■2018年12月 信仰の水源〈I〉

天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、

水晶のように輝く命の水をわたしに見せた。

川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸

には命の木があって、年に十二回実を結び、

毎月実を実らせる

(黙示録22章参照)

 

九州人吉に在任中、ある年の秋とつぜん思い立って、妻を誘い、阿蘇に行きました。かねてより水源巡りをしたいと願っていましたが、日帰りで、白川、竹崎、明神池、池山の各水源をめぐり歩いてきました。

紅葉の季節までしばらく間があり、黄緑色の淡い木の葉の織りなす木漏れ陽が、清冽な澄みきった水面をきらきら染めていました。

どの水源も整備され、大きなポリタンクを手にした人が次々に訪れます。
「生命の水」

口に含み水の甘さを味わいつつ実感しました。

そして生命の源は、信仰心、信仰生活の水源にほかならないのではないかと追想しました。

今日は旧約聖書の有名な箇所をひもとき、いっしょに「信仰の水源」を巡礼しましょう。

イスラエル民 紅海を渡る

イアコフ・イスラエルの子、義人イオシフ(ヨセフ)の庇護を受け、幾世代かへたとき、神の民はエジプトを離れ、故郷である父祖の地、アウラアム・イサク・イアコフの地へ帰る旅路につきました。

これを妨げたのがエジプト王、ファラオの軍勢です。神がモイセイ(モーセ)に命じてその手を差し伸べさせると、追撃してきたエジプト軍は、海の激浪に呑み尽くされ全滅しました。

「水の壁」旅立ちの奇蹟

聖書はこう記録しています。
「モイセイが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった」(出エジプト記14章参照)

信仰者が新たな決意を固め、旅立とうとする時、道が大きく開かれ、なんの障害物もなくスーと行ける、わたしたちはそう考えてしまいます。

でもそうでしょうか。
「狭き門より入れ」と主は言われます。

逆巻きそそり立ち、頭上に崩れ落ちそうな海門をくぐる恐怖心。信じられない光景、畏怖すべき水底(みなそこ)の道を歩かねば、神の指し示す救いの地へは行けないこともありえます。

正教会は、たびたびこの奇蹟を、生神女福音の証とします。童貞女マリヤの神秘の懐妊、神の子の出産を「紅海の奇蹟」に重ね合わせます。また洗礼による新たな生命の受容もこの奇蹟の表すところだと信じます。

信仰者が目を前に向け、両手を差し伸べ、神に信仰を告白して生きる時、「水の壁」が顕われ、行くべき道が切り拓かれていきます。

水の壁は旅立ちの奇蹟の象徴です。

しかしこの水の壁の試練を体験した多くの民は、故国にはたどり着けませんでした。

次の世代の旅立ち(継承)

シナイ半島、荒野における信仰生活は世代交代を促し、モイセイの従者ヌンの子ヨシュア(イイスス・ナウィン)が民を率いて出発しました。

彼らはモイセイの生きざまを見、ヨシュアの薫陶を受けた「信の精鋭」とも言うべき人々でした。

彼らは身を清めて祈り、契約の箱(聖櫃・アーク)を先頭に川岸に到りました。

そのとき多くの民は、生まれて初めて(過去に年長の家族親族に聞いたことのあった紅海の奇蹟に等しい)、
「ヨルダン川の奇蹟」

を目撃、体験するのです。
「春の刈り入れの時期で、ヨルダン川の水は堤を越えんばかりに満ちていたが、箱を担ぐ祭司たちの足が水際に浸ると、川上から流れてくる水は、はるか遠くのツァレタンの隣町アダムまで壁のように立った」(ヨシュア記3章参照)

(長司祭 パウェル 及川 信)