疲れた者、重荷を負う者は、 だれでもわたしのもとに来なさい。 休ませてあげよう。 わたしは柔和で謙遜な者だから、 わたしの軛(くびき)を負い、 わたしに学びなさい。 そうすれば、あなたがたは安らぎが得られる。 わたしの軛は負いやすく、 わたしの荷は軽いからである。 (新約聖書「マトフェイ(マタイ)福音書」11章参照)
黄金の口をもつ説教者、4世紀、シリアのアンティオアの教会から、請われてローマ帝国の首都
コンスタンティノープル(コンスタンティノポリス)大主教となった、われらの親愛なる聖人。
聖金口イオアン・クリュソストモス。
かれは、いまも わたしたちと歩みつづける「同労者」、同心の信仰者です。
冒頭に引いた聖書の言葉は、救い主イイススの福音です。
聖イオアンはこの言葉を、自ら実践した聖人でした。
聖人の説教には、数千人ときには1万人を超える聴衆が参じたといいます。
でも信仰者を魅了しひつけた最大の徳は、かれの実直、誠実な人柄でした。
かれは庶民、ふつうの熱心な信仰者の同伴者、友であり続けました。
これを如実にあらわすのが「聖金口イオアンの聖体礼儀」です。聖人の名を冠された聖体礼儀には
聖人の息吹、声、温かみが満ちています。
いまここにいるような、切々とした聖なる像(イメージ、イコン)が、目の前に立ち上がってくるかのような
聖体礼儀(リトゥルギア、ユーカリスト)。
祝文を読むたびに、聖なる感動と感激がわたしたちのうちに満ちてきます。
人を愛する主宰や、わが霊(たましい)の恩主や、
われらに、この日においても、
なんじが天上の不死の機密を領けさせたまいしを、なんじに感謝す、
われらの途(みち)を直くし、
われら衆人を なんじを畏るるの畏れに堅固にし、
われらの生命を護り、われらの歩みを固めたまえ。
光栄なる生神女、永貞童女マリヤおよび
なんじが諸聖人の祈りと願いとによりてなり。
あまりにも神の前に正直に生きた聖イオアン。
その信仰、心は、いまもわたしたちに託されています。
わたしたちは神が精錬される金の心、いやしと救い、
安らぎ、温和、復活の生命、神との一体を希求しつつ信仰生活をつづけましょう。
(パウェル及川信神父)