■2022年7月 醸成

 「主よ、荒地の如く實を結ばざる異邦の教會は、爾の來るに因りて、百合の如く華さけり、我が心は此に緣りて固められたり(第二調 主日の早課、カノン第三歌頌のイルモス)」。

 府内最大級のツバキ園を擁する舞鶴自然文化園に出掛けた時のことです。「ツバキQ&Aコーナー」と題した展示の中に、気になる回答を発見しました。質問者曰く「庭植えにして5年以上経っているが、ぜんぜん花が咲かない」とのこと。これに対し施設側は次のように考察しています。「(品種により極端に花付きの悪いものもありますが)ツバキにとって居心地の良い環境なのだと思います。大半の植物は、死の危機を感じないと子孫を残す必要がないため、花芽を作ろうとしません」。それでは、どうすれば良いのでしょうか。驚くべきことに、①肥料や夏場の水やりを控える、②幹から少し離れた部分にスコップ等を突き立てる、③軽く根を切断する、荒療治を勧めているのです。

 同様の示唆に富むネット記事「世界最長寿の樹木発見?樹齢には謎がいっぱい(Yahoo!ニュース2022/6/9)」も紹介します。「一般に幹が太ければ長生きしたと思いがちだし、太くなれたのは気候や土質などが樹木の生長に向いているところ、と思ってしまう。だが現実は反対だ。生長に適した土地に生えた木は、早く太くなるので寿命はそんなに長くない。むしろ逆境に育つと生長が遅い分だけ年輪が詰み強度が増す。すると折れにくく風害にも強くなるから長生きしやすい」そうです。

 こうした特徴は、我々人間にも共通する事柄のように思われます。逆境や困難は私たちを揺るがす動機ですが、努力して乗り越えるならばその人の信 仰は花が咲き実を付け、確かなものとなるでしょう。昨今の社会環境を取り巻く「正しさ」は、そのほとんどに様々な利権が絡んでいたり、あるいは狭いものの見方の押し付け合いに過ぎなかったりします。ハリストスがこの世で人々と直に接しておられた時代から、私たちの先祖たちも大なり小なりそうした葛藤で悩み苦しんできたはずです。だからこそ、主は「まず神の国と神の義とを求めなさい(マトフェイ6:33)」と仰いました。この価値観はいかなる時代においても不変の概念であり、物事の本質を端的に言い表しています。

 ここまで話して、譬えの前半部分が皆さんにもお分かりいただけたのではないでしょうか。「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない(同上6:30)」。すなわち、天国とこの世の「正しさ」は必ずしも一致しないのです。よって、自らが知り得る限りの情報のみを頼りに、あらゆる事象に善悪の判断を下すことは極力避けねばなりません。

 「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようか(同上6:31)」。最も小さい悩みの種は次第にエスカレートし、やがて大きな不満へと繋がります。けれども、「患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出し…そして、希望は失望に終ること(ロマ5:4-5)」はありません。これが、ハリストスの伝えたかった「目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう(マトフェイ6:21)」という御言葉の真相と理解できます。

 神様は私たちに必要なあらゆる物事をご存知であり(同上6:33)、「時に随いて(食前の祝文)」賜ってくださるお方であることを忘れてはなりません。「まくことも、刈ることも…倉に取りいれることもしない…空の鳥(同上6:26)」、「働きもせず、紡ぎもしない…野の百合(同上6:28)」、「明日にでも炉に投げ込まれるような野の草(同上6:30)」でさえ、「天に在す我等の父」は放っておかれないのです。ならば、それ以上に良くしていただけるはずの私たちは、なおさら神様の憐れみを願って苦難をも希望に変え、信仰を醸成させながらそれぞれの花を咲かせ、実を結びましょう。

(伝教者 ソロモン 川島 大)