待ちつづける父
放蕩息子(蕩子)には 帰る家があった
ルカ福音書15:11-32
復活大祭(聖大パスハ)へむかう日程(暦)の中に、大斎(おおものいみ)準備週間があります。
ザクヘイ(ザアカイ)にはじまり、税吏とファリセイ、蕩子、断肉、断酪(乾酪)の主日と、5つの主日がつづきます。
そのなかで、ひとの感情の起伏を的確に描写し、物語性に富んでいるのが、このお話です。
放蕩息子と称される弟(次男?)が、相続できるであろう財産を強引にうばって家出する姿は、古今東西、身近にみられる光景のひとつでもあります。
このイコンでは大豪邸が、背景にあります。
豪華絢爛、がっしりした堅牢な建物で、窓の装飾も美麗です。
こんな立派な邸宅に住んでいたら、若くて青い人間が、錯覚を起こし、なんでも思いのまま、豪奢な生活がすんなり継続できると信じこんでしまうのは、あたりまえのことでしょう。
身のまわりがきらびやかだと、じぶんも偉くて豪勢な人間だとまちがう人がいます。
豪邸にそびえるいくつもの塔は、まさにバベルの塔です。
みずからの傲慢と強欲、お金や財産にたかる亡者たちの吝嗇(りんしょく)と自己中心的生き方によって、その重さに耐えかねた息子が倒壊し、いずれは身を滅ぼすことを暗示しています。
人間とは愚かなものです。
なにもかも失い、絶望しないと悔い改められない人もいます。
悔い改めとは、生き直す決心にもつながります。
われに立ち帰ってからの息子のことば、これは祈りです(ルカ15:17-19)。
この祈りは、父に届きました。
父の思いが息子に届いたといってもよいでしょう。
中央左の父親は、はだか同然のうちしおれた息子をいたわり、すがりつく息子を抱きしめています。
父親は召使いに、いちばんよい服(ガウン)をもってこさせています。
おおきな衣服、布は、神の庇護をあらわしているかのようです。
このイコンでは、赤い布です。お陽さまの暖かさのようなぬくもり、父親のふところの温暖を息子は身をもって感じます。
家出したときと変わらぬ、こんなにおおきな愛情と信頼につつまれていたことを、息子はあらためて知ります。
左下にあつまっている羊は、素直と純真をあらわします。
小羊は、ご聖体(聖なるパン)を象徴することを忘れてはなりません。
「ひとはパンのみにて生きるのではない。神のことばによって生きるのです」
父親の仕事の中には、牧羊の仕事があり、地に足をつけた地道な労働と生活が、信仰生活の安定につながることも示唆しています。
ひたいに汗して働き、地を見、足もとを固めながら生きよ。
心は天の神をあおいで信じ、神の希望の光に照らされ、つつまれながら生きよ。
このイコンは、わたしたちにほんとうの愛情を教えています。
わたしたちを待っている神の心と真情をつたえているのです。
(長司祭パウェル及川信)