■2024年10月 読書と信仰 19 なまえといのち

スイスでは特別な事情があれば妊娠中絶が認めら
れています。(中略)ある一人の女性がプラット
ナー博士のもとを訪れたのもそのためでした。
プラットナー博士が彼女に協同判定を与えること
に気が進まないでいるのを感じたにちがいありま
せん。彼女は自分の言い分を申し立てました。
「先生、結局のところそんなに重要なことではな
いじゃないですか。ただの小さな細胞のかたまり
じゃありませんか!」

彼は、その若い女性にちょっとした質問をしてみ
ました。「もしその赤ちゃんを産むとしたら、何と
いう名前をつけますか」。長い沈黙がありました。
突然その女性は顔をあげて言いました。「ありがとう
ございました。先生。この子を産むことにします」。
(「なぜ この名を」『なまえといのち』)

 科学、医学、数字、客観的なものの見方とは何でしょうか?
 生物学的な細胞分裂の結果が赤ちゃん、こどもだ。
 一方で目の前の紙を裂くような言い方で断じる人たちがいます。
 遺伝子学や科学的方式、結果をすごいことだと思う前に、それが怖いこと、いのちの軽視ではないかと、おそれおののく自分がいます。
 生涯をかけて、互いをいつくしみ、ひとが愛し合って生きるとき、ふたりとは別の何かか生まれている、そう感じることがありませんか。
 いのち、赤ちゃん、こどもは、透明なクリスタルガラスのように光り輝く、もろくてはかない、でもきらきらしている、かけがえのない人格です。
 希望と不安の入りまじった、神秘的で、崇高ないのちの脈動がそこにあります。
 それをあまりにも軽々しく、石ころでも放り割ってしまうような蛮行に、声を失い、胸が痛みます。
 いまこそ愛のほんとうの絆、ちからをよみがえらせる時です。
 あらゆる差別、怒り、憎悪、嫉妬などのカベを乗りこえ、愛の架橋をかけるときです。
 

あきらかに、ここには科学との断絶があります。
この母親は、その内面において、客観的な科学知
識の限界を一気にとびこえ、飛躍し、前進したの
です。彼女の赤ちゃんは、もう物ではありません。
いつの日にか自分の名前に答えるようになるであ
ろう一個の人格をもった生命なのです。対象に名
前を与えることによって、その名前が彼女の愛を
よびさましたのです。
(「なぜ この名を」『なまえといのち』)

(長司祭パウェル及川信)

+ポール・トゥルニエ  小西真人、今枝美奈子 共訳『なまえといのち 人 格の誕生』 日本YMCA同盟出版部 1977年第1刷

このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
ご寛宥ください。