なんじらにもし芥種(からしだね)のごとき信あらば この山に、ここよりかしこへ移れと言うも、移らん。 またなんじらに一もあたわざることなからん。 このたぐいに至りては、 祈祷と斎(ものいみ)によらざれば出でざるなり。 (新約聖書 マトフェイ(マタイ)福音書17:20-21)
イイススは断言します。信仰があればこの山に移れと言うと奇蹟が起こり、山が移る、移動する。
では山に住人はいないのでしょうか。この山に住んでいる人はいないのでしょうか?
人ばかりでなく動物、熊のような大きな動物から、キツネ、タヌキ、ネズミ、もぐら、小さな虫、微生物も。
川が流れていれば、川に棲む魚や昆虫、鳥は? 山の植物は? 季節に応じて渡ってくる、動物や鳥は?
山を移すと言えば、非常に簡単なことのように聞こえますが、ちがうと思います。
山を移す、それら動植物、生きとし生けるものを全て含めて移す、と言うことだと思うのです。
このような実現不可能に挑戦した人はいたのでしょうか。
できもしないようなことを平気で言う神を信じる人はいるのでしょうか。
そういう神の思いに応える、神の信頼に応える、神の希望に応える人はいるのでしょうか。
そして移されることに協力する人、動物、植物がいるのでしょうか。そういう信仰心があったのでしょうか。
人の歴史上、ひとりいました。彼に協力した家族、彼の心に共鳴した動物と植物がいました。
そうです、ノアです。箱船を造り、大洪水から人も、動物・植物も救い出した、いいえ動植物がこぞって理解し協力した人間、ノアがいます。
かれらは「世界」を移します。
生命をゆだね、生命を移します。
ノアの願いをかなえようと、夢の実現に動植物が協力するとき、エデンの園、神の国が現れ始めます。
ノアが、ノアを信じる家族が見る世界は愛情あふれる「未来」です。
希望を信じ、希望を愛する。
奇蹟は信じようと決心する時に始まるのです。
(パウェル及川信神父)