■2023年7月 読書と信仰 4 「契約の櫃」(アーク)と岩窟聖堂 エチオピアのキリスト教 思索の旅

なぜエチオピアの教会では、ほかのキリスト教会では
例を見ない奉納歌舞を続けてきたのか。そもそも、
この歌舞はいつから始まったのか。

もしエチオピアに語り伝えられてきたアーク伝説を信
じれば、推測は不可能ではない。「神の箱」(アーク)
を前にして楽を奏で、踊ったという紀元前一千年前の
ユダヤ人の慣習がアークとともにエチオピアにもたら
され、そのまま生き続けてきたと考えてもおかしくは
ない。
(川又一英「夜を徹した祈り―古都ラリベラの降誕祭」
『エチオピアのキリスト教 思索の旅』)

 川又先生と知り合ったのは、わたしの神学生時代、ずいぶん古い話です。
 このころ『われら生涯の決意 大主教ニコライと山下りん』(新潮社、1981年)の取材をされており、プロクル牛丸康夫師(正教神学院講師、大阪正教会)がご紹介くださいました。
 『聖山アトス ビザンチンの誘惑』(新潮選書 1989年)を出版されてしばらくして聖名(洗礼名)シメオンで洗礼を受けられたというお話が伝わってきました。
 たびたび神田、お茶の水界隈で、静かな居酒屋の腰を落ちつけ、川又先生の取材旅行の話などをうかがいました。
 言葉をえらび、とつとつと語られ、ときおりほほ笑まれる横顔を思いだします。
 2004年10月の訃報に、痛惜の念の消えることがありません。
 『エチオピアのキリスト教 思索の旅』は遺作といってよいでしょう。
 聖地、東欧諸国、ギリシャ、ロシア、聖山アトスなどを巡り、歴史と文化、そこに暮らす人びとを精緻な筆で描写した、広角・複眼の視座を持った作家の、さいごの仕事場の一つが、シバの女王の故郷ともいわれるエチオピアでした。
 行方不明とされる失われた「聖櫃(アーク)」は、エチオピアに現存しているのでしょうか。聖櫃を伴うティムカットの祝祭、神現(洗礼)祭で、成聖された濁水に殺到し、無心に汲み、飲む人を眼にし、こう語ります。

「物事を不信と冷笑で眺めることに慣れてしまった現代人にとって、このエチオピア人のひたむきさは衝撃ともいってよかった。あとになって考えてみれば、私自身もそうしたエチオピア人が羨ましかったのかもしれない。そんなことは不可能であることを知りつつも、できれば私も、羊水のなかの眠りから醒めた赤子に立ち返って、疑いを知らずに信じるという無垢な心を取り戻したかった」

 川又先生は、未来へ進もうとする神を引きとめた、エマオの旅人の原体験を共有したのでしょうか。
 キリスト、救世主とともに作家は、まだ永遠の巡礼の旅をつづけている、わたしはそう信じています。

(長司祭 パウェル 及川 信)

※川又一英『エチオピアのキリスト教 思索の旅』山川出版社、2005年

このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。ご寛宥ください。

■2023年6月 読書と信仰 3 アーメンとラーメン

ああめん そうめん
ひやそうめん
夕日にそめた
ひやそうめん
(詩 阪田寛夫「ああめん そうめん」より)

子どものころ、替えうたをつくって うたっていました。

ああめん そうめん 
シオラーメン
夕日にそまった
ミソラーメン

 シオラーメンもミソラーメンも北海道発祥のラーメンだという、自慢話? をきいた覚えがありました。
 北海道釧路市に住んでいたわたしの、小学校低学年のころではなかったか、そう思うのですが、原詩をうまく替えうたにしたのは、わたしだったのか、友だちであったのか……。
 月のうち、2~3回の主日、日曜日午前中は、聖堂で堂役(どうえき)の手伝いをしていました。父が司祭(神父)で、上武佐や斜里正教会へ巡回祈祷へ行くので、釧路正教会での主日祈祷はそういう回数でした。
 めんどうくさくて、いやな時もありましたが、たいてい楽しんで堂役奉仕していたという思い出があります。
 いろいろなことを楽しむというのは、大事なことだと思います。
 もちろん思い悩み、苦しんで信仰の道にはいるひともいることでしょう。
 でもごく自然に、ふつうに呼吸するように、神さまへ祈り、神と人を信じ、できるかぎり疑わず、ひとを怨まずに生活するというのが、原点ではないでしょうか。
 「サッちゃん」「ねこふんじゃった」「ともだち讃歌」など、子どものうたで親しんだ阪田寛夫さんがクリスチャン詩人であることを知ったのも、少年時代でした。
 もしかしたら、わたしのそういう信仰とのかかわり、接近の仕方は、信仰者の王道に反する、基本姿勢がなってないという批判があるかもしれません。
 でも固くるしくて、息のつまるような信仰心が、わたしにはもてません。
 リラックスして笑いがあり、のんびり、聖堂でこころゆくまで、大好きな祈祷をささげていきたいのです。
 阪田さんの「はこぶね」という詩があります。

あんまり亀がおそいので
ノアのじいさん
ハッチをしめた
 
キリン
ハゲタカ
マングース
 
ことんとめだまをとじていた
 
雨がざんざかふりだして
せかいはまっくら泥の海
ノアじいさんの舟のあと
こがめがいっぴき ついていく

 こがめは、わたしなのだと思います。

(長司祭 パウェル 及川 信)

※阪田寛夫
 「阪田寛夫詩集」ハルキ文庫、2004年
 「阪田寛夫全詩集」理論社、2011年

このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。ご寛宥ください。

■2023年5月 子供たちのための 新約聖書の おはなし 12

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「子供たちのための 聖書の おはなし」より、ヴォズドビジェンスキー・プラトン・ニコラエヴィチ司祭(1892-1938 )
Из «Библии в рассказах для детей», священник Воздвиженский Платон Николаевич (1892-1938)

ロシア語版リンク/ ссылка на русский источник:
https://azbyka.ru/deti/bibliya-v-rasskazah-dlya-detej-vozdvizhenskij-p-n

翻訳・編集:エフゲニイとイリナ丸尾
Перевод, редактирование: Евгений и Ирина Маруо

■2023年5月 子供たちのための 新約聖書の おはなし 11

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「子供たちのための 聖書の おはなし」より、ヴォズドビジェンスキー・プラトン・ニコラエヴィチ司祭(1892-1938 )
Из «Библии в рассказах для детей», священник Воздвиженский Платон Николаевич (1892-1938)

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■2023年5月 子供たちのための 新約聖書の おはなし 10

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「子供たちのための 聖書の おはなし」より、ヴォズドビジェンスキー・プラトン・ニコラエヴィチ司祭(1892-1938 )
Из «Библии в рассказах для детей», священник Воздвиженский Платон Николаевич (1892-1938)

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Перевод, редактирование: Евгений и Ирина Маруо

■2023年5月 子供たちのための 新約聖書の おはなし 9

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「子供たちのための 聖書の おはなし」より、ヴォズドビジェンスキー・プラトン・ニコラエヴィチ司祭(1892-1938 )
Из «Библии в рассказах для детей», священник Воздвиженский Платон Николаевич (1892-1938)

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https://azbyka.ru/deti/bibliya-v-rasskazah-dlya-detej-vozdvizhenskij-p-n

翻訳・編集:エフゲニイとイリナ丸尾
Перевод, редактирование: Евгений и Ирина Маруо

■2023年5月 読書と信仰 2 あなたの隣人とは だれか

ビザンツ初期のこのような状況の中で、キリスト教は、
自らを「普遍に対抗する個の思想」「本質に対抗する存在
の思想」として形づくりえたのであった。もしキリスト
教が別の時代、別の状況のうちで自分を理論かしたとす
れば、これほど「カテゴリー的なもの」「本性的なもの」
「本質的なもの」に先鋭に対立し、それらではないもの
の領域を強調する思想というかたちはとらなかった可能
性がある。そのため私は「ビザンツ的インパクト」と言
ってみたのである。このような思想の基本図式が、現在
にいたるまでヨーロッパには生きつづけているのではな
いかというのが、私の一つの仮説である。
(第5章 個の概念・個の思想「ビザンツ的インパクト」)

 最近、紹介された本です。膨大な考察、論考と論証の織りなす熟成された論旨が、人生と理知の探求の旅へ、わたしたちを引っぱっていってくれます。
 序章のアンナという友人への言及から始まる物語を読んでいて、なぜかルカ福音書10章の「善きサマリアびと」のたとえを思いました。
 「永遠の生命を受け継ぐ」ためには、どうしたらよいのか、という問いかけにはじまり、善きサマリアびとの話が語られます。
 となりびと、隣人とは、だれなのか。
 この物語の主人公は、だれなのでしょうか。
 主人公がケガ人であるとすれば、通りかかったサマリアびとは、たまたま出会った隣人、となりびとです。
 では、宿屋の主人(経営者)や奉公人は?
 サマリアびとの常宿(じょうやど、定宿)であったとするならば、そこはすべてサマリアびとの働く場であり、ただひとりのユダヤ人(イスラエルの民)がケガ人として、ここにいる、とも想像できます。
 サマリアびとからみても、ユダヤ人からみても、ふつう隣人とはならない関係の人が、無償の愛の行為によって、隣人関係を生みます。
 個と個の出会いが、隣人関係を生じさせるとすれば 、それは未知との遭遇にほかなりません。
 個と個のぶつかり合いは、究極的には、神と人との出会い、遭遇にゆきあたります。
 稀代の思想家、哲理の探求者イエスが、ぞんぶんに語られていますが、わたしたち正教(オーソドックス・チャーチ)の信仰者の、神秘的体験によって出会う「イエス像」「キリスト像」が語られていません。
 神の子がもとめられず、人の子が探求されています。
 個と個のぶつかり合い、神との接近遭遇、一体となる機密は、救いと復活、永遠の生命をもたらします。
 理知的探索ではなく、信じ愛し希望をもつことによる恵みの獲得。
 機密性、祈りの奥義は、信仰者の体験できる神秘、境地であり、信仰とは哲学、歴史学ではないことも、わからせてくれる、すごい本です。

(長司祭 パウェル 及川 信)

※坂口ふみ「〈個〉の誕生 キリスト教教理をつくった人びと」岩波文庫、2023年

このコーナーで取り上げる書籍、絶版や入手困難な本もあると思います。ご寛宥ください。

■2023年4月 子供たちのための 新約聖書の おはなし 8

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「子供たちのための 聖書の おはなし」より、ヴォズドビジェンスキー・プラトン・ニコラエヴィチ司祭(1892-1938 )
Из «Библии в рассказах для детей», священник Воздвиженский Платон Николаевич (1892-1938)

ロシア語版リンク/ ссылка на русский источник:
https://azbyka.ru/deti/bibliya-v-rasskazah-dlya-detej-vozdvizhenskij-p-n

翻訳・編集:エフゲニイとイリナ丸尾
Перевод, редактирование: Евгений и Ирина Маруо

■2023年4月 子供たちのための 新約聖書の おはなし 7

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「子供たちのための 聖書の おはなし」より、ヴォズドビジェンスキー・プラトン・ニコラエヴィチ司祭(1892-1938 )
Из «Библии в рассказах для детей», священник Воздвиженский Платон Николаевич (1892-1938)

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翻訳・編集:エフゲニイとイリナ丸尾
Перевод, редактирование: Евгений и Ирина Маруо

■2023年4月 子供たちのための 新約聖書の おはなし 6

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「子供たちのための 聖書の おはなし」より、ヴォズドビジェンスキー・プラトン・ニコラエヴィチ司祭(1892-1938 )
Из «Библии в рассказах для детей», священник Воздвиженский Платон Николаевич (1892-1938)

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翻訳・編集:エフゲニイとイリナ丸尾
Перевод, редактирование: Евгений и Ирина Маруо