青春とは人生のある時期ではなく、
心の持ち方を言う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意志、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。
六〇歳であろうと一六歳であろうと人の胸には、
驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、
人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の
霊感を受ける限り君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、
悲歎の氷にとざされるとき、
二〇歳であろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、
八〇歳であろうと人は青春にして已む。
(「青春」『青春とは心の若さである』)
サムエル・ウルマンの詩を、忘れるときがありません。
18歳で東京の正教神学院へ入学したとき、わずか3か月余ですが共に寮で生活し、7月に卒業し旅だってゆく先輩神学生に教えてもらった詩だからです。
わたしより上の卒業生はもはやおらず、唯一の同級生もいなくなってしまい、年月の速さとじぶんの老化に直面しています。
ただその老化は、肉体であって心や精神ではないことを願っています。
不朽とは何かを問われた人が、三不朽と答えたと中国の故事にあります。
「まず言を立てること、次に功を立てること、さらに徳を立てることこそ至上である」、すなわち「立言、立功、立徳」が三不朽である、と。
正教会、キリスト教の信仰は、永遠、永生という言葉をつかいます。
故事のいう不朽が、永遠、永生につながるものだとすれば、その一翼、いいえ羽毛一枚ほどでも、未来へむけて貢献したいと希うのは不遜でしょうか。
その羽毛一枚が、人材、人だとしたらどうでしょうか。
洗礼をうけるひとを一人でも増やす。
ゆたかな生き方をする人を一人でも増やす。
神と人に正しくつながる人を一人でも増やす。
神の国、天国も門をたたく人を一人でも増やす。
おなじ道を歩む仲間、同僚がふえることが、たとえようもない喜びにつながります。
毎日のまねばならない薬のある人がいます。わたしもそのひとりです。
生きのびるためにのまねばならない薬があるとしたら、心と精神をほっとさせる「長生きの薬」ものみましょう。
サムエル・ウルマンは「たしかな処方箋」というユーモラスな詩をわたしたちに贈っています。
朝、めざめたとき
その日を始めるとき
この処方箋を幸せ求めて試してみたまえ
引きあうことを保証するよ
まず くちびると両目のほほえみから始めよう
それから ほがらかにおはようと言おう
君をしあわせにかしこくするよ
やさしい一言は君のあいさつを薫らせ
抱擁はその日を甘くする
小さな親切は待ちひそんでいる暗がりを明るくし
やわらかな言葉は澄んだバラ色で
君の顔をかがやかせる
笑い声は君が落ちこむ影を小さくするよ
さあ この処方箋のとおりにしてみよう
それは簡単でやさしい
まいた種を君は豊かに刈りとって
美わしい日がたしかだよ
さあさあ すこし笑ってみよう
握手し ほほえもう
ほかのことはたいてい いらない
君がこの処方箋を試してみるなら
(長司祭パウェル及川信)
+サムエル・ウルマン 訳 作山 宗久
『青春とは心の若さである』角川文庫、1996年
このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
ご寛宥ください。