正教会 オーソドックスの聖職者は、髪の毛やヒゲ(髭)を伸ばします。
「髪は女の命」、日本の女性は、大昔から髪の毛をとても大切にしていました。 髪の毛、頭には神秘的な力が宿る、正教会、オーソドックスがオリエンタル、東洋的な信仰であることがよくわかります。
髪の毛やヒゲは、神の力の象徴でもあります。
生命の神秘、神の創造の業(わざ)、天然自然の不思議さを髪の毛は顕わします。
画像のイコン 左:初代京都の主教聖アンドロニク、右:日本の亜使徒聖ニコライ大主教、ふたりともみごとなヒゲをたくわえています。
ある聖人は言いました。
「ふさふさの髪の毛、もわもわのヒゲには、神の力が宿っている」と。
旧約聖書「士師記」の怪力無双の義人サムソンのようにです。
では白髪はどうか。
ソロモンは「知恵の書」で語っています(4:9)。
「人の思慮深さこそ白髪であり、汚れのない生涯こそ長寿である」
これは良い言葉です。白髪は思慮深さを象徴しています。
知恵者ベン・シラは語っています(6:18)。
「子よ、若いときから教訓を受け入れよ。
白髪になるまでに、知恵を見出すように」
ちなみにこの知恵の書には、怖ろしい意味の言葉も隠されています(4:16)。
「若死にした者の死は、神に逆らう老人の長命を裁く」
歳をとり始めたわたしには、非常に怖い言葉です。
それではわたしのように、頭のてっぺんが薄くなり、まあるくきれいにハゲ始めた人間を昔の信仰者は何と言ったでしょうか。
「神様が近づいた」「天国が近づいた」
じつは昔の信仰者は、頭の髪の毛を作物に、頭を畑・耕作地になぞらえています。頭に種を蒔き、知恵を育て、豊かな人間性を養おうとしているとき、若さゆえの黒いもさもさの髪の毛やヒゲばかりでなく、高齢にいたっての白髪や頭髪の薄くなっていくことさえも、神様からの恵み、萬稔豊作、実りを象徴すると感じたのです。髪の毛は信仰者の「栄冠」でもありました。
わたしは思います。
頭の状態だけでなく、人間そのものも豊かに成長し、神様に褒められたいと。
その上で、
「神様が近づいた」「天国が近づいた」
と言われたいものです。
何と言っても救世主イイススの宣教の第一声は、
「悔い改めよ、神の国(天国)は近づけり」
なのですから。
(長司祭 パウェル 及川 信)