■2020年2月 人間の体シリーズ 耳 III 雷の声と静かな声

■2020年2月 人間の体シリーズ 耳 III 雷の声と静かな声

「いま、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。

『父よ、わたしをこの時から救ってください』

と言おうか。しかし、わたしはまさに

この時のために来たのだ。

父よ、御名の栄光を現してください」

すると、天から声が聞こえた。

「わたしはすでに栄光を現した。

再び栄光を現そう」

そばにいた群衆は、これを聞いて、

「雷が鳴った」

と言い、ほかの者たちは

「天使がこの人に話しかけたのだ」

と言った。イイススは答えて言われた。

「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、

あなたがたのためだ」

(イオアン(ヨハネ)福音書12:27?30)

イイススは、受難、十字架上での死を意識します。イイススの言葉の端はしには、救いとはなにかを伝える言葉がつづきます。

雷が鳴ったような天からの声の前には、有名な言葉が語られます。

ひと粒の麦は、地に落ちて死ななければ、

ひと粒のままである。だが、死ねば、

多くの実を結ぶ。

贖(あがな)いと救いの本質を究極的に現す聖なる言葉です。

雷が鳴る時、わたしたちは不思議な光景を目にします。

まず稲光が一瞬きらめいて光り、一拍おいてドーンとかゴロゴロという雷の音を聴きます。

イイススが熱をこめて語っている時、同じ出来事が起きたのではないでしょうか。

天空に閃光が走り、それから雷鳴のごとき音が聞こえたのです。

もしかしたら人々の耳には、ドーンという雷の音しか聞こえなかったのかも知れません。神の声が聞こえなかった人たちもいました。

イイススが、両手をさし上げて祈り、耳を澄ましているお姿を見て、

「天使がこの人に話しかけたのだ」

と感じたのではないでしょうか。

この声が聞こえるのは、選ばれている信仰者であって、心と体の準備のできていない人には、聞こえなかったとも言えるでしょう。

わたしたちはしばしば、一般社会の中で「声の大きい人が勝つ」現実を見ます。

正義かどうかを別にして、多数決というか、大声の暴威によって、ある論理や主義主張が通ってしまう不合理を体験することがあります。

でも信仰者は知っています。

しばしば大きな声、雷鳴のごとき怒鳴り声は、神の恵み、正義と平和を圧殺することを。

信仰者は、雷のあとの静かな天の声に耳を傾けましょう。

雷鳴、大嵐のあとの静けさの中に真実と真理があるものなのです。

ほんとうの救いは、雷のあとに恵まれる、天よりの静かな声、その栄光のうちに秘められています。

(長司祭 パウェル 及川 信)