明け行くバイエルンの朝の絶望的な灰色の真只中に、
地平線に芝居の書割りのように立っている遠い農家
の窓のあかりが一つぽっとついたのであった……
〝et lux in tenebris luset〟(光は闇を照らしき)
…… かくして私は何時間も凍った地面を掘り続け
た。そしてまた看視兵がさしかかって私を罵って行
った。そして私は愛する者との会話を再びはじめた。
益々強く私は彼女がそこにいるのを感じるのであっ
た。まるで彼女を抱けるかのように思い、彼女を捉
えるためには手を伸ばしさえすればよいかのようで
ある。まったく強くその感情は私を襲うのであった。
彼女はそこにいる! そこに! ……
(フランクル「非情の世界に抗して」
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』)
北海道釧路市で育った少年時代、東中学校で演劇部と放送局(THK)、湖陵高校で演劇部に入っていました。
高校のとき、いくつもの得がたい体験をしました。「海鳴りがきこえない」という創作劇で地区予選を勝ち抜き、北海道大会(全道大会、本選)まで進み、室蘭へ行ったことも忘れがたい思い出なのですが、そのひとつ、市内いくつかの高校演劇部の生徒が参集する合同公演で、大橋喜一「0(ゼロ)の記録」という上演時間2時間半の大作の上演に参加できたこと。
もうひとつ、秋の高文連の大会で、ベルトルト・ブレヒト「第三帝国の恐怖と貧困」の「スパイ」の上演に参加できたことです。
この作品集の戯曲「スパイ」という短編劇には、いわゆるブラックコメディの悲喜劇の要素が盛りこまれており、わたしは不思議な行動をとる少年役を演じました。
そのおりに読んだのが、V・E・フランクル「夜と霧」でした。
生、いのちを支配し、管理するおぞましい環境、束縛と限界、恐怖のなか、ひとは、人間性をかろうじてたもち、生きつづけようとしている。
この壮絶、非情は、少年であったわたしを打ちのめしました。
そして愛する妻の像を思い描きながら、生きのびようとする姿に胸を熱くし、涙しました。
生きようとし、生き残ったものの語る「ことば」がここにありました。
信仰の本質とはなにか、正直いまだに手さぐりです。
しかし信じて生きることの大切さは、すこしずつわかってきました。
この本を読んだ感動と動揺が、いまだ鼓動・波動となってからだをめぐっていると思うことがあります。
私は今や、詩と思想そして――信仰とが表現すべき
究極の極みであるものの意味を把握したのであった。
愛による、そして愛の中の被造物の救い――これで
ある。たとえもはやこの地上に何も残っていなくて
も、人間は――瞬間でもあれ――愛する人間の像に
心深く身を捧げることによって浄福になり得るのだ
ということが私に判ったのである。
この瞬間、私は
「我を汝の心の上に印の如く置け――
そは愛は死の如く強ければなり」(雅歌八章の六)
という真理を知ったのであった。
(長司祭 パウェル 及川 信)
※V・E・フランクル 霜山徳爾 訳
『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』みすず書房、1977年
このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
ご寛宥ください。