まるで雲をつかむような、しかしまた非常に恐ろしい
こういう懸念は、折からのおだやかな天候のため、か
えって無気味さをくわえた。水面一帯に、俺たちの復
讐の航海を嫌悪するのあまり、骨壺のような軸の進む
ところ、まったく生気を放下したかと思われるほど、
ものうげにものさびしくしずまりかえっている海を、
いく日もいく日も航海しているうちに、あるものは、
青々としたおだやかな海の底に、なにか悪魔的な魅力
がひそんでいる、というふうに考えるようになった。
(メルヴィル「悪鬼の汐噴き」『白鯨』)
北海道釧路市立日進小学校の図書室に、二、三人の名前しかない貸出しカードのはさまった本がありました。
「白鯨」
読んで衝撃をうけました。
不思議な魅力に満ちた、うずまきのような文体と表現。
正直、迫力にひっぱられて読んだということで、では本の内容を説明せよと言われると、困ってしまう、そんな読書でした。
それから一年、中学に入り、早朝、新聞配達をはじめました。
うけもった地域は、けっこう広く、市街地から千代ノ浦海岸をへて春採湖岸周辺へまわる道ぞいでした。
真冬、零下二十度を下まわる厳寒の朝、何年かぶりの流氷がきました。
それはオホーツク海を埋めつくすようなものすごい氷原ではなく、ところどころに鉛色の海の見える氷の群れでした。
波ひとつ、カモメの鳴き声もない、まっ白な海。
朝陽が透明な光をはなち、凍った大気が全身をつつみました。
荘厳、静寂の海。
神の創造された天地の境がそこにあり、おそらくほんの一瞬の出来事でしたが、車の騒音さえありませんでした。
生まれたての海が、初めて氷の群れをうけとめたような、なにか、不滅のエネルギーとかくされた秘事、神秘がありました。
わたしは、うごけませんでした。
神のおわせられる、天と地の台座がそこにあると感じました。
あの白い海を想起すると、なぜか「白鯨」を思いだします。
子どもの頃、この町には、クジラ埠頭があり、和商市場にクジラ肉のかたまりのあったことも思いだします。
からだで、全身でぶつかり、その魅力にのまれる読書。
理屈や論理性を放擲する、ある意味、魔力のような力づくの物語。
そんな体験をする一冊がこの本だったのでした。
大商船のペンキ塗りの船体からそびえる旗竿みたいに
つい近頃突き刺さった高い槍の破損した柄が、白鯨の
背中に突き立っていた。そして空を舞いながら、あち
こちと鯨の上を天蓋のように掠めおおう軽い趾をした
鳥の雲霞のごとき大群のうちの一羽が、時としてこの
柄にとまり、長い尾の羽毛を槍旗のようになびかせ、
揺れていることもあった。
その輝く両脇に、鯨はなにか魅惑的なものをおとして
ゆく。猟人のなかにはこのおだやかさに言いがたい魅
惑を感じて大胆にもこれを襲撃したものがあったが、
それも不思議ではない。だがそういう連中は、この静
けさが嵐のまとう外衣にすぎぬことを、命ととりかえ
に思い知らされたのだ。それにしても、なんという静
けさ、なんという魅惑的な静けさで、おお、鯨よ!
汝ははじめて汝を見るものの眼に、海の上をすべって
行くことか。(「追撃 第一日」)
(長司祭パウェル及川信)
+ハーマン・メルヴィル 富田彬 訳
『白鯨』(上下)角川文庫、2023年(改版12版)
わたしが小学生高学年の頃読んだ本は、1956年初版だったと思います。
昔のことゆえ、定かではありません。
このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
ご寛宥ください。