■2022年5月 人間の体シリーズ 膝(ひざ)5

イイススの足にすがる女性

過越祭の六日前、イイススはベタニアへ行かれた。
そこには、イイススが死者の中からよみがえらせた
ラザリ(ラザロ)がいた。イイススのため夕食が用
意された。マルファ(マルタ)は給仕をしていた。
……そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルド
の香油一リトラを持ってきて、イイススの足に塗り、
自分の髪の毛でその足をぬぐった。家は香油の香り
でいっぱいになった。
(新約聖書「イオアン(ヨハネ)福音書」12章参照)

ハリストス復活! 実に復活!
 福音書のほかの場面では、イイススの頭に香油をかけ祝福する姿、接吻をしてやまない姿、あるいは涙あふれ泣きながらイイススの足にすがりつく女性の光景がみられます。
おそらく福音伝道する生活の中で、いく度となくイイススは、こういう女性に巡りあったのでしょう。
ひざに、足にすがりついて救いといやしを求める姿、愛慕の情にゆり動かされたイイススの慈愛のまなざしが脳裏にうかびます。
その一方で「もったいない、香油を高値で売って貧しい人を助ける足しにすれば良いのに」そう語ったのは、イスカリオテのユダひとりではないでしょう。
残酷なひとがいます。
じぶんのいる場所、その立場、視座をいっさい変えずに、冷酷な評論家のようなひとがいます。
そのわかっているフリを「信仰」と呼ぶひともいます。
イイススは、最後の晩餐のとき、受難の直前、ひざまずいて弟子の足を洗いました。弟子たちは、ずいぶんあとになってから、そのときのイイススの思いとこころにふれることになります。
わたしたちは、残念ながら鈍感です。
イイススから遠いところに信仰生活を送っています。
わたしたちは、イイススの足にすがりつき、助けをこいましょう。
大斎(おおものいみ)、受難週と、ひざまずいての祈りがたくさん、くり返されるのは、からだとこころのひざをかがめ、体験しなければ見えてこない、救いといやしがあるからなのです。

(長司祭 パウェル 及川 信)