陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に 魚がのせてあり、パンもあった。イイススが 「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。 シモン・ペトルが舟に乗りこんで網を陸に引き上げると 153匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多 くとれたのに、網は破れていなかった。イイススは、 「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。 弟子たちはだれも「あなたはどなたですか」と問いただ そうとはしなかった。主であることを知っていたからで ある。イイススは来て、パンをとって弟子たちに与えら れた。魚も同じようにされた。イイススが死者の中から 復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう3度目 である(イオアン(ヨハネ)福音書21章参照)
ガリラヤ湖の西岸、ティベリア(ティベリアス)。
救世主イイススは、ガリラヤ湖で漁をしていた若者に声をかけて、「あなたがたを人間をとる漁師にしてあげよう」と語り、弟子にしました。イイススの最初の弟子は漁師で、ティベリアがかれらの生まれ故郷でした。かれらはガリラヤ湖でラブヌンといういわしのような魚や、アムヌンという魚を漁っていました。(上記の画像:6世紀頃の魚とパンのモザイク)
このアムヌンという魚は、すでに紹介したように日本では30年ほど前、養殖でもてはやされた熱帯の淡水魚で、日本名は「いずみだい」、ティラピアといいます。アムヌンという魚、英語では「聖ペトルの魚(セント・ピーターズフィッシュ)」。最初に読んだ聖書では、大きな魚と言っていますが、ティラピアモザンビカという種類は、大きさが40〜50cmにも成長します。
このティラピア、昔から不思議な生態が知られています。結婚適齢期を迎えたオスのティラピアは、河や池の底に家というか、産卵用の床(とこ)を造ります。それからオスはメスが来ると「結婚しようよ」一生懸命プロポーズをします。結婚相手を選ぶ選択権は、メスにあります。
メスがオスと新居を気に入ると、産卵、卵からの孵化(ふか)、そのあとたいていのティラピアは、オスとメスが交互に稚魚を口にふくんで育てます。一度の産卵数、孵化する稚魚は100〜せいぜい300匹です。
その家庭生活? は、実に人間的です。
わたしたち信仰者は、神の創られた海を自在に泳ぐ魚のような存在です。
神の海は、命の海、愛と信頼の水を湛えた豊饒の海、平和の海です。
神の海は温かい海、わたしたちは神に暖められた魚のような存在です。
信・望・愛を信仰生活の拠り所、基礎にする、笑顔あふれる、希望に生きる魚です。
イイススが、最初の弟子の獲得、そして死よりの復活の3回目の顕現(あらわれ)に、魚であるティラピアを選んだのは、人間、信仰者は、愛を基盤とした家庭生活を全うすべきだという、漁師たちの叡智をも反映しています。
ちなみにティラピアのヘブライ語名アムヌンは「魚の母」の意味。
育児をする愛情深い魚と言う意味だそうです。
これら魚にも劣るような人間、信仰者であってはならないと思います。
魚の奇蹟は「完全な人間」、愛に生きる人間が真のテーマなのです。
(長司祭 パウェル 及川 信)