■2021年1月 紅葉

 記念すべき初回のテーマは「紅葉」です。秋口に京都教会へ赴任することが決まった段階から、私はこちらでの紅葉狩りを楽しみにしておりました。そこで、シーズンが到来するや、地の利を活かして密の回避できそうな時間帯を見計らい、いくつか名所を訪問してみることに。ウェブサイトにも“今が見頃”と表記されていたため、これはガイドブックで目にするような光景を期待せずにはいられません。

 ところが、その場に立ってみると少しばかり物足りなさを覚えます。確かに、綺麗なのは間違いないのですが、あの燃えたぎるような深紅にはほど遠い色合い…。きっと、もう少し待てば望むような赤色になるはず!そう自分自身に言い聞かせてその日は帰宅。けれども、5日後に意気揚々と同じ場所へ向かったものの、すでに大半があえなく散っていました。

 一体いつが最盛期であったのか、毎日観察していない私には分かりません。とはいえ、地元に住んでいながら貴重な一瞬を見逃した悔しさが、じわじわとこみ上げてきます。こうして、沈んだ気分で撮り溜めた写真を見返していた時、ふとある機能の存在を思い出しました。スマートフォンに搭載の編集機能です。試しに補整してみたところ予感は的中。まるで広告のように、人目を引きそうな色彩感豊かな画像が完成したのです。

 ともあれ、私たちの外見もこれに似ている部分があるのではないでしょうか。肉眼で見える普段の姿は素朴なものかも知れません。しかしながら、輝き、脚光、陰影、明るさ、彩度、暖かみといった発色の要素が少し変わるだけで、途端に周囲からの印象は見違えるでしょう。

 もっとも、本来的に「汚れたものから清いものを引き出すこと(イオフ14:4)」は出来ません。とはいえ、ある聖師父は次のように語ります。「清醒は良心を浄めて光り輝くに至らしむるなり。されば良心はかくの如くきよめられてすべての暗を内より逐出すこと恰も其の上に掛る所の覆を取外したるにより俄に照り輝く所の光の如くなるべし(シリヤのフィロフェイ)」。

 神様に似せて創造された私たちはみな、生まれながらあらゆる可能性を秘めています。だからこそ、衣服や持ち物で着飾るよりも、内面からその人自身の良さを引き出す努力が大切です。そうすれば、「隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない(ルカ8:17)」という主の御言葉は現実のものとなるでしょう。

 散った紅葉は次第に光を失います。一方で、ハリストスという樹の枝にしっかりと繋がっている限り、幹からの養分によって私たちは永遠に輝き続けられることを忘れてはなりません。ゆえに、主は仰います。「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている(イオアン15:4)」と。

(伝教者 ソロモン 川島 大)