純金の花模様の額当てを作り、その上に印章を彫るように 「主の聖なる者」と彫りなさい。次に、この額当ての両端 に青いねじりひもを付け、ターバンに当てて結び、ターバ ンの正面にくるようにする。これがアロンの額にあれば、 アロンは、イスラエルの人々がささげる献げ物に関して生 じた罪を負うことになる。また、彼がそれを常に額に帯び ていれば、かれらは主の御前に受け入れられる。 (出エジプト28:36−38)
約40年ほどの昔「おでこの神父様」で、話が通じてしまう方がおられました。すでに永眠されている大阪のプロクル牛丸康夫神父様。
名前を忘れてしまっても、おでこに手をやるだけで、「ああ牛丸神父さん」、わかってしまうのでした。
ところで、十字を画くというと、ふつうは、額・胸・右肩・左肩です。
ところが初代教会、1〜4世紀頃の一部のハリスティアニン(クリスチャン)は、いまとは異なる十字の画き方をしていたといわれています。
右手の親指で額に十字、あるいは二本指や三本指で額に十字、それがいまのような十字の画き方へと変遷し、伝統になっていったといわれています。
ではなぜ、額であったのか。これをまずは手に入りやすい新約聖書に源を求めてみましょう。
イオアン(ヨハネ)黙示録は、たびたび聖なる刻印について語っています(14・1)。
「見よ、小羊がシオンの山に立っており、小羊と共に、14万4千人の者たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とが記されていた」
その聖なる名とは何か?
「十字」
十字架の徴(しるし)ではないでしょうか。
復活のしるしです。
ではなぜ、額なのか。
歴史を遡って旧約聖書をひもといてみましょう。
出エジプト記28章。
神は、祭司長アロンをはじめとする、祈りを司り執り行う祭司の衣装について述べています。
「純金の花模様の額当てを作り、その上に印章を彫るように〝主の聖なる者〟と彫りなさい」
金属の薄い板に
「主の聖なる者」
と刻印をし、額に当てたのです。
つまりその金属板の両側に青いねじったヒモを通し、それをターバンに結び付けました。
バンダナとか鉢巻きというよりも、頭に巻き付ける布の帽子、ターバンの正面、額に「主の聖なる者」という文字が記されていました。
これが昔のイオアン黙示録の額の刻印、あるいは初代のハリスティアニン(クリスチャン)の額の十字につながっていると考えられます。
額を起点にして十字を画く慣習は、そうすると、数千年も歴史をたどってゆき、出エジプトの祭司の姿にまで遡るわけです。
額は神の知恵の宿る、神の手が刻印をする場所です。
十字は、主の聖なる者である証明、復活の徴です。
すなわち額は、神の恵みの発出する場所、信仰者が聖神(せいしん)の親しみを受けとめる、大切な刻印の聖地なのです。
(長司祭 パウェル 及川 信)