■2024年9月 読書と信仰 18 あまりにも正直な告白

神よ、私はあなたに白状します。私は長いあいだ、
そしていまでも、残念ながら、隣人愛に反撥を感
じてきました。私は人間愛にひそむまことに不思
議な親和力にひかれて、私に定められた人たちの
ために身も心も尽すことに、人間を超える喜びを
熱烈に感じてきましたが――また一方あなたが私
に愛せよといわれる人たちの凡庸さを前にすると、
先天的に敵意と私の心が閉ざされてゆくのを感じ
るのです。

しかし神よ、《他人》を(中略) 単純にいって
《他人》を、すぐまぢかにいる《他人》を――
一見、彼の宇宙によって私に閉ざされてはいるが
私から独立して生き、私に対して世界の単一性と
沈黙を破るように思われる人――を、私の本能的
な反応がはねつけないとあなたにいったなら、私
は誠実だといえるでしょうか。またそういう人と
霊的に交わると思っただけでなにがしの嫌悪を感
じないといったら、私は誠実であるといえるでし
ょうか。
(「愛徳による神のくにの強化」『神のくに』)

九州、鹿児島正教会を管轄していた、30年ほど前のこと。
紫原(むらさきばる)カトリック教会の小平卓保師と知り合いました。
2005年8月、74歳で永眠された小平師、すこし舌足らずな口調の話し方をなさる語学堪能、博覧強記の神父様で、笑顔や雰囲気が恩師、プロクル牛丸康夫師によく似ていました。
鹿児島市民クリスマスを通じて仲良くなり、おたがいそんなにお酒が強くないのに、話すと楽しくて、いく度か市内のイタリア料理店などで赤ワイン片手に時間を忘れて歓談した思い出があります。
「及川神父さんと話すと楽しい」
率直なもの言いで、話題がぽんと飛ぶのが小平師の特徴でしたが、突然、「ロダンの恋人を知っているかね」

わたしがふと思いだし、いいました。
「カミーユ・クローデル……」
目をまあるく見ひらいた小平師は「なんで知ってるの」といいながら、うれしそうに彫刻のことではなく、詩の話をされました。
わたしの知らない詩でした。
また話が飛んでこんどは、フランス留学時代の話になりました。
小平師が、何人かの高名なカトリック司祭や神学者の話をしました。
その中の一人がテイヤール・ド・シャルダン師でした。
わたしはどんな人であったのか、とても知りたくて訊きました。
小平師は、ルビー色の波のゆらぐグラスをかたむけながら、「寡黙な人だった」
……
わたしはその横顔、印象をきいてうなずきました。
フランス語のまったくできないわたしですが、なんとなく、わかった気がしました。
あまりにも心情にそった、正直な告白をするわけが。
そして神秘的なひかりに満ちた、夢のような語り口のわけが。
リアリストであり、神学者であり、探求者、詩人でした。

わたしは、キリストを後光のように取り囲むその
ふるえる雰囲気が、もはや彼の周囲の狭い厚みの
中に局限されず、無限にむかって光りを放射して
いることに気づいた。ときあって、物質の最表層
にまで途絶えることなく奔出するさまをあらわに
し、――生命全体を通して走る一種の血脈網ない
しは神経網を浮き出させながら、尾を曳く燐光の
ようなものが通(よぎ)った。
宇宙全体がふるえていた! しかし対象の一つ一
つをみつめようとすると、それはあいかわらず、
その個体性を保ちつづけて、まえとおなじように
くっきりとした輪郭を残していることに気づいた
のである。
この動きはすべて、キリストから、なかんずく彼
の聖心から発しているように思われた。
(「聖画」『物質のなかなるキリスト』)

(長司祭パウェル及川信)

+テイヤール・ド・シャルダン宇佐見英治、山崎庸一郎共訳『神のくに・宇宙讃歌』1984年新装第1刷みすず書房

このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。ご寛宥ください。