救い主イイススの胸によりそう
その弟子が、イイススの胸もとに寄りかかったまま
「主よ、それはだれのことですか」というと、
イイススは、「わたしがパンきれを浸して与える
のがその人だ」と答えられた。
〈新約聖書「イオアン(ヨハネ)福音書」13章〉
腿(もも)の誓い、立ってする誓いと、席座する誓いの形があり、実際に体で表現すると、こうなります。
誓いを立てる者、宣誓の言葉を語る者は右手を、相手の腿の間に入れます。すると自然に頭は、誓いの言葉を聴く人の右肩、右胸に当たります。
誓いの言葉を聴く者は、相手の肩を抱くか、背中をなでて、その誓いを聞き取ります。
上記のイコン、リーナ・デルペーロ「最後の晩餐」『作品集』1999年
この親密な態勢。
じつは祈りの姿勢なのです。
祈りが神に対する重要な誓いの言葉であることをわたしたちは思い起こしましょう。
さらに、この誓いの姿勢は、最後(機密)の晩餐で、いちばん年少の使徒イオアン(ヨハネ)が、恩師イイススの胸に寄りかかって、その心臓の音を聴いた姿そのものです。
神様に向かって祈り、誓う者は、その胸・肩に顔を、ほほをすり寄せ、神様の親密な温かさ、体温、呼吸、心臓の鼓動を体感します。
黙示録を書いた聖使徒、福音者、神学者イオアンは、こう言います。
「この方(救世主)の衣と腿のあたりには、王の王、主の主という名が記されている」(黙示録19・16)
腿の間に手を入れて、人生を左右する誓いを立てる。
もちろん、現代において、この誓いの形はほとんど行われていませんが、教会では「按手(あんしゅ)」という別の祝福の形で生きています。
(長司祭 パウェル 及川 信)