楽器店につとめる娘らしく、よくレコード棚やバ
イオリンの陳列ケースにおいてある、陶製の一対
のシカをお土産にした。二十歳の娘は平静でおだ
やかな挨拶をのこして去っていったが、翌朝、睡
眠薬による自殺体として、発見されたのであった。
僕は、大きい角をそなえた強そうなシカと、愛ら
しい牝のシカの、一対の置き物を見せられて、暗
然として言葉もなかった。
(大江健三郎「広島へのさまざまな旅」『ヒロシマノート』)

 『ヒロシマノート』を読んだのは、釧路湖陵高校2年生のときであったと思います。
 この本とほぼ同時進行で読んだ戯曲が「銀河鉄道の恋人たち」でした。
 劇作家 大橋喜一が、ヒロシマノートのこのエピソードに震撼され、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をモチーフに書いた作品だときいていました。
 『ヒロシマノート』
 ……言葉がなくなりました。
何度も引越しを体験したわたしの書棚には、いまだ、たとえば、峠三吉全詩集『にんげんをかえせ』風土社、津田定雄『長編叙事詩 ヒロシマにかける虹』春陽社、『原民喜全集』青土社、土門拳『生きているヒロシマ』築地書館、『広島・長崎 原子爆弾の記録』子どもたちに世界に!/被爆の記録を贈る会、などがならんでいます。
 忘れてはいけない、置き去りにしてはいけない現実があるのだと、そのとき、痛感しました。
当時、釧路の数多くの高校生が『ヒロシマノート』を読み、生と死、戦争と人間、原爆と人間の復活などのテーマと格闘しました。
 わたしもそのひとりでした。
 世間知らずの、青い感情であることを知っているつもりでしたが、この痛惜の念と激情が、大橋喜一作「ゼロの記録」という上演時間2時間半の大作を、一九七七年春、釧路高校演劇合同公演(釧路市公民館)で舞台にかける原点になりました。
 もちろんキリスト教信仰は、自殺を認めていません。
 でもわたしは、このエピソードに秘められたこころ、好きで好きで、愛して愛してたまらない、どこまでもいっしょに生きていこうとする青い感情が、ともすれば未熟とされるかもしれない愛情が、かけがえのない無垢で気高いものに感じられてならないのです。
 ひとは、いついかなるときでも、きっと信じられる、そう思いました。
 

自己犠牲などという意味合いはいささかもない、
決定的な愛の激しさにおいて。そして、この激越
な愛とは、そのまま逆に、われわれ生きのこって
いるものたちとわれわれの政治に対する凄まじい
憎悪に置きかえられることもありえた感情である。
しかし、告発せず沈黙して死んだこの二十歳の娘
は、われわれに、もっとも寛大な情状酌量をした。
われわれには、くみとられるべき情状などありは
しないが、二十歳の娘は、おそらくおとなしい威
厳をそなえた性格だったので、われわれに憎悪の
告発をおこなわなかったのだ。

(長司祭パウェル及川信)

+大江健三郎『ヒロシマノート』岩波新書、1965年(初版)
 このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
 ご寛宥ください。