私達は限りあるこの世の生命を大切にし、罪を制し、
罪深い快楽にふける心を絶ち、不幸・災難の場合には
慰めとし、霊と体とを潔く守り、神のため、永遠のた
めに毎日を祈りの中で生活すべきであります。これが
私達を救いに導くものであると信じます。
どうか価値ある人生を送るよう心がけましょう。
(牛丸康夫「われ望む 死者の復活」
『曙光 長司祭牛丸康夫遺稿集』)
輔祭となっての初任地、名古屋正教会で3年近くにわたり指導司祭となり、わたしを教導してくださったのが、プロクル牛丸康夫師です。
月一度、来名され、土曜の晩祷後、夕食を共にし、それから教会近くの銭湯へ。夜のふけるまで語り合ったものでした。
牛丸師は、牛乳・水・チーズ・トマトという、これまた奇妙な取り合わせの夜の糧でした。
軽妙な切り口から落ちまでの洒脱(しゃだつ)な流れがおもしろく、いつも師が来るのが楽しみでした。
あるとき、
「息子とは、こういう会話ができない」
ポツリ、こぼされていました。
1986年10月2日永眠、50歳。
わずか5日前、名古屋でフェオドシイ永島府主教座下のご巡回を終えたばかり、それこそ、あっというまに逝ってしまわれました。
冒頭に引いた一文は、名古屋正教会、会報「天の笛」巻頭の説教、絶筆になります。
牛丸師にとっては、正教史がキリスト教史、でした。
神の子、救世主イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の十字架、墓、第三日の復活にはじまる聖使徒、さらに聖師父(教父)の時代、それから世界への福音宣教の歴史は、正教史、すなわちキリスト教史でした。
それは壮大なドラマ、神と信仰者との交流史、神の救贖史です。
キリストの時代から現代まで、聖地から日本まで、を通史として克明に書き上げ、福音宣教の基(もとい)とする、これをご自分の使命と自覚しておられました。
間違いだらけの申し訳ない遺稿集『曙光』、これを世に出し、『明治文化とニコライ』『日本正教史』などへと連なる叙述を一望にするとき、たんなる日本正教会史、ロシア正教会史ではなく、神の救いの福音「正教史=キリスト教史」である師の遠望の的確さ、遺命をかみしめることができます。
『日本正教史』教文館、を監修しながら、この思いに、あらためて打たれました。力量不足を承知のうえ、不肖の弟子としてわたしなりに全力を尽くし、恩師の遺志に応えたつもりです。
師のお話をもっともっと、耳をかたむけてきき、心腹に刻印すれば良かった、時間が足りなかった、いろいろな思いがめぐります。
忘れられないことばがあります。
「一生のあいだに、なにか一つ、だれにも負けないと自覚のできる秀でたことを身につけなさい。死にもの狂いでがんばらねば、得られないものがある」
「どうか価値ある人生を送るよう心がけましょう」
牛丸師のことばは、わたしのうちに、いまも共鳴し、未来へとみちびく、聖なる鐘の音、希望と勇気になっています。
(長司祭 パウェル 及川 信)
※『曙光 長司祭牛丸康夫遺稿集』自費出版、1995年
この遺稿集は、大阪正教会や京都正教会で求めることができます。
このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。
ご寛宥ください。