■2018年5月 塩の話 ⅠⅠ 火による錬磨で旨味(うまみ)をます塩

先月、イイススは神の前に立つ者、信仰者は「地の塩」であり、神に恵みを賜わられるサラリーマンであるというお話をしました。引き続き塩についてお話ししましょう。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」をよく観察すると、塩壷が描かれています。これはイイススの時代のテーブル上の光景と言うよりも、ダ・ヴィンチの時代、中世ヨーロッパ、イタリアの食卓風景かも知れません。

いつの時代にあっても塩は大事です。

聖書は、じつに面白い表現が満ちています。聖使徒 福音者マルコは、イイススの言葉を記録しています。
「人は皆、火で塩味を付けられる。塩は良いものである。だが塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか」(9章)

「火で塩味を付ける」

天然岩塩の中には、燃焼に使用する触媒としての塩板、塩の板があるそうで、イイススの博識には驚かされます。火によって旨味のます塩。

それでは「塩気が無くなる」とはどういうことでしょうか。

これも天然岩塩をあらわすたとえ話。

どんなに良質な岩塩でも、風雨にさらされ野ざらしにされたら、塩気も塩の風味も抜けてしまい、だめになってしまうそうです。 
「天才児も十代過ぎたら、ただの人」

という厳しい言葉がありますが、これをわたしたち自身にあてはめてみますと、どんなに才能があっても、その原石を磨く努力をつづけなければ、すばらしい宝石にはなりません。才能の垂れ流し、野ざらし・ほったらかしはいけないのです。火の錬磨で成長する信仰者もいるということではないでしょうか。

むしろ不器用にこつこつ生きている人の方が息の長い「成長」ができるということにつながるのではないでしょうか。

みなさんも知っている「タレント」は、日本では芸人をさすタレントさんという意味につかわれていますが、聖書でのタラントは、一人一人の個性、独自性、才能、能力、人格、尊厳をさします。

みんなが、すべての人がタレントなのです。ではたぐいまれな才能のない者はどうしましょうか。天才といわれる人は数万人に一人でしょうから。

イイススは探しだそう、発見しようと言います。

塩で味付けをする。塩を振りかけるのです。
「自分自身の内に塩を持ちなさい。そして互いに平和に過ごしなさい」

このイイススの言葉は、自分の中にないものは、外からもってこよう、良い塩を探し出して、有効活用しようと語っているように解釈されます。

それは努力精進ということかもしれませんし、もう一つ、たとえば良い友人を持つこと、自分にはない性格・性質、職業上の特技を持つ人に嫉妬するのではなく、その人と友達になって、共にそれを活かす、創意工夫が必要だと言っているのです。創意工夫というと、全部自分ひとりでやることだと錯覚している人が多いのですが、じつは全部自分でできる人というのは存在していません。 お互いの才能・人間を認め、励まし合い、希望をもって生きる。
「互いに平和に過ごす」というイイススの言葉は何と意味が深いのでしょう。 平和には愛と信頼が必要です。

自分たちの人生を味付けする「塩」は、わたし、あなた、みんなが持っていて、振りかけ合うもの、分かち合う恵みでもあるのです。

(長司祭 パウェル 及川 信)

■2018年4月 塩の話 Ⅰ

あなたがたは地の塩である(マトフェイ/マタイ福音5:13)

ハリストス 復活!

イイススは神の前に立つ者、信仰者を「地の塩」と呼びます。

今日は塩について注目しましょう。

ちょっと脱線しますが、漫画の「美味しんぼ」で、塩のみで、おすましを作る挿話(エピソード)がありました。お湯とほんのひとつまみの塩だけで、おすましのできることに驚きました。もちろんこの場合の塩は当然のことながら、天然成分・ミネラル等が豊富な、昔ながらの手作りの海の塩なのですが。
(写真は採取された岩塩)

実は聖パンに少しだけ塩を加えて作る人がいます。

この少ししょっぱい聖パンの起源は、イイススの言葉をさらに遡ること数千年、民数記やレビ記というモーセ五書の時代にまで至ります。

レビ記は主なる神の言葉を記録しています。
「おまえたちの供え物・贈り物は、みな塩で味付けされる。おまえたちは主の契約の塩を、おまえたちの犠牲から欠かしてはならない」(2章)

主の契約の塩、この言葉を初めて聴いた人もいるでしょう。

民数記では神様の前での「永遠の塩の契約」(18章)という言葉もあります。塩を契約の徴(しるし)とする慣習は、昔からあったのです。

塩を英語では「Salt」と言います。これはラテン語の塩「Sal」に由来する言葉だそうです。ここまで言うと、クイズ番組の好きな人は、ハッと思い当たるでしょう。会社員が会社からもらうお給料、サラリー「Salary」は、塩に関連しているのです。すなわち「塩の契約」です。

昔、世界各地では、塩が通貨の単位として使用されたり、塩が契約の証しとして活用されたりしました。サラリーマンは、「契約をする人」つまり「塩の契約をする人」であり、その起源は、聖書の「神と人との契約」を表しています。塩は世界中で普遍的な価値を持つものです。

場合によっては、金銀宝石よりも高価で尊い品、生命を維持し、生命をつなぐものでもありました。

だから戦国武将 武田信玄は、宿敵 上杉謙信が「敵に塩を送った」善意を尊重しました。

長野県中部には塩尻という町があります。塩尻とは塩を積み上げた盛塩の小山を意味し、越後から信州まで塩の道があったことを教えてくれます。

話を戻します。

それゆえ永遠の契約の証明として、塩は重要なのです。

信仰者は、みな神様と永遠の契約「塩の契約」を結んでいます。

それを忘れてはなりません。

わが日用の糧には、塩の恵みも含まれています。

わたしたち一人一人は、そういう意味では、みなサラリーマン、神様から最高の、至高・至善のすばらしい恵み・恩寵・賜物を贈られているサラリーマン「神との約束・契約を守って信仰生活を送る信仰者」なのです。
実に 復活!

(長司祭 パウェル 及川 信)