■2019年4月 復活! 天の梯子(はしご)

復活! 天の梯子(はしご)

すべて自ら高くする者、高ぶる者は低くされ、

自らへりくだる、謙遜な者は高くされる。

(ルカ福音書14;11,18:14)

ハリストス復活!

列祖イアコフ(ヤコブ)は、夢のうちに「天使が上り下りする梯子」を見ました。実におどろくべき体験です(創世記28:12)。
ある聖師父はこう語っています。

梯子の片方の柱は人の道、もう一つの柱は神の道を表わす。

柱の一つは、人の力・欲望・野心・人としてのエネルギーを、

もう一つの柱は、神の霊的な導き、神の力・神のエネルギーを表わす、と。

信仰者(オーソドックスのクリスチャン・ハリスティアニン)は、その二つの柱を両輪として、天に向かって架けられた梯子段、踏み板を上り下りしながら生きているとは言えないでしょうか。

さらにこうも言えます。

アダムとエバ(イブ)は、人としての意思、人のエネルギーを悪用し、神の梯子を腐食させ、瓦解させてしまったのだ、と。

人が高慢と強欲によって高く上ることは、天の高み、神の国、救世主のいる所へ上ること、ほんとうの意味での救いをもたらしません。

高慢と強欲を原動力、エネルギーにして天への梯子を登ることは、まやかし、虚構、幻想に過ぎません。人の悪欲が煮えたぎる時、神の梯子を燃やす劫火(ごうか)となって、階段ばかりでなく、人そのものを燃やし尽くしてしまうからです。

先の見えない人生という暗闇の梯子、階段を渡っていく時、神がわたしたちにあたえる一垂(いっすい)の灯火が、ほのかに、あなたの足もと、伸ばす指の先を照らすでしょう。この神の灯火を希望といいます。

そうです。わたしたちは、神を信じ、神の導きのもと、信仰の梯子を、謙遜と忍耐によって、一段一段、低く下るべきなのです。

イイススはこう語ります。
「すべて自ら高くする者、高ぶる者は低くされ、自らへりくだる、謙遜な者は高くされる」(ルカ14;11,18:14)

下っているのに、高く上っている。この神秘はなんでしょう。

天高く上がりたければ、神のエネルギーをたくわえ、力を充満させ、ますます低く身がまえて、神の時を待たねばなりません。

謙遜、柔和、友情、優しさ、思いやり、親しみの献げ物のうちに、信仰者は、地へと下ります。一見、墜ちていくようですが、神が高く携え挙げてくださいます。

信仰者は、地を這うような地道な祈りの日々を過ごしますが、神により天高く舞い神の国をめざす天使の翼があたえられます。

実は二本の梯子の柱、手すりの間に、もう一本の道があるのです。

その信仰の架け橋、梯子段、踏み板を創るのは、わたしたちひとり一人です。

すばらしい光り輝く天への梯子は、驕りのない、静かで穏やかな、わたしたちひとり一人の信仰生活の中に築かれてゆきます。

信仰者の謙遜な生活になかに、まやかしやごまかしではない、ほんものの人の生き方、天へ上ること、復活があります。
実に復活!

(長司祭 パウェル 及川 信)