■2026年3月 救主のエルサレム入城

聖像(イコン)を読む

聖枝祭(枝の祭り)
救主のエルサレム入城

マタイ福音書21:1-11

 復活大祭(聖大パスハ)の1週間前の主日(日曜日)が聖枝祭(枝の祭り)です。
 司祭(神父)が緑色の司祭服を着用し、聖堂内の信徒はみな手に手に枝をもって祈ります。
 これらの枝は、聖堂内や会館、それぞれのご家庭に飾られます。
 古い枝を新たに成聖された枝に交換します。

 この聖像(イコン)には、あまり強調されていませんが、福音書の記事では、救主イイススを出迎えた人々は、自分の服やまわりの木の枝をとってきて、道に敷きのべました。
 これは王侯や身分の高い貴人をむかえる古来からの慣習です。

  ダヴィドの子にオサンナ
  主の名によってきたる者は祝福せらる
  至と高きにオサンナ

 人々の大歓声、まるで優勝の凱旋パレードのようです。
 白馬ならぬ、まだ人をのせたことのない白いろば、若いろばの背にゆられたイイススは、どんな思いを抱いてこの大観衆、歓呼の合唱をきいたのでしょうか。
 オサンナ(ホシャナ)とは「神よ救いたまえ」という意味です。

 このイコンは、きわめて対称的に画かれています。
 救い主イイススを中心軸、振り子の支点のように、
 画面の左に、
天然自然の山と崖、樹木
 右に、
エルサレムの街、大都会

 天然自然の山と崖、樹木は、神の恵みの源泉、神の庇護と抱擁、静寂と安和などを象徴します。
 エルサレムの街、大都会は、人の喧噪と欲望、快楽と苦痛、罪の大きさと救いを求める人の姿などを象徴しているでしょう。

 左に
イイススの弟子、使徒
 右に
むかえいれる群衆

 イイススは、エルサレムへ、前に向かっていながら、振り返り、弟子・使徒を先導します。
 イコンのなかの人々の表情は、厳粛であり、これから訪れる苦難の時、逮捕、裁判(審判)、受難、十字架、死を予告しているかのようです。
 歓びの行進が、まるで埋葬式を暗示しており、それはイイススの救いの道行き、復活への苦難の道のりを預言しているかのようです。

 前に進むというよりも、神の時は容赦なく、刻まれており、人は前に進まざるをえません。
 それは救いへの道行きなのか、それとも別の道なのか。
 神の時という若き白いろばが先導し、イイススが振りかえりながら、いっしょに歩むようすすめているのは、わたしたち一人ひとりです。
 振りかえったイイススが待っているのは、わたしたち自身なのです。

 聖枝祭でわたしたちは祈ります。

  われ辛苦艱難(しんくかんなん)に遭えり、
  そのとき われ 主の名を呼べり。

 さいごにわたしたちが獲得するのは、復活の歓びです。
 ですから聖枝祭を「花の主日」ともいうのです。
 このイコンが求める希望、勇気が、わたしたちの信仰を支えます。

(長司祭パウェル及川信)