イイススは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、 シモンとシモンの兄弟アンドレイが湖で網を打っている のをご覧になった。かれらは漁師であった。イイススは 「わたしにについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」 と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。また少し 進んで、ゼベデイの子イアコフ(ヤコブ)とその兄弟イ オアン(ヨハネ)が、舟の中で網の手入れをしているの をご覧になると、すぐにかれらをお呼びになった。この 二人も父ゼベデイを雇い人たちといっしょに舟に残して イイススのあとについて行った。 (新約聖書「マルコ福音書」1:16− 20)
キリスト教会の最も古い象徴(シンボル)の一つ、魚。前回、旧約聖書の話題から、かれいとひらめの話や預言者イオナと巨大魚レビヤタンの話をしました。
昔から地中海沿岸では、いろいろな種類の魚が食べられてきました。たとえば、海の魚では先に取り上げたかれい、ひらめの他、まぐろ、ぼら、たこ、いか、えび、ふぐや貝類など。河・湖沼の魚では、こい、すずき、なまず、うなぎなど。お刺身は食べませんが、干物や塩漬、オイル漬を食べました。
ことに航海民族、交易の民フェニキア人は、アルファベットのもとになる文字を作った民族、のちの北アフリカの強国カルタゴを建国した民族として知られていますが、フェニキア人はあらゆる種類の魚を食べたり、塩漬・オイル漬にして、大量に貿易に用いたのでした。フェニキア人の貿易船は、東地中海沿岸〜アフリカ西海岸・スペイン方面まで行き来して交易をしていました。かれらは地中海まぐろやいろいろな魚の塩漬卵も食べていたのです。
ガリラヤ湖の西岸、ティベリアの北には、ギリシャ名タリカエアという町があります。その町の名はずばり「塩漬の町」。塩漬の町には、東西南北、各地方の魚や肉が集まり、工場で塩漬にされた魚や肉は、遠くギリシャやイタリアのローマ、近くはエルサレムへも輸送されていました。
この町の名をイスラエル名ではマグダラといいます。そうです。マグダラのマリアは塩漬の町出身者で、のちに亜使徒と呼ばれる、主イイススの女弟子になったのです。
救世主イイススの最初の弟子は漁師でした。かれらはガリラヤ湖でラブヌンといういわしのような魚や、アムヌンという魚を漁っていました。
このアムヌンという魚は、日本では30年ほど前、養殖でもてはやされた熱帯の淡水魚で、日本名は「いずみだい」、ティラピアといいます。
さてアムヌンという魚、英語では「聖ペトルの魚(セント・ピーターズフィッシュ)」といいます。大きな背びれが女の人の髪の毛をとかす櫛(くし)の形に似ているところから「ガリラヤの櫛」というあだ名も付けられています。 イイススは、ガリラヤ湖で漁をしていた若者に声をかけて、「あなたを人間をとる漁師にしてあげよう」と語り、弟子にしました。
創世記の冒頭、天地創造の光景、「聖神(せいしん 神の霊)が水の面を動いていた」と描かれています。そうです。すでに神秘的な水が、天地創造のときに「在った」のです。わたしたちは神の海に生きていながら、ときには放蕩三昧、人を信じ切れず争いごとを起こしてしまう困った魚です。
でもわたしたち信仰者は、神の創られた海を自在に泳ぐ魚です。
神の海は、生命の海、愛と信頼の水を湛えた豊饒の海、平和の海です。
神の海は温かい海、わたしたちは神に暖められた魚です。信・望・愛を信仰生活の拠り所、基礎にした笑顔で生きる魚がわたしたち、人間です。
(長司祭 パウェル 及川 信)