■2019年6月 人間の体シリーズ 目(眼) ⅠⅠ

■2019年6月 人間の体シリーズ 目(眼) ⅠⅠ

イイスス彼(フォマ、トマス)に言う、

「なんじは われを見しによりて信ぜり。

見ずして信ずる者は福(さいわい)なり」

(イオアン福音20:29)

第四の目は「神の目」です。

神の目を持った聖人、特に皆さんに紹介しなければならない聖人がいます。 京都生神女福音大聖堂にヒントがあります。
ここは主教座のおかれた大聖堂。

主教様がいらっしゃるとき、この聖堂の主教座には、オルレツという鷲を刺繍した絨毯が敷かれます。

鷲は、この聖障(イコノスタス)の中央の一番上、万軍の救世主、全能の神の聖像の中にも画かれています。

ご存知のように鷲は、猛禽類の王者、何百メートルの天空から、地上の小さなネズミさえ発見します。

神の目とは、たとえば鷲の目のように、あらゆる森羅万象を精密に網羅し、俯瞰(ふかん)し、透徹する目です。

神の目は、場所・時間・空間などに拘束されません。

神の目はこの世の時空間にすでに訪れている神の時間、神の空間をはっきりと明らかに見せ体験させてくれます。

キリスト教会の歴史のなかの、最初の偉大なる神学者イオアン(ヨハネ)の象徴が、鷲です。

12人の聖使徒の中で、唯一、神の目をもつにいたったイオアンは、だから神秘的な啓示を受けて「黙示録」を書くことができました。

正教会は「知恵の浄き光を輝かし」と祈ります。

これは神の叡智です。神の叡智に満てられし人が神の目をさします。

イオアンは、あの最後の晩餐「機密の晩餐」のとき、神の胸に抱かれ、神の鼓動をきいた聖使徒でもあります。

神の胸、神の腹の奥底から「見つめている人」です。

それが神学者であり、祈りの人、なのです。

イオアンは神の胸の奥底、神の腹のただ中を体験します。

神のただ中、真ん中にあったものは何か。

たとえば愛があります。

イオアンは「愛の使徒」と呼ばれます。そして人間のだれもが「愛」に生きることができます。すなわちだれもが神の目を持つことができます。

神の目を持つ者は、恐怖を克服し、愛に絶望せず、愛することを畏れず、神と人とを愛しつづけます。

心の目、霊の目が祈りによって磨かれて、神の目に到達します。

神に、そして人に愛され、愛し合う者にだけ見えてくるものがあります。

神の目は、信じ、希望をもちつづけ、愛する信仰者が、獲得することのできる、信仰の目、ハリストスの目でもあるのです。

(長司祭 パウェル 及川 信)