「光榮の中に我等を離れて天に升り、?・父の右に坐し給いしハリストス我等の眞の?」は仰いました。「わたしの右と左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、わたしの父によって定められた人々に許される(マトフェイ20:23)」。ところが、「信仰の創始者また完成者である…イイススは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、(第三日に聖書に應いて復活し、天に升り、)神の玉座の右にお座りになったのです(エウレイ12:2)」。
とりわけ、主は自らの昇天に際して「母及び門徒等、爾と共に…來りし?に??せん爲に手を擧げ、而して彼等に??する時、光の雲は俄に爾を彼等の目より取れり、其時爾(天の雲に乘り、地に在る者に平安を遺して)光榮の中に升り、父の右に坐して(我等を己と偕に父の右に坐せしめ)、實に彼と偕に伏拜せらるる?と顯れ」ました。すなわち、神子イイスス・ハリストスが私たちの持つ人間性を伴って神父の右側に座られたこと、にこそ「主の昇天」の意義があります。
また、日本正教会で多く用いられる十字架は「八端十字架」です。追加された短い横棒は主の罪状書きですが、斜めの棒には次のような意味が込められています。主が甘んじて十字架刑に処せられた時、「イイススと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられ(マトフェイ27:38)」ました。祈祷書は聖書中のこの出来事を簡潔にまとめます。「爾の十字架は二人の盗賊の間に在りて義の權衡と爲れり、一人は謗の重きを以て地獄に降され、一人は罪を釋かれ輕くせられて、?學の智識に昇せられて、ハリストス?よ、光榮は爾に歸すと讃揚するを悟れり」。つまり、主の十字架は受難や死に止まらず、復活への希望をも私たちに示唆する象徴なのです。
ただし、これらで言われる左右とは、十字架上の主からご覧になられた方向。分かり易い例を挙げれば、京都市がまさに同じです。政令指定都市である現在の京都市には、全部で11個の行政区が存在します。地元の方にとっては周知の事実でしょうが、右京区、左京区の位置関係は必ずしも地図上の左右と一致しません。なぜなら、それは天皇陛下が在所(平安京・大内裏)からご覧になられた方角だからです。現在の京都御所・紫宸殿においても、正面右手には「左近の桜」、左手には「右近の橘」が植えられています。(https://plus.kyoto.travel/entry/heiankyo)
「イイススよ、爾光榮を以て天使の軍と偕に來りて、審判の寶座に坐せん時、我を離れしむる毋れ、爾は右の路を知る、左の路は曲れる路なり。善き牧?よ、我罪にて荒れたる?を山羊と偕に亡す毋れ、乃(我が多罪を問わずして)我を右の羊に合せて救い給え、爾は人を愛する主なればなり」。こうして私たちは、「主よ、我等に左の者の答を逃れしめて、爾の右に立つを得しめ給え」と祈りを捧げるわけですが、道標なくしてこれが非常に困難な旅路であることを疑う余地はありません。
本日、昇天祭期に祝われている「諸聖神父の主日」は、第一全地公会(イイススが神であることを否定する人々を反駁すべく信経の基礎を定めたニケヤにおける325年の会議)に集った主教品たちを記憶します。ハリストスおよび使徒の後継者である彼らは、言わば私たちの先達・ツアーガイド。ゆえに、「使徒等よ、ハリストスと偕に人人を審判せん爲に坐する時、我多くの罪に因りて定罪せらるべき者が右に立つに與る者と爲らんことを祈り給え」と執り成しを依頼しましょう。そうすれば、神父は間もなく「父及び子と共に拜まれ讚めらる」神聖神を遣わし、「我等は肉體に受くる傷に易えては復活の時に光潔なる衣を受け、耻辱に易えては榮冠、獄の桎梏に易えては樂園、罪犯者と偕にする定罪に易えては天使等と偕に居ることを受ける」恩寵が与えられるはずです。
(伝教者 ソロモン 川島 大)