■2017年11月 聖金口 イオアン ヨハネ(11月26日記憶)

疲れた者、重荷を負う者は、
だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。
わたしは柔和で謙遜な者だから、
わたしの軛(くびき)を負い、
わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたは安らぎが得られる。
わたしの軛は負いやすく、
わたしの荷は軽いからである。

(新約聖書「マトフェイ(マタイ)福音書」11章参照)

 黄金の口をもつ説教者、4世紀、シリアのアンティオアの教会から、請われてローマ帝国の首都
コンスタンティノープル(コンスタンティノポリス)大主教となった、われらの親愛なる聖人。

聖金口イオアン・クリュソストモス。

かれは、いまも わたしたちと歩みつづける「同労者」、同心の信仰者です。

冒頭に引いた聖書の言葉は、救い主イイススの福音です。

聖イオアンはこの言葉を、自ら実践した聖人でした。

聖人の説教には、数千人ときには1万人を超える聴衆が参じたといいます。

でも信仰者を魅了しひつけた最大の徳は、かれの実直、誠実な人柄でした。

かれは庶民、ふつうの熱心な信仰者の同伴者、友であり続けました。

これを如実にあらわすのが「聖金口イオアンの聖体礼儀」です。聖人の名を冠された聖体礼儀には
聖人の息吹、声、温かみが満ちています。

いまここにいるような、切々とした聖なる像(イメージ、イコン)が、目の前に立ち上がってくるかのような
聖体礼儀(リトゥルギア、ユーカリスト)。

祝文を読むたびに、聖なる感動と感激がわたしたちのうちに満ちてきます。

 人を愛する主宰や、わが霊(たましい)の恩主や、

 われらに、この日においても、

 なんじが天上の不死の機密を領けさせたまいしを、なんじに感謝す、

 われらの途(みち)を直くし、

 われら衆人を なんじを畏るるの畏れに堅固にし、

 われらの生命を護り、われらの歩みを固めたまえ。

 光栄なる生神女、永貞童女マリヤおよび

 なんじが諸聖人の祈りと願いとによりてなり。

あまりにも神の前に正直に生きた聖イオアン。

その信仰、心は、いまもわたしたちに託されています。

わたしたちは神が精錬される金の心、いやしと救い、
安らぎ、温和、復活の生命、神との一体を希求しつつ信仰生活をつづけましょう。

(パウェル及川信神父)